しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

秋旅(2)消えゆくブルトレと誕生する電車に立ち会い、西方に思いをよせる

2008-10-19 23:10:35 | 旅行記

10月11日(土)

K池氏のマンションを出ると、外は小雨模様。午後から天気回復という予報を信じて、JR東海道線藤沢駅に向かいます。最後の東京口ブルートレイン「フジブサ」(はやぶさ+富士併結列車)撮影するためです。お立ち台通信に掲載されていた藤沢駅東1.5Km地点までてくてく歩いていきます。目的のお立ち台には、既に重装備の同業者1名がスタンバイ中。了解を得て隣に陣取らせてもらいます。「フジブサ」を待つ間、同業者さんと世間話(マニア話)に興じます。大阪から来たという同業者サンの言う事には、「色々と東海道・山陽筋を渡り歩いたけど、ここ藤沢ポイントが一番!」と太鼓判を押されていImg_4886ました。

←例の231系のヘッドマーク付き団体電車の返しをキャッチ
その割に来ている人が少ない事を指摘すると「今日のカマ(EF66)は43号機で、人気がない機関車だからネ。関東の人は、何号機が引っ張ってるかが大事やから!」と分析してくれます。「さっきまでは231系のヘッドマーク付き団体電車を撮ろうと何人かいたんだけど、通過したら帰っちゃった。あっちの方がこっちの人(関東のマニア)にとっては魅力的みたい」これを聞いて驚きます。いくら珍しいヘッドマーク付き列車とは言え、所詮は通勤電車・・・。それなのに、ブルトレより優先するなんて、あり得ない・・・! 私との感覚の違いに少々戸惑いながら、人気のないカマを待ちます。
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←人気の無い43号機に引かれた「フジブサ」
待った甲斐がありました。予定時刻より数分遅れで通過・・・。関東の方には魅力のないカマですが、私にとってはこの出会いは宝物となりました。同業者サンには待機中にブルトレ情報をいろいろと教えて頂きました。やはり、直接Img_4902人から情報を得ることは大切です。
が、これが万能の真理でないことを、後日知ることになります。
←撤収しようとしたら、こんなのもやって来ました。
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湘南ライナーで大宮まで出て、上越新幹線に乗り込みます。三連休初日とあって新潟行き「とき」自由席は超満員!客室内はすし詰めの為、窓のない連結部で立ちん坊を続けます。高崎・越後湯沢でも解消せず終点までこの状態では・・・と思っていたら<浦佐>で多数下車してようやく着席できました。が失礼ながら<浦佐>のような小さな街で大量の下車客があるのが驚きでした。
長岡で在来線の「北越」に乗り換え新津へ到着。三国山脈を抜け日本海側に来たというのに、どんよりした雲が頭上を覆います。橋上化した新津駅北口から送迎バスに乗りこみ新津車両所を目指します。
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                   ステンレスの板切れ(乱暴な表現ですが)で箱を造り、それにに配線をはわせ、ドアや天井を取り着け、シートを取り付け・・・。そういう風に、徐々に電車の形になっていきます。<見学者は、Img_5005電車が誕生する瞬間に立ち会える>様な展示になっています。
←工場外では、完成したばかりのE233が見学者を乗せて試運転しています。
Img_4985←鉄道工場見学の華は何と言ってもクレーンによる車体つり下げです。
解説の方のアナウンスによれば、車体つり上げより車体を正確に台車に下ろす方が圧倒的に難しく、熟練技術を要するとのこと。私が観た回は一発で決め、ギャラリーから拍手が・・・・・。それにしても電車のボディーが工場天井を移動する様は様はサンダーバード秘密基地かウルトラセブン極東基地内部みたいで、いつ見ても興奮します。
Img_4967←鉄道工場といえば、トラバーサーも忘れてはいけません。見学者を乗せて蟹のように平行移動を繰り返します。メーカー板が見あたらず、由来が分からなかったのが残念。
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←キハE120もお披露目です。私的には、後ろのカラフルなスイッチャーに興味津々であります。
