徳山というのは唐代の禅僧ですが、禅で悟りを開く前は金剛経の学者でした。彼は金剛経の教えを広めようとして旅をしていたのですが、道端で団子を打っているおばあさんを見かけました。ちょうどお腹が空いていたので、そのお餅を買いたいとそのお婆さんに声をかけたところ・・・・
婆 : 「あんたの荷物は一体なんじゃ?」
徳山 : 「金剛経とわしの書いた注釈書じゃ。」
婆 : 「では聞くがのう、金剛経には『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』と書かれているがあんたはどの心で団子(*注)を味わうのかのう? 教えてくれたら、団子はただで進ぜよう。」
徳山 : 「金剛経とわしの書いた注釈書じゃ。」
婆 : 「では聞くがのう、金剛経には『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』と書かれているがあんたはどの心で団子(*注)を味わうのかのう? 教えてくれたら、団子はただで進ぜよう。」
ここで、徳山はぐっと言葉に詰まり、おのれの不明に気付いたというお話しです。過去はもう過ぎ去っている。現在は間もなく過去になってしまう。未来はまだやってこない。それぞれの心などとらえようもない。どの心で団子(原文は「点心」)を味わうのかと問われても、徳山には答えようがなかったのです。 今回は過去や未来というものがあるとするなら、一体どこにあるのかということを問題にしたいと思います。
「ある」とか「ない」とかいう言葉を突き詰めて考えると非常に難しい問題ですが、端的に言ってしまえばそれは私たちの考えの中にしかないのではないでしょうか。私たちが「過去」あるいは「未来」という言葉をどういう場合に使っているかを丹念に拾い出してみると、過去は記憶と記録の事、未来は予想や計画のことを指しているように私には思えます。端的に言ってそれ以外に過去や未来はないように思えるのです。太平洋戦争の記録を見て当時の世相について考える、あるいは今年の4月から開催される大阪万博について想像を巡らせる。要するに過去も未来も、今現在想起しているものでしかないのです。つまり、今、想起しなければそれらは決して現れる事はない。そういう意味において、私たちには今現在しかない、という言い方もできるような気がします。
物理学で物体の運動を考える時は、"縦×横×高さ×時間"という4次元の空間を考えます。4次元空間というものの中で考えるとダイナミック(動的)な物体の運動をスタティック(静的)に把握することが出来るからです。この4次元空間モデルは非常に有効で、私たちも無意識にそれを使用しています。例えばあなたが彼女とデートの待ち合わせをする場合には、明日の午後6時半に横浜高島屋の6階イノダコーヒーで会いましょうと約束します。横浜高島屋を指定することによって地図上の縦横座標は与えられます。6階で高さの座標が与えられます。そして「明日午後6時半」で "縦×横×高さ×時間" の4次元座標がそろえば、あなたは明日無事に彼女と会うことが出来るというわけです。
このように4次元空間的思考は日常生活を送る上でとても有効だし、科学的思考には必要不可欠です。過去の事実探求や未来予測にはどうしても過去・現在・未来をスタティックに捉えることが必要だからです。が、このことが私たちの時間に対する考え方をゆがめているように私には思えるのです。
4次元座標の中では時間だけが特殊です。現実の世界に対応させれば、時間座標は過去・現在・未来に区分されますが、現在(今)は未来の方向に移動していくからです。過ぎ去った時間は過去、未だ到来していない時間を未来、すでに到来しているが未だ過ぎ去っていない時間を現在(今)と呼んでいるのだと思いますが、よくよく考えてみるとこれはおかしい。例えば、今日の午後0時という瞬間について考えてみましょう。午後0時という瞬間は時間座標の数直線上ではただの一点でしかありません。あなたが時計を見ながら「丁度午後0時だ」と思った瞬間には厳密には既に数ミリ秒過ぎているでしょう。つまり,「今だっ!」と思った瞬間その「今」は既に過去になってしまっているはずです。徳山禅師に謎を書けたお婆さんもこの辺のことを問題にしているのでしょう。
「今」を「今」として認識できない。これはとても奇妙なことです。だってそうではありませんか、私たちにとっては常に今しかないのですから。「あ、美味そうな団子がある、食べたいな。」というのも今思っていること。「うん、これはうまい団子だ。」と言いながら食べているのも今。「ああ美味かった。」と思い出しているのも今です。
すべてが「今」なら、「どの心で団子を味わう?」などという設問は成り立たない。あえて「団子を味わうのは現在心である」とわざわざこと揚げするのもおかしい。
「団子は食べたら美味い」
という、ただそれだけのことと思います。
(*注) ここでは「団子」としましたが、碧眼録第4則では「油糍」(揚げ餅)、無門関第28則 ではただ「点心」となっています。
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過去に訪れた喫茶店や旅館のマッチ、これも今思い出している。