今回生野の町を歩いているとあちこちにこの看板とともに
バラの苗が植えられていました。
生野の銀の馬車道(鉱山寮馬車道)は、レオン・シスレーを総監督として設計され、
日本で最初に西洋技術を導入した最新の産業高速道路として
明治9年に完成したものだそうです。
このときシスレー氏は生野に自生していたノイバラの種を故郷に持ち帰り、
フランスの地に合うように品種改良を依頼してバラを作ったそうです。
そして2011年に起こった東日本大震災の被災地支援として、
新品種である「絆」が日本へ贈られたとのこと
この、シスレー縁のバラである「絆」が生野に里帰りをして
記念植樹をされているそうです。
花が咲くのを早く見たいですね。
* * * * * * * * * * * * * * * *
生野では、他には「生野紅茶」が販売されていました
「コァニェ ティー」と言われるこの紅茶は
生野町の無農薬栽培の茶葉から作られた国産の紅茶で
明治初期の生野銀山の近代化に尽くしたフランス人の鉱山技師
ジャン・フランソァ・コァニェ氏にちなんで名付けられたそうです。
この地で作られたものを見付けるととっても嬉しくなります。
紅茶大好きの私にとっては、ティータイムの楽しみになりそうです。
私が銀谷のひな祭りに行きたいと言っていたのを実現してくれたメイパパに・・・
酢飯がとても効いていて
とっても美味しかったです~
最後に、ポチッとしてね↓
バラの苗が植えられていました。
生野の銀の馬車道(鉱山寮馬車道)は、レオン・シスレーを総監督として設計され、
日本で最初に西洋技術を導入した最新の産業高速道路として
明治9年に完成したものだそうです。
このときシスレー氏は生野に自生していたノイバラの種を故郷に持ち帰り、
フランスの地に合うように品種改良を依頼してバラを作ったそうです。
そして2011年に起こった東日本大震災の被災地支援として、
新品種である「絆」が日本へ贈られたとのこと
この、シスレー縁のバラである「絆」が生野に里帰りをして
記念植樹をされているそうです。
花が咲くのを早く見たいですね。
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生野では、他には「生野紅茶」が販売されていました
「コァニェ ティー」と言われるこの紅茶は
生野町の無農薬栽培の茶葉から作られた国産の紅茶で
明治初期の生野銀山の近代化に尽くしたフランス人の鉱山技師
ジャン・フランソァ・コァニェ氏にちなんで名付けられたそうです。
この地で作られたものを見付けるととっても嬉しくなります。
紅茶大好きの私にとっては、ティータイムの楽しみになりそうです。
私が銀谷のひな祭りに行きたいと言っていたのを実現してくれたメイパパに・・・
酢飯がとても効いていて
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