いかにも逆説的なタイトルを付けましたが、これは本気で言っています。意味がないというなら、なぜおまえはこんなブログを書いているんだと言われそうですが、それは読者の方々の方で意味を読みこんでいるからです。もし言葉に意味があるのならChatGPTは言葉の意味を考えているということになるでしょう。しかし、製作者が云うには、ChatGPTは膨大な文章の集積を集計して確率処理し、人間的要素を加味するために適度にランダム化しているだけだということなのです。膨大な言葉間の関係性を突き詰めていけば、私たちの思考空間とほぼ同型の言語空間が出来上がるということなのでしょう。コンピューターは一つひとつの言葉の意味を考えているわけではありません。コンピューターが問題にしているのは言葉と言葉の連なりの関係性だけです。
現代言語学では「犬」という言葉は、この世界を犬と犬以外に分節する働きしかないと言われています。「犬」そのものが何を指すかということは、その言葉を使用する者の主観にゆだねられているということなのです。ただ。生活習慣を同じくする人々の間では、「犬」という言葉はいわゆる犬を指す働きをするようになります。「犬」は日本の標準語ですから、日本人の間で使用されている場合はほぼ齟齬なく通用するでしょう。しかしそれでも、言葉の意味は使用しているものの主観にゆだねられているという事実は免れないのです。というのは、犬の本質というものが存在しないからです。犬と犬以外の客観的な境界が存在しない以上、それは人それぞれに恣意的判断をしていることになります。日常的には問題になるようなことはありませんが、生物学の種の定義というようなテーマとなるとそのことが明瞭になってきます。人と類人猿の境界にも同じようなことが言えます。人類は大昔には存在しなかったわけですから、最初の人類が存在したはずです。だとすると最初の人は人以外から生まれたはずです。その境界を決定する客観的な条件はないと思います。
私たちは「犬」という言葉を聞くと反射的に感性的な犬のイメージが湧くので、その言葉には意味があると思いがちですが、「犬」という記号にはあなた自身が持っている犬のイメージを想起させるスイッチのような働きしかないのです。「犬」という言葉の働きは犬であるかそうでないかという区別を示すデジタル的なものでしかないのです。