「重症リスクの高い方以外は自宅での療養」というのは、政策でもなければ指針でも何でもない。ただ単に「病床が足りない」ことへの無策をごまかすための弥縫策でしかない。在宅医療に問題があること、病床が足りなくなることはかねてから指摘されていたことだ。40度の高熱でうなされている病人を抱えて、その奥さんが躍起になって「夫を入院させてください」と病院に頼み込む、だけど病床はほとんど埋まっている。すると、病院側は「あなたのご主人はまだ重症化リスクが低いからまだ入院できません。」と断るわけか? 重症化リスクの度合いを誰が判定するのか? 要するに、政府の無策のつけの責任を医療現場に押し付けているだけのことなのだ。医療現場にしてみれば、「重症化リスク判定の数値基準を示せ」と言いたくなることは十分理解できる。
在宅療養者がどんどん増えている状況では、このままでは感染者数を抑えるどころの話ではなく、すぐそこに医療崩壊が見えている。東京都の一日の感染者数は既に4千人を超えているが、もっと気になるのが陽性率だ。8月4日時点の東京が発表している「都内の最新感染動向」によれば、陽性率が 20.7%にもなっている。感染者の周囲の接触者を追跡し切れていない。陽性率が5%程度になるまで検査を徹底すれば、実際の感染者数はもっと多いはず、既に事態は保健所の対処能力を越えていると見るべきだと思う。
日本ではコロナによる死者数が少ないからそれほど騒ぐ必要はないという主張をする人もある。確かに、欧米諸国に比べると、日本は感染者数も死亡者も少ないということは言える。高齢者のワクチン接種が功を奏して、重症化率も死亡率も感染者数に比してかなり少なくなった。しかし、この所の感染者数の増加率はすさまじい。重症化率や死亡率が低いと言っても、感染者数という母数が増大すれば、それに呼応して重症者数も死亡者数も増えるはず。悲惨な事態にはならないだろうという、根拠のない楽観的な見通しに頼るべきではない。国のリーダーたるもの最悪の事態を避けるための努力をすべきである。
病床数の不足、検査数の不足は、ずいぶん前から言われていたことであるのに、今になって「重症リスクの高い方以外は自宅での療養」、それはないだろう。去年の時点でオリンピックの中止を決断しておれば、かなりの費用と人員をコロナ対策に振り向けることが出来たはず。オリンピック村も無症状者・軽症者用の宿泊療養に充てることが出来た。そうすれば、感染者数を低いレベルにコントロールすることが出来て、もう少し経済活動も活発にできたと思う。
テレビをつければどのチャンネルも、オリンピック一色で盛り上げようとしているが、アメリカではリオ五輪に比べテレビの視聴率が約40%も下がってしまったという。オリンピック関連のニュースもネガティブなものが多くなっているようだ。そもそもコロナ禍の下でオリンピックを遂行するということがアメリカ人の理解を越えているようだ。
費用についても訳の分からないことが多い。もともと「復興五輪」ということがうたわれながら、経費のほとんどは首都圏に投下される。被災地にはほとんど恩恵なしである。それに2013年頃には、予算は7千億円程度だったはずが、実際は4兆円だと言う。はたして「予算」を立てる意味があったのだろうか。元東京都知事の猪瀬直樹氏は2012年頃に「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」 と言っていたはず。それが史上もっともカネのかかるオリンピックになってしまった。日本選手の金メダル獲得に拍手するのも良いが、一応そういった事情も知っておいた方が良いと思う。
(参考記事)