はんなり、万華鏡

京都を中心とした旅行記や文化についてあれこれ。

仙台うみの杜水族館と仙台グルメ

2019-08-18 17:14:49 | 故郷

宮城県の実家に帰省しました。
数年前に出来てから行ってみたかった、仙台うみの杜水族館に行きました。
宮城県では以前は松島に水族館があったのですが、そちらが閉館して新たに仙台港近くに水族館がオープンしたのです。
車で迷いながら到着。
お盆なので駐車場が少し混んでいました。

館内は三陸をイメージした造りになっています。
入ってすぐのところにある大水槽で泳ぐイワシの大群。
スナメリも可愛かったなぁ。
イルカやアシカのショーは大混雑であまりよく見られず。
夏ということで前の席に座っている人々はイルカに水をかけられてビショビショになっていました。

 

 仙台駅前は以前来た時よりもだいぶ変わっていました。
今回は利久の牛タンとずんだ茶寮のずんだシェイクを堪能。
私が地元にいた時はあんなに牛タンのお店なんてなかったし、ずんだも東京にお店が出来るくらいになるとは思いませんでしたねぇ。
牛タンは厚切りのを炭火で焼いてくれて美味しかったし、ずんだシェイクも濃厚でした。
帰省から戻って体重を計ったら〇キログラム増えていたという・・・

  

 


塩竈・松島

2011-08-13 00:10:38 | 故郷

実家に帰省して、松島の様子も見たいと思い、実家から近い塩釜港から遊覧船に乗って松島へ行きました。
港も津波で被害を受けましたが、今は遊覧船も出ていますし近隣の店なども多くはオープンしています。
一部の交差点では信号が復旧していないですが・・・
松島の島々の多くは、実は塩竈市の海域にあります。
塩竈港を出発するとすぐに有名な仁王島などの島々が見えてきます。
船内では、松島湾の島々を説明するアナウンスが流れます。
例の津波では、松島や塩竈は他の沿岸部よりは被害はまだマシだったと言われています。
松島湾には大小の有人島・無人島があり、島々が街を守ったという話を聞きました。

  

  

  

松島湾遊覧の楽しみの一つは、かもめの餌やり。
船内でかっぱえびせんが売っていて、かもめ達の大好物です。
子供の頃も良く餌やりをしたものです。
沢山集まってくるかもめ達の中には、手で持ったかっぱえびせんを、船の側を通り抜けざまに銜えて行くという高等技術をもったかもめもいました。

船が松島に着く頃、雨が降ったりしてあまり天気が良くなく、写真は殆ど撮りませんでした。暗くて・・・
五大堂を見物し、牡蠣入りカレーパンを食べました。
観光地価格でちょっとお高い気はしますが、牡蠣がまるごと入った揚げたてのカレーパンはなかなかです。
五大堂がある島に渡るのに赤い橋が架けられていますが、橋の下は板があえて隙間をあけた作りになっているので、ヒールの靴などはちょっと危険かもしれません。
靴が脱げたら海にどぼんです。

観瀾亭でお抹茶をいただきながら一休み。
ここは、伊達政宗が拝領した伏見城の一部を移築したもので、仙台藩の藩主一族などがお月見や納涼に訪れたそうです。
すぐ下が海で、よく津波に襲われなかったなと思います。
潮風が気持ちよいです。
観瀾亭では、普通のお抹茶とお菓子のセットだけでなく、冷たいグリーンティーや様々なお菓子のセットがあり、お座敷やお庭でいただけます。

  

  

  

私の学校の先輩が伊達家ご当主とお知り合いで、伊達家では今でもここでお月見の茶会を開いたりしているそうで、先輩はお手伝いに来るそうです。
優雅ですね~。

瑞巌寺は、現在長期の大修復中なのもあり、公開はしていますが今回は拝観する気力がなかったので早々と帰る事にしました。
雨が降ったり止んだりしていましたし。

仙石線の松島海岸駅から電車に乗り、本塩釜駅へ。
本塩釜駅から、徒歩で鹽竈神社へ。
途中、市内の様子を見ましたが、だいぶ復旧していたと思います。

最近はパワースポットブームですが、この鹽竈神社もパワースポットと言われています。
神社へお参りするにはいくつかのルートがありますが、表参道の石段を上がるのが、パワーをいただくにはポイントと、どこかのサイトに書いてありました。
202段あり、運動不足の私には拷問のような足の負荷でした。
うちの母は登るのはもう無理だと言っていました。