  現在は京浜東北線用E233しか作っていない新津車両所ですが、意外にも楽しめました。
それにしても、流れ作業で次から次、電車が製造されていく様は、昔みたガンプラのCMを思い出させてくれます。《ここジオン開発工場では次々とモビルスーツが開発されていた・・・》というナレーションが頭に浮かびます。もっともここで製造されている白いE233系は連邦軍のGMに似ているような・・・・。
新津車両所を後にして、新津駅から羽越線を北上します。中条駅で下車。今回の新潟紀行の目玉とも言える、伝説の濃厚温泉西方の湯>に向かいます。駅から乗り込んだタクシーの運転手さんに西方の湯に行くよう依頼すると「それどこですか?」との返事。思わず、言葉を失います。地元の認知度低すぎ・・・!住所地番を言い「ああ、あそこね」と頼りない言葉を返し、既に薄暗い新潟平野を海岸方面へ向かいます。
闇の中、どこを走っているのだろうという漠然とした不安とタクシーのメーターがどんどん上がっていく、直接的なサイフへの脅威が気分を滅入らせます。やがて、暗闇の中にほのかな明かりが。
ここが、全国の温泉通をうならせた、西方の湯です。それにしてもタクシー代2350円は痛い・・・。
フロントで500円支払い浴室へ。施設が必要以上?に巨大な為、少々廊下を歩きます。伝説?の温泉に入れるとあって子供の様にわくわくします。服を脱ぎ、浴室の戸を開けると「何じゃ、これ!」と叫んで、ただただこの温泉の凄さに圧倒されます。何がすごいって・・・。とにかくこの温泉、臭うんです!ずばり<アンモニア臭>!ひらたく言えば、便所の香り・・・・。
クレゾール臭、ヨード臭、アンモニア臭が混じっている。例え風邪をひいていて鼻が利かなかったとしても、くらくらしてしまう程に鼻を突く。湯の表面を黒い湯花が浮遊しているのが、ある意味不気味。お湯の色はほんの少しクリームを入れたコーヒー色。
とにかくこの温泉、ただものではありません。
Img_5056 内湯の外には岩風呂風の露天風呂が2つ見えます。照明が無いため、白い湯船と黒い湯船があるように見えました。私は、外の出て白い方に飛び込みます。飛び込んだのは、2本ある源泉の成分の薄い方と思っていました、が・・・・、何の感触もない。狐につままれる思いとはこのことです。あまりの暗さのため分からなかったのですが、お湯が張られているのは1つだけ。私が飛び込んだのは、お湯が無い浴槽でした。トホホです。隣の黒い湯のお風呂に改めて入り直します。少し身体が温まり、周囲を見回します。内湯の明かり以外の灯はありません。ここまで暗いとすこし気が滅入ります。と雲が切れて月の光があたりを照らします。驚いたことに巨大な像が起立しています。親鸞像だということです。15m(文献によっては40mとの記載も!ウルトラセブンと同じ身長や!)本来ならありがたいお姿なのでしょうが月明かりに浮かぶシルエットは奢れる現代人を懲らしめようとする、魔神かエヴァンゲリオンの使徒に見えてしまうのは、私の心が病んでいるからでしょうか・・・。罰当たりな自分を反省しつつ、温泉を出ます。Img_5062 Img_5067         Img_5075               ←温泉ねこ 1歳の<もも> いつの間にか脱衣場に入ってきて、人なつこくすり寄ってきます。相手にされないと駕篭に入って「かまって、下さいニャー」と拗ねた仕草をします。私としては、ついつい構ってしまいます。彼女に気に入られた?だけでも来た甲斐があった!?
ともかく、これほど過激、もとい個性的な温泉は全国屈指と思われます。温泉通を自認する方は、一度は入浴すべき温泉と思われます。また施設自体もユニーク(ちぐはぐ)でありTV番組「探偵ナイトスクープ」で時々取り上げられる<パラダイス>の範疇に明らかに入ると思われます。
フロントで帰りのタクシーを呼んでもらい、JR中条駅へ。帰りのタクシーの運転手さんは来たときと同じ方でした。「私は、最近当地に来たばかりで実はまだこの土地をよく知らないんです。でもお客さんのおかげで<西方の湯>を知ることが出来ました。勉強させてもらいました。」嬉しそうに話しかけて来ます。私は心の中で<そんなこと言うなら、タクシー代もう少し勉強してよ!(まけてください)>叫んでいました。だって入浴料500円に対して往復約5000円の交通費はバランス悪すぎですもの・・・。とはいえ
貴重な経験でした。

