来月観に行くつもりだったのですが、ふとスケジュールを確認したら、今観に行かないと行く暇がない・・・と気がついて、昨日突如駆け込みで観てまいりました。もちろん?レイトショーです。
事前にあらすじを聞いていた限りでは「つまらなさそう・・・」と思ったのですが(汗)思っていたのとはかなり違う話でした(汗)宣伝間違ってると思う・・・
でも面白いかというと、ちょっと微妙でしたが・・・(汗)
最初はいいかなあと思ったんですよね。自分の境遇への怒りを内に秘めて鉄を打ちまくるオーランド・ブルームはカッコよかった。鍛冶屋がこんなカッコよくていいのか、と思いました(笑)
でも一番カッコよかったのはその場面でしたが・・・(汗)
映像も、最初の方のフランスの田舎の光景が一番綺麗だったような気がします(汗)
不満と怒りを秘めて「聖地」に向かうことを決意した・・・と言っていいのかわかりませんが、とりあえずエルサレムに行くことにしたバリアンの姿は、「聖地」を求めるキリスト教圏の人々の心境を上手く表していたかもしれません。
そのバリアンが、聖地でも「神の赦し」を感じることができず、最後には「神は存在しない」(もしくは存在していても人間に直接赦しや助けを与える存在ではない)という結論に達する、という物語なんだと気がついたのは、最後の戦いの直前のバリアンの演説で、でした。
残念ながら、そこに至るまでのバリアンの気持ちはよくわからないです(汗)描かれてないのか、演技力不足なのかは不明ですが(大汗)まあ監督の責任でしょうね(汗)
物語がとんとんと進んで、レイトショーにも係わらず眠くなることもなかったのですが(いや戦闘シーンで寝ました(汗))、その分「もうちょっと余韻があってもいいのに」という場面が多々ありました。バリアンの心情もそんな感じでカットされていたような気がします。
じっくり描きすぎで長すぎた「アレキサンダー」と対照的ですが・・・(汗)個人的には「アレキサンダー」の方が好きです。映像の美しさもあっちの勝ち(汗)
結局のところ、ストーリーの進行を主人公を描くことよりも優先しているように思えました。それはそれでいいのですが、それにしてももうちょっとバリアンの行動に説得力が欲しかったです。
新聞の評などを読んで、「アメリカ人が喜ぶような結末でいいのか」みたいなことが書かれていて心配?していたのですが、それはなかったですね。確かにキリスト教徒がイスラム教徒と戦って一応勝利?しましたが、あの状態では戦うしかないでしょう。戦いの原因はエルサレム側にあったし。それに、結果的にはエルサレム開け渡してるんだし、全然「キリスト教徒がイスラム教徒に勝った」というシチュエーションじゃなかったし。
私は逆に、今このご時世に、キリスト教徒とイスラム教徒の友好という、あまりにストレートな題材を描いていることがなんだかむず痒かったです(汗)その描き方がまたストレートだったし。
過去の史実から教訓を導き出すのはいいんですが、あんまりストレートだとスマートじゃないと思いますね(汗)時代が違うんだから。どうもトールキンのおかげでアレゴリーアレルギーになりつつある私・・・(笑)
そういう意味ではあのエルサレム攻防戦で戦うのはいいんじゃないかと思いました。むしろサラセン人と友好を、と頑張るエルサレム王側の人々がなんだか白々しく思えてしまった・・・(汗)
エルサレム王側の人々が白々しく思えるのは、イスラム教徒を殺せ、という人々がまたあまりにストレートに悪人だったせいもありますが(汗)「トロイ」といい、戦う両国のどちらも悪ではない、という設定のために悪役を主人公の味方側の誰かにしてしまってるんですねえ。「戦うどちらも悪ではない」という設定自体はなかなか良いアイディアだと思いますが、やっぱりどうしても悪役は必要なのかしら、と考えてしまいます。(サラセン側にもそういう役回りの人たちは一応いましたが、悪役ではなかったからなあ)
まあ、一部で言われていたほどイスラム教徒を馬鹿にした作品ではなかったと思います、全く。実際にイスラム教徒の人たちから見たらまた違うかもしれませんが。サラディンは良き指導者として描かれてましたし、卑怯なことをしたのは全てエルサレム側だったし。かなりイスラムに配慮していたと思いますが。
でも、なんだか感動はできなかったです。やっぱりどこか白々しく思えたからでしょうか。バリアンの演説もなんですが・・・(汗)