 

画像はすべて携帯から撮影いたしました。

塩竃も松島も、被害は受けながらも町並みがかなり残っていて、良く守られたと思います。
故郷、宮城県だけでなく、福島県、岩手県、震災の被害を受けた他の県も、一日も早く復興して、皆が落ち着いて生活が出来るのを祈るばかりです。

 


仙台七夕

2011-08-12 21:28:32 | 故郷

久しぶりに実家に帰省しました。
震災以来、初めての帰省です。
今回は仕事の都合などで夜行バスで仙台まで行きました。
新宿-仙台が5,000円。
普段はJRのバスに乗ることが多いのですが、JRのバスでネット予約をすると男女の席の配置が配慮されていない場合が多いのですが、今回利用したバスは3列シートで周りは女性の乗客が多く配置されていたのでありがたかったです。

父、祖父母、伯父のお墓参りに行きました。
父方の実家は宮城県の七ヶ浜町というところで、津波で大被害を受けた地域です。
Google マップ で父方の実家のある地域の写真を見たら、殆どの家が無くなっていて更地のようになっていました。
実際に現地に行って見ると、その一帯の家は殆ど無く、家の土台だけが残っている状態で、父方の実家とその隣の家、そこから山側の高い所にある家、お寺などは残っていました。
父方実家の海側の隣の家、お向かいの家はありませんでした。
海に沿った道を通って帰りましたが、他の地域も鉄骨だけ残った家、ほぼ全壊した家、海が近くないのに津波で打ち上げられた船があり、子供の頃に遊びに行った砂浜にはコンテナが埋まり、松林はなぎ倒されていたり、道路が陥没して通行止めになっていたり。
実家は被害はないですが、近所の道路は未だに信号が直らず、警官が交通整理している状況でした。

  

 

  

  

帰省した日は、ちょうど仙台七夕を開催している時期でした。
今年は復興支援として、仙台市と姉妹都市である徳島市の阿波おどり、京都からは祇園祭の長刀鉾の囃子方、綾傘鉾が参加されると聞き、10年ぶりに七夕を観に行ってきました。
阿波踊りは仙台七夕の初日のみで見物は出来なかったのですが、長刀鉾のお囃子は日程が合ったので仙台で祇園囃子を聴くことが出来ました。
祇園祭には今まで何度か行ったことがあるのですが、今年は行けなかったので仙台で聞けて嬉しかったです。
祇園祭は、平安時代に東北地方で起こった、大津波を伴った貞観地震がきっかけで始まったそうです。
その頃は地震だけではなく疫病の流行や富士山の噴火などの国難がてんこ盛りな時代だったそうです。
今年は未曽有の大震災、京都から出ることがない、長刀鉾の宝剣、綾傘鉾が仙台に持ってこられたというのは本当に大変なことだったのですね。
疫病や天変地異を鎮める為に始まった祇園祭の、鉾の宝物に宿るパワーを東北へと、ということでお持ちくださったそうです。
猛暑だしゲリラ雷雨はあったし大変そうでしたが、仙台七夕を盛り上げてくださって本当にありがとうございました。
長刀鉾の手拭いをいただきました。

  

  


京都からは、祇園甲部の芸舞妓さんも来られました。
京舞の披露と記念撮影がありました。
当日は非常に蒸し暑いお天気だったので、皆さん随分と辛そうでした。
三人の芸舞妓さんのうち、お一人は以前何度か会ったことのある人でした。
長刀鉾のお囃子や綾傘鉾を飾っている会場で、大文字の送り火で東日本大震災で亡くなった人々の慰霊の為に護摩木を焚くとのこと、護摩木の受付を京都五山送り火連合会がされていた。
芸舞妓さん達が護摩木の受付を手伝われていたので、私もご挨拶がてらに護摩木預けてきました。
その時に芸妓さんと少しお話をしまして、京舞の披露をするビルを教えていただきました。
私がまだ地元に住んでいた時は無かったビルだし、仙台の街も随分と変わったので、地図を見ても良く分からなかったのですが、隣にGucciがあるとの事で、Gucciを目印に無事たどり着けました。
大文字の送り火に使う薪については、陸前高田の松林の木を使う、使わないという騒動がありましたが、仙台で受付けていたのは、京都の北山杉で護摩木として正式に使用されている物で、「東日本大震災 犠牲者慰霊 復興祈願」と書かれた物でした。
私が納めてきた護摩木は、どこのお山で焚かれるのでしょうねぇ。
陸前高田の松の木の騒動は、段取りがもっときちんとされていたら、岩手や京都のそれぞれの現地の人々が傷つかなかったと思います。
残念で悲しいですね・・・・