そう考えれば、今日の出来事は全て愉快に思えてきました。
今日は新発田に戻って、明日に備えます。

秋旅(1)20世紀の光景を求めて

2008-10-18 23:57:12 | 旅行記

10月10日(金)

今日から4泊5日の予定で旅に出ます。

高速鳴門で神戸方面行き始発バスに乗りJR新神戸駅へ向かいます。

Img_4692 ←新神戸駅で西進する0系「こだま」と遭遇。「20世紀の残照。0系が見られるとは!こいつは幸先よい」と一人喜んでいました。

8:25分発、ひかり364号に乗車し、静岡を目指します。久しぶりの東海道新幹線ですが、車内で爆睡!目が覚めたのは静岡到着直前。新幹線を降りても頭の中は、なかなか目覚めてくれません。

Img_4700 静岡から在来線に乗り継ぎ吉原へ。西側の跨線橋を渡るとそこは岳南鉄道の乗り換え口。左に見える緑の電車は、京王井の頭線デハ3000形の中間車を改装・運転室を設けた8000系「がくちゃん かぐや富士」(長い愛称)。右奥に見えるは、元松本電鉄のEO403号車電気機関車。ここでは、日本では絶滅寸前の私鉄貨物輸送を行っています。そして、これから訪れる比奈駅ではおそらく最後の突放*が行われています。これを見るために、私は駿河まで来ました。

*突放入換とは、入換機関車が推進運転で貨車の列を加速した後、列の途中の連結器を解放する。その後、機関車は急ブレーキをかけると、解放された先頭側の貨車は、慣性で走り続ける。貨車に添乗した構内作業掛が、突放された貨車のブレーキを操作し、貨車を目的の位置に停止させる一連の作業。端から見ていると、ひとりでに無人の貨車が走ってくる様である意味不気味・・・。いや不思議・・・。

Img_4709比奈駅を降りると、駅舎側に留置してあったチョコレート色のクラッシックな機関車ED501*に運転士が乗り込むのが見えました。これから入れ替え作業が始まる模様。なんと良いタイミングでしょうか!

*昭和3年川崎車両製で上田温泉電軌でデロ301号として使用。昭和40年三河鉄道へ譲渡後に名古屋鉄道へ入籍、ED501となった。昭和45年岳南鉄道へ譲渡。とても現役とは思えない、文化財級の機関車といえる。

Img_4746  ←動き出した貨車に、係員がしがみつき製紙工場内に運ばれていきます。

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←機関車が工場内にワムを押し込んでいきます。

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←貨車の入れ替えを縫うように、「新赤がえる」7000系電車がやって来ます。(同じく京王井の頭線デハ3000形改造車)

Img_4739 Img_4741 ←係員をステップに乗せたED501が工場から出てきます。

Img_4778←比奈駅隣接地に放置されているなぞの廃車体群

先ほどの作業は、普通の入れ替え。見たかった突放ではなかったけれど、車扱い貨物全盛期を彷彿とさせる作業でした。今が21世紀とは思えない、昔ながらの作業を間近で見ることが出来て大満足です。

Img_4847JR吉原に戻り、沼津に向かいます。ここで御殿場線に乗り換え。富士の裾野を越えていきます。松田にて途中下車。ここで小田急「新宿」直通特急<あさぎり6号>に乗り換えます。JR松田と小田急とはごく短い短絡線によって結ばれています。ここを通る列車は<あさぎり>4往復のみ。この短い短絡線を乗車しないことには、<日本の鉄道全線完乗>を達成できません。よって、<あさぎり>乗車は、この旅行の要でもあります。JR松田駅で切符を購入すると、硬券2(乗車券+特急券)と磁気券1(座席指定券)の計3枚出されてびっくり・・・・!