ところどころ良いところもあったんですけどね。最後にエルサレムを明け渡す前にバリアンがサラディンに「ここに何の意味があるのか」というようなことを問い、サラディンが「無だ。そして全てだ」と言った言葉が印象的でした。
それから、イスラムの挨拶を、最初はサラディンがアラブ語(?)で、それに対してエルサレム王が英語で答えるのですが(両方アラブ語だったかな・・・)、その言葉を最後の方では、バリアンがアラブ語で言い、サラセン人の貴族(名前憶えてません(汗))が英語で答える、なんてあたりはちょっと良かったですね。
この挨拶の意味、私はたまたま観に行く前にcamelgirlのさやかさんが日記で書いていてくださったので、よくわかってとてもよかったです。もしかしたらプログラム買うと書いてあるのかもしれませんが、意味を知らないという方はぜひ読んでください! 5/25、26の日記に書いてらっしゃいます。
しかしどうしても疑問なのが、バリアンはなんで急に強くなったのか(汗)たったあれだけの剣の訓練であんなに強くなるの? ボロミアに稽古してもらったくらいでオークと戦っちゃうメリピピのようだ(汗)ウィル・ターナーはちゃんと密かにトレーニングしてたぞ(笑)
どこで戦略を憶えたのかも謎。エルサレム攻防戦ではあまりのひらめき様に「あんたは諸葛孔明かい!」とツッ込みたくなりました・・・(汗)
またバリアンの策略が皆上手く行ってしまうのも白々しいというか(汗)
そして、最後に生まれた村に帰っちゃってたけど、司祭殺ししたのにいいのか?(汗)エルサレムでの功績でチャラになったんでしょうか。うーん。
シビラはいらないと思いましたが(汗)まあとても綺麗だったので目の保養にはなりましたが。
そうそう、エルサレム王の仮面によそ行き用があったのがなんだかとてもウケてしまいました・・・(笑)
そういえば、ケレボルンのマートン・ソーカスが出ていると聞いていたのに、エンドロールで名前を見るまですっかり忘れてました・・・(汗)
必死で誰だっけ、と頭の中でモンタージュした結果、「あ、シビラの旦那か・・・」(名前覚えられてません(汗))
うーん、あんな濃い人をエルフにしようなんてよく考えたもんです・・・(笑)
という訳で、そんなに気に入る作品にはなりませんでしたが、色々と考えるところはあったので、見に行った甲斐はあったかなあと思います。
事前にあらすじを聞いていた限りでは「つまらなさそう・・・」と思ったのですが(汗)思っていたのとはかなり違う話でした(汗)宣伝間違ってると思う・・・
でも面白いかというと、ちょっと微妙でしたが・・・(汗)
最初はいいかなあと思ったんですよね。自分の境遇への怒りを内に秘めて鉄を打ちまくるオーランド・ブルームはカッコよかった。鍛冶屋がこんなカッコよくていいのか、と思いました(笑)
でも一番カッコよかったのはその場面でしたが・・・(汗)
映像も、最初の方のフランスの田舎の光景が一番綺麗だったような気がします(汗)
不満と怒りを秘めて「聖地」に向かうことを決意した・・・と言っていいのかわかりませんが、とりあえずエルサレムに行くことにしたバリアンの姿は、「聖地」を求めるキリスト教圏の人々の心境を上手く表していたかもしれません。
そのバリアンが、聖地でも「神の赦し」を感じることができず、最後には「神は存在しない」(もしくは存在していても人間に直接赦しや助けを与える存在ではない)という結論に達する、という物語なんだと気がついたのは、最後の戦いの直前のバリアンの演説で、でした。
残念ながら、そこに至るまでのバリアンの気持ちはよくわからないです(汗)描かれてないのか、演技力不足なのかは不明ですが(大汗)まあ監督の責任でしょうね(汗)
物語がとんとんと進んで、レイトショーにも係わらず眠くなることもなかったのですが(いや戦闘シーンで寝ました(汗))、その分「もうちょっと余韻があってもいいのに」という場面が多々ありました。バリアンの心情もそんな感じでカットされていたような気がします。
じっくり描きすぎで長すぎた「アレキサンダー」と対照的ですが・・・(汗)個人的には「アレキサンダー」の方が好きです。映像の美しさもあっちの勝ち(汗)
結局のところ、ストーリーの進行を主人公を描くことよりも優先しているように思えました。それはそれでいいのですが、それにしてももうちょっとバリアンの行動に説得力が欲しかったです。
