「時事報道放談」において、報道機関の体制批判のロジックを客観認識する試みをしてきました。「私見アウフヘーベン」においても、対立思想が次の次元の思想を生み出す弁証法的発展を当てはめて論じてみました。
さて、現代は・・・いつの世にも市民社会はその調整機能としての社会制度やそれを執行する役所の批判を行います。役所と役人の怠慢と責任回避、権限悪用の賄賂のような構図は、制度の限界として「デキゴコロ」が起きやすい部分を持つからなのでしょう。性悪説に基づいた公共サービスがそぐわない、人の善意に基づいた制度である必要があるからとも考えます。
・・・が、・・・だからこそ、市民社会の監視と批判に社会制度はさらされ、それだからこそ、改善が繰り返され、時代に合わせたより高次元の価値観を生み出す。
では、そのさらに次の未来予測を・・・
市民社会で個人が自由に振舞うことのために、その自由を調整するために機能としての社会制度を、近視眼的な個人攻撃に堕することがないように注意しながら、体制改善を目的として批判する・・・これは、そういう認識であれば、報道の職業意識として、あるがままのもの。そういう認識なく、劣情をモヨオす見出しやゲーム感覚の対決構図で視聴率をねらう批判報道ばかりだと、個人の倫理観を悪化させ、さらに犯罪が生み出され、皮肉にもその報道をする・・・何をか言わんや、とはこのこと。
こうした体制批判の対立概念は何だろう?
市民社会で自由に振舞う個人の態度・・・家庭と学校の教育で個人の倫理のあり方に修正・改善の必要が感じられるのであれば・・・個人の生活態度の批判報道も増えてくるはず。そうすると、世の中にはバカがたくさんいます・・・みたいな風潮というか・・・結果が想定できそうで・・・、
制度批判と同時に、その制度に対する個人の態度はどうあるべきなのかという順法行為も議論していくということが、私の答えなんだけど。
うまく、機能するといいけど・・・
良い事、すばらしい事を褒め称える報道が増えるという対立概念が、批判報道の何倍もの量で、しかも同時にあることが・・・
これは視聴率取れない?
ある概念があると、それに対峙すること、違う角度で考えられうることをいくつか想定して思考してみる・・・という試みで書いてみましたが・・・
アウフヘーベンしたかな・・・
さて、現代は・・・いつの世にも市民社会はその調整機能としての社会制度やそれを執行する役所の批判を行います。役所と役人の怠慢と責任回避、権限悪用の賄賂のような構図は、制度の限界として「デキゴコロ」が起きやすい部分を持つからなのでしょう。性悪説に基づいた公共サービスがそぐわない、人の善意に基づいた制度である必要があるからとも考えます。
・・・が、・・・だからこそ、市民社会の監視と批判に社会制度はさらされ、それだからこそ、改善が繰り返され、時代に合わせたより高次元の価値観を生み出す。
では、そのさらに次の未来予測を・・・
市民社会で個人が自由に振舞うことのために、その自由を調整するために機能としての社会制度を、近視眼的な個人攻撃に堕することがないように注意しながら、体制改善を目的として批判する・・・これは、そういう認識であれば、報道の職業意識として、あるがままのもの。そういう認識なく、劣情をモヨオす見出しやゲーム感覚の対決構図で視聴率をねらう批判報道ばかりだと、個人の倫理観を悪化させ、さらに犯罪が生み出され、皮肉にもその報道をする・・・何をか言わんや、とはこのこと。
こうした体制批判の対立概念は何だろう?
市民社会で自由に振舞う個人の態度・・・家庭と学校の教育で個人の倫理のあり方に修正・改善の必要が感じられるのであれば・・・個人の生活態度の批判報道も増えてくるはず。そうすると、世の中にはバカがたくさんいます・・・みたいな風潮というか・・・結果が想定できそうで・・・、
制度批判と同時に、その制度に対する個人の態度はどうあるべきなのかという順法行為も議論していくということが、私の答えなんだけど。
うまく、機能するといいけど・・・
良い事、すばらしい事を褒め称える報道が増えるという対立概念が、批判報道の何倍もの量で、しかも同時にあることが・・・
これは視聴率取れない?
ある概念があると、それに対峙すること、違う角度で考えられうることをいくつか想定して思考してみる・・・という試みで書いてみましたが・・・
アウフヘーベンしたかな・・・