舞妓さんのお着物、良く見たら七夕の柄でした。
花簪は花火かな?
祇園甲部のとある置屋さんの舞妓さんで、7月に七夕の花簪を挿している方がいましたが、あれは特注なので誰でも持っている物ではないのですよねぇ。
舞は、夏に多く舞われる団扇を使った「夏は蛍」と定番の「祇園小唄」です。
芸舞妓さんが舞う時に持っている団扇は、基本的に本人の名前が入った団扇です。
下の画像の芸妓さんが持っている団扇がそうです。

   

  

七夕現物の後、なぜか急に伊達政宗公の騎馬像が見たくなり、タクシーに乗って仙台城址へ行きました。
タクシーで料金がいくら位だと確認して、このくらいならバスは時間が掛かるしタクシーにしちゃえ!とタクシーにしたのですが、震災で仙台城址まで行く道の一部が崩れて通行止めになった為に迂回したので、予想以上に料金がかかってしまいました・・・・
逆光で写真を撮ってもシルエットです。
伊達政宗公は隻眼ですが、この像は確か両目で作られていたと思うのですが、お顔がさっぱりわからない・・・
仙台城址ではおもてなし集団「伊達武将隊」のイベントがあったようで、浴衣姿の歴女の皆さんが沢山いて、そのノリについていけず、ちょっと引いてしまいました。
仙台城址にある宮城縣護國神社は伊達家と無関係なのですが、なぜかゲームの伊達政宗らしきキャラクターの絵馬が奉納されていたりしました(^^;)

  

画像はすべて携帯から撮影いたしました。


故郷

2011-06-12 18:06:48 | 故郷

震災から三ヶ月経ちました。
当日は実家に電話は繋がらないし、自分は帰宅難民になって深夜2時ごろにようやく帰宅。

実家は宮城県の沿岸部の塩竈市。
実家は問題ないですが、七ヶ浜町や石巻の親戚宅は津波で流されました。
皆無事ですが・・・・

ちょうど一年ほど前に実家に帰省した時、地元や松島を観光してきました。
松島もすぐ隣町です。
もう、同じ景色ではないのかもしれません。
次はいつ帰省するかわかりませんが、その時はまた同じルートを歩いてみたいと思います。

掲載した写真は、すべて震災前の2010年5月撮影です。
携帯での撮影となります。

  

地元の作り酒屋。浦霞と阿部勘酒造店。
浦霞の蔵はただいま修復中のようです。

  

陸奥国一宮 鹽竈神社。
燈篭などは倒れたようですが、社殿はなんとか無事だそうです。
境内からは昔は海が見えたそうです。今は建物のすき間から僅かに見えるだけ。

   

 

旧亀井邸。
大正時代に建てられた、和洋折衷のお邸です。
震災の被害はありましたが、現在公開中です。
蝙蝠の引き手と欄間。蝙蝠は中国や日本では吉祥文様です。
亀井家は日本石油と繋がりが深い商家で、
昔の日本石油のシンボルマークが蝙蝠だったそうです。

  

鹽竈神社から、本塩釜駅方面へ歩くと、昔からの商店の蔵や建物があります。
1720年(享保5年)から続く老舗和菓子店の丹六園。
1845年(弘化2年)から続く、味噌醤油醸造の太田興八郎商店。

 

松島の海。
松島湾には沢山の島があるので、島に守られて
他の沿岸部よりは津波がいくらか緩衝されたようです。

  

松島水族館。
ペンギンやアシカは元気でしょうか・・・

 

みちのく伊達政宗歴史館。

地元の殿様、伊達政宗公の生涯を蝋人形で再現しています。
館内は撮影OKですが、ちょっと不気味・・・
懐かしい、大河ドラマ「独眼竜政宗」のポスターがありました。

これから夏がきて、松島の遊覧船に乗ると気持ちが良いです。
仙台七夕も開催されますし、宮城県にどんどん観光に行っていただきたいですね。