結局コンプリートDVDもSEE特典映像もFotRも観られませんでした(汗)何やってるんだか3連休・・・(汗)サントラ考察はちょっと進みましたが。
仕方ないので?また原作の話です。
ロリアンを出発して、まさにガラドリエルが見送りながら歌う途中まで行きました。(せめて歌終わるまで読んどけ(汗))
水鏡の場面を読んでいて、サムは結構今後の重要な事件を見ているのに、フロドはサウロンの目を観る前は自分には直接関係ない映像ばっかり見てたんだなあ、とびっくりしました(笑)ペレンノール野に着く海賊船とか、フロドが知っててもどうにもならないような(汗)最後に出て行った船は、西へ行く船だったかもしれませんが。
しかし、今回5回目になるのですが、まだまだガラドリエルというキャラクターが掴めないでいます。いや、むしろ回を重ねるごとに自分の理解を超えた深い存在なのだということに気がつくようになったとでも言いましょうか。
初読時にはむしろ単純に読めたんですよね。サムに「そんなこってしょう」と言ったり、ギムリに髪の毛を与えたりした、優しい奥方のイメージしか残らなくて。
PJ映画を観た時には、怖いガラドリエルにびっくりしたものでした。指輪に誘惑されそうになった場面の記憶が全然なかったもので・・・
その後原作を読み返して、ガラドリエルの暗い部分を引き出したんだなあ、なんて感心していたものですが、3部作全て観終わった今思うと、「わかりやすくしすぎでは・・・」なんて思ったりもします(汗)
でも、紙一重で安っぽくならなかったのは、ケイト・ブランシェットの演技力かなあとも思います。
それでも、「シリマリル」や「終わらざりし物語」を読んだ後に抱くガラドリエルのイメージは、むしろサムやギムリに優しい奥方の姿よりは、映画のちょっと怖い(?)ガラドリエルの方が近いようにも思います。
特に「終わらざりし物語」の「ガラドリエルとケレボルンの物語」を読むと、思いがけず人間的なガラドリエルの姿が「指輪」本編のガラドリエルとあまり重ならなくて戸惑ってしまいます。むしろ映画のガラドリエルの方が繋がりやすいかな・・・
いや、ケイト・ブランシェットが演じる第一紀のガラドリエルとか、見てみたいなーなんて思ってしまうのですが(笑)
自分の王国が欲しいと願って苦難の末に中つ国にたどり着き、ノルドールの呪いを受けた一人として、メリアンに問われても決してその秘密は語ろうとせず、兄たちが滅び、シンゴルの王国が滅び、ベレリアンドが沈み、そういったことをつぶさに見て来たガラドリエルが、フロドと出会った時にはどのような心境で何を考えていたのか。どうもサムやギムリに見せた優しくてお茶目でさえある姿は「ネコ被ってたんじゃないの?」と思ってしまうのですが・・・(汗)
それでも、そんなことを考えていたからか、「試練に勝った」というガラドリエルに、今までになく感情移入できるようにも思いました。
そう言えば、歌のなかに「わらわをどんな船が乗せてくれるのだろうか」という言葉がありますが、ガラドリエルは一つの指輪の誘惑を退けたことで初めて西に行く権利が回復した、ということもトールキンは考えていたそうで、そんなこともちょっと考えてしまいました。
エルフの3つの指輪の力についても、今回今までになくわかったような気がしました。ネンヤの力でロリアンは保たれていたのだということ、その力がなくなってしまうことで、エルフたちはその地に留まる望みを失うということ。
それまでのロリアンの描写が美しかっただけに、エルフの指輪の力がなくなるということの大きさを、今回初めて理解できたような気がしました。
指輪の力を失ってさびれてしまったロリアンはどれだけ淋しい地になったことか。そして、そこにアルウェンが一人最期を迎えるのだ、ということも考えてしまいます。
それにしても、奥方の贈り物を、映画では全然有効に使ってなかったことが解せないです・・・(汗)まあボロミアやメリピピのベルトは何の役にもたたなかったとしても(汗)