JRの駅で硬券が発券されるとは・・・。今が21世紀とは思えない!

↓JR側駅舎から短絡線方向をのぞむ。左側の線路が急カーブを描いて小田急線に接続する。

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このクラッシックな硬券で乗り込む電車が、未来的なデザインをしたJR東海371系電車です。この電車、タマゴを彷彿とさせる柔らかなフォルムを持ち、デザイン的にはJR特急の最高峰だと(私は)思います。同じ区間を乗り入れているケバイ塗色(私の主観)の小田急20000系電車より洗練されていると

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車内も外装と違わず、登場当時JR東海が、いかに気合いを入れたかが分かるものとなっています。これだけ素晴らしい電車でありますが、量産されずわずか1編成しか作られませんでした。少数派故、消えるのも早いかもしれません。それまでに撮影したい列車です。雪のかぶった富士山をバックに1枚ものにしたい・・・。そんな望み(欲望)が湧いてきます・・・・。そんなことを考えている内に、新宿の高層ビル群が見えてきました。いつの間にか、知らないビルが増えています。

新宿からJRに乗り換え上野駅へ。Img_4874上野駅のコインロッカーに荷物を詰め込み上野公園に向かいます。先ほどまで激しく降った雨は上がった様ですが、陽はとっぷり暮れています。公園内は結構人通りも多く、賑やかです。7~8分歩くと目的の東京都美術館に到着しました。「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を鑑賞します。今回の旅の行程で外せなかったのが<これ>!金曜日のみ8時まで開館(入館は7時30分)を利用して、かねてよりの念願を果たします。17世紀オランダの画家フェルメールは、現存する作品がわずか三十数点しかありません。この少ない作品のどれもが、西洋美術の至宝と呼んでもよいものなのですが、今回この展覧会に以下の7点が出品されています。

・マルタとマリアの家のキリスト
・ディアナとニンフたち
・小路
・ワイングラスを持つ娘
・リュートを調弦する女
・手紙を書く婦人と召使
・ヴァージナルの前に座る若い女

寡作な作家の作品、30数分の7が一度に集まるのですからこんな機会は滅多にありません。このようなわけで、遠くまで来てしまいました。本来なら海外の美術館に足を運ばなければならないのですから安上がりだとも言えます。

とは言え、今回はフェルメールの代表作といえる作品は来ていません。予定されていた<絵画芸術>は画が傷む恐れがあることからオーストリア政府から国外持ち出し許可が下りませんでした。ヒットラーが欲した、この絵を見てみたかった。こうなればウィーンに行くしかないんですが・・・。いったい、いつのことになるだろうか・・・・・?

光の魔術師の秘密を少し覗くことが出来ました。ともかく1600円の価値はありました。

願わくば<真珠の耳飾の少女> <牛乳を注ぐ女>の様な代表作が、いつかまた日本に来て欲しい・・・・*

*2000年以降、両作品とも日本に来ていました。このころは、絵画から遠ざかっていたとは言え、残念・・・・!2004年に神戸に、現在は国外禁止の<絵画芸術>が来ていた事を後で知り大ショック。

さて上野から秋葉原に電車で移動します。鉄研同期で現在単身赴任中のK池氏と待ち合わせ、何故か手羽先屋さんで再会を祝います。そこでジョッキを傾けながら、昔の鉄道談義に花が咲きます。K池氏も私も貨車を趣味とした仲間同士です。あそこの駅は撮影させてくれなかった。敷地外から撮影していたら、くず鉄