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ポピュリズムの限界

2006-12-28 10:49:47 | 私見アウフヘーベン
ポピュリズムは民衆主義、大衆迎合主義などという意味で使われています。

誹謗中傷偏見差別を助長するという負の一面(なぜ負なのかは前回書きました)の一方、勧善懲悪も大衆は迎合します。

政府を「国家」と捉えるのか、「市民社会」の社会制度と捉えるのかは、その政府が専制的であるのか民主的であるのかで論点が変るように思いますが、現代はメディアが大衆意見を集合して政府に修正を迫る関係でアウフヘーベンしているようで・・・メディアの権力の驕りに対する大衆意見の対立でもアウフヘーベンしているように見えます。(メディアは表面的にそれを認めませんが)

今年一年は、親子や夫婦の関係を考えさせるイジメや犯罪が話題になりました。
潜在的に今も昔も親子と夫婦の関係の問題はあったでしょうが、報道の即時性とビジュアル化で、より顕在していると考えられます。

イジメや人間関係の対立を助長する役割のことを・・・確か・・
トラブルメーカーというはずです。
陰で人の悪口を言って、二者の対立をほくそ笑む・・そんなイメージでしょうか。
二者が喧嘩しているところに割って入り、第三者的に人格者面して老獪に振舞う。

そういう姿を報道という職業は常に反省しなければならない・・・はず

毎日、テレビで、尊敬と敬譲とは思えないような人間関係や職業的な上下関係を感じさせる場面・・・を懸念する気持ちを皆が持ちながら、批判できない。
パワハラから子供達が何を学ぶのか、という角度での思考が感じられません。

現代のポピュリズムの媒介はメディアもその一役であるとすれば、メディアのレベルが、その限界ということにもなります。

この世は、清濁あって当たり前、清濁どちらに偏りがあっても住みにくいもの、
だから、何か特定のモノが罪悪であるということはなく、それがあるために次の次元でそれに対抗する新しいモノが誕生するのですから。

何はともあれ、この一年間は、様々な意味で、アウフヘーベン的な変化を見たような気がします。