新聞の評などを読んで、「アメリカ人が喜ぶような結末でいいのか」みたいなことが書かれていて心配?していたのですが、それはなかったですね。確かにキリスト教徒がイスラム教徒と戦って一応勝利?しましたが、あの状態では戦うしかないでしょう。戦いの原因はエルサレム側にあったし。それに、結果的にはエルサレム開け渡してるんだし、全然「キリスト教徒がイスラム教徒に勝った」というシチュエーションじゃなかったし。
私は逆に、今このご時世に、キリスト教徒とイスラム教徒の友好という、あまりにストレートな題材を描いていることがなんだかむず痒かったです(汗)その描き方がまたストレートだったし。
過去の史実から教訓を導き出すのはいいんですが、あんまりストレートだとスマートじゃないと思いますね(汗)時代が違うんだから。どうもトールキンのおかげでアレゴリーアレルギーになりつつある私・・・(笑)
そういう意味ではあのエルサレム攻防戦で戦うのはいいんじゃないかと思いました。むしろサラセン人と友好を、と頑張るエルサレム王側の人々がなんだか白々しく思えてしまった・・・(汗)
エルサレム王側の人々が白々しく思えるのは、イスラム教徒を殺せ、という人々がまたあまりにストレートに悪人だったせいもありますが(汗)「トロイ」といい、戦う両国のどちらも悪ではない、という設定のために悪役を主人公の味方側の誰かにしてしまってるんですねえ。「戦うどちらも悪ではない」という設定自体はなかなか良いアイディアだと思いますが、やっぱりどうしても悪役は必要なのかしら、と考えてしまいます。(サラセン側にもそういう役回りの人たちは一応いましたが、悪役ではなかったからなあ)
まあ、一部で言われていたほどイスラム教徒を馬鹿にした作品ではなかったと思います、全く。実際にイスラム教徒の人たちから見たらまた違うかもしれませんが。サラディンは良き指導者として描かれてましたし、卑怯なことをしたのは全てエルサレム側だったし。かなりイスラムに配慮していたと思いますが。
でも、なんだか感動はできなかったです。やっぱりどこか白々しく思えたからでしょうか。バリアンの演説もなんですが・・・(汗)
ところどころ良いところもあったんですけどね。最後にエルサレムを明け渡す前にバリアンがサラディンに「ここに何の意味があるのか」というようなことを問い、サラディンが「無だ。そして全てだ」と言った言葉が印象的でした。
それから、イスラムの挨拶を、最初はサラディンがアラブ語(?)で、それに対してエルサレム王が英語で答えるのですが(両方アラブ語だったかな・・・)、その言葉を最後の方では、バリアンがアラブ語で言い、サラセン人の貴族(名前憶えてません(汗))が英語で答える、なんてあたりはちょっと良かったですね。
この挨拶の意味、私はたまたま観に行く前にcamelgirlのさやかさんが日記で書いていてくださったので、よくわかってとてもよかったです。もしかしたらプログラム買うと書いてあるのかもしれませんが、意味を知らないという方はぜひ読んでください! 5/25、26の日記に書いてらっしゃいます。
しかしどうしても疑問なのが、バリアンはなんで急に強くなったのか(汗)たったあれだけの剣の訓練であんなに強くなるの? ボロミアに稽古してもらったくらいでオークと戦っちゃうメリピピのようだ(汗)ウィル・ターナーはちゃんと密かにトレーニングしてたぞ(笑)
どこで戦略を憶えたのかも謎。エルサレム攻防戦ではあまりのひらめき様に「あんたは諸葛孔明かい!」とツッ込みたくなりました・・・(汗)
またバリアンの策略が皆上手く行ってしまうのも白々しいというか(汗)
そして、最後に生まれた村に帰っちゃってたけど、司祭殺ししたのにいいのか?(汗)エルサレムでの功績でチャラになったんでしょうか。うーん。
シビラはいらないと思いましたが(汗)まあとても綺麗だったので目の保養にはなりましたが。
そうそう、エルサレム王の仮面によそ行き用があったのがなんだかとてもウケてしまいました・・・(笑)
そういえば、ケレボルンのマートン・ソーカスが出ていると聞いていたのに、エンドロールで名前を見るまですっかり忘れてました・・・(汗)
必死で誰だっけ、と頭の中でモンタージュした結果、「あ、シビラの旦那か・・・」(名前覚えられてません(汗))
うーん、あんな濃い人をエルフにしようなんてよく考えたもんです・・・(笑)
という訳で、そんなに気に入る作品にはなりませんでしたが、色々と考えるところはあったので、見に行った甲斐はあったかなあと思います。