そしてこの後のレゴラスとギムリの会話が好きなんですけど、それはまた別の機会に・・・(笑)
仕方ないので?また原作の話です。
ロリアンを出発して、まさにガラドリエルが見送りながら歌う途中まで行きました。(せめて歌終わるまで読んどけ(汗))
水鏡の場面を読んでいて、サムは結構今後の重要な事件を見ているのに、フロドはサウロンの目を観る前は自分には直接関係ない映像ばっかり見てたんだなあ、とびっくりしました(笑)ペレンノール野に着く海賊船とか、フロドが知っててもどうにもならないような(汗)最後に出て行った船は、西へ行く船だったかもしれませんが。
しかし、今回5回目になるのですが、まだまだガラドリエルというキャラクターが掴めないでいます。いや、むしろ回を重ねるごとに自分の理解を超えた深い存在なのだということに気がつくようになったとでも言いましょうか。
初読時にはむしろ単純に読めたんですよね。サムに「そんなこってしょう」と言ったり、ギムリに髪の毛を与えたりした、優しい奥方のイメージしか残らなくて。
PJ映画を観た時には、怖いガラドリエルにびっくりしたものでした。指輪に誘惑されそうになった場面の記憶が全然なかったもので・・・
その後原作を読み返して、ガラドリエルの暗い部分を引き出したんだなあ、なんて感心していたものですが、3部作全て観終わった今思うと、「わかりやすくしすぎでは・・・」なんて思ったりもします(汗)
でも、紙一重で安っぽくならなかったのは、ケイト・ブランシェットの演技力かなあとも思います。
それでも、「シリマリル」や「終わらざりし物語」を読んだ後に抱くガラドリエルのイメージは、むしろサムやギムリに優しい奥方の姿よりは、映画のちょっと怖い(?)ガラドリエルの方が近いようにも思います。
特に「終わらざりし物語」の「ガラドリエルとケレボルンの物語」を読むと、思いがけず人間的なガラドリエルの姿が「指輪」本編のガラドリエルとあまり重ならなくて戸惑ってしまいます。むしろ映画のガラドリエルの方が繋がりやすいかな・・・
いや、ケイト・ブランシェットが演じる第一紀のガラドリエルとか、見てみたいなーなんて思ってしまうのですが(笑)
自分の王国が欲しいと願って苦難の末に中つ国にたどり着き、ノルドールの呪いを受けた一人として、メリアンに問われても決してその秘密は語ろうとせず、兄たちが滅び、シンゴルの王国が滅び、ベレリアンドが沈み、そういったことをつぶさに見て来たガラドリエルが、フロドと出会った時にはどのような心境で何を考えていたのか。どうもサムやギムリに見せた優しくてお茶目でさえある姿は「ネコ被ってたんじゃないの?」と思ってしまうのですが・・・(汗)
それでも、そんなことを考えていたからか、「試練に勝った」というガラドリエルに、今までになく感情移入できるようにも思いました。
そう言えば、歌のなかに「わらわをどんな船が乗せてくれるのだろうか」という言葉がありますが、ガラドリエルは一つの指輪の誘惑を退けたことで初めて西に行く権利が回復した、ということもトールキンは考えていたそうで、そんなこともちょっと考えてしまいました。
エルフの3つの指輪の力についても、今回今までになくわかったような気がしました。ネンヤの力でロリアンは保たれていたのだということ、その力がなくなってしまうことで、エルフたちはその地に留まる望みを失うということ。
それまでのロリアンの描写が美しかっただけに、エルフの指輪の力がなくなるということの大きさを、今回初めて理解できたような気がしました。
指輪の力を失ってさびれてしまったロリアンはどれだけ淋しい地になったことか。そして、そこにアルウェンが一人最期を迎えるのだ、ということも考えてしまいます。
それにしても、奥方の贈り物を、映画では全然有効に使ってなかったことが解せないです・・・(汗)まあボロミアやメリピピのベルトは何の役にもたたなかったとしても(汗)
そしてこの後のレゴラスとギムリの会話が好きなんですけど、それはまた別の機会に・・・(笑)