先日、以前放送された、京都の舞妓さんの装いや着付けを紹介した番組のビデオを観まして、そういえば花街によって舞妓の象徴であるだらりの帯の重なり具合が違うなぁと思い出しました。
うちにある書籍や写真などを確認しましたが、確かに結構違いがあります。
戦前などの舞妓さんの写真を見ますと、だらりの帯は左右の重なりが小さく(というかほとんど重ならない)、まさにだらっとした結びなのですが、現代の舞妓さんは左右の重なりが大きく、花街によってはX型です。
昔の舞妓は今の小学生から中学生くらいの年齢の少女で、背も体つきも小さく、だらっとした帯がより子供らしく見えたように思います。
現代の舞妓さんは、年齢も高くなった分、背も体つきも大人とあまり変わりません。
左右の重なりが大きくなったのは、身長や体つきにあわせて変わって行ったようです。
宮川町で舞妓の着付けをする男衆さんによれば、より女性らしく優美に見せるのにだらりの帯の形を工夫されているとか。
何年か前に、祇園甲部の舞妓さんと花街によってだらりの帯の形が違うという話をした事があります。
その舞妓さんによれば、祇園甲部は左右の重なりの大きさは五花街の中では中間くらいだとのことでした。
手元にある写真や書籍での判断となりますが、五花街の中で上七軒が一番左右の重なりが大きく見事なX字。
上七軒の舞妓さん
祇園東はちょうど良い角度の写真がないのですが、宮川町と同じくらいの重なり具合だったと思います。
先斗町は後姿の写真がないのですが、一番だらりとして左右の重なりが小さいと思いました。
先斗町は日本髪の鬢の形や化粧など、昔ながらの雰囲気を大事にしている花街のようなので、より昔の舞妓さんの姿に近いのかもしれません。
祇園甲部と宮川町は基本は男衆さんが着付けをしますが、イベントなどで泊りがけで出張する時などは、同行する置屋のおかあさんや芸妓さんなどが着付けをするので、帯の重なりの具合が普段と違う時があります。
先斗町は後姿の写真がないのですが、一番だらりとして左右の重なりが小さいと思いました。
先斗町は日本髪の鬢の形や化粧など、昔ながらの雰囲気を大事にしている花街のようなので、より昔の舞妓さんの姿に近いのかもしれません。
祇園甲部と宮川町は基本は男衆さんが着付けをしますが、イベントなどで泊りがけで出張する時などは、同行する置屋のおかあさんや芸妓さんなどが着付けをするので、帯の重なりの具合が普段と違う時があります。
男衆さんによる違いもあると思います。
あの帯を締めるのは相当大変らしいです。
筋力つきそうです(^^;)
あの帯を締めるのは相当大変らしいです。
筋力つきそうです(^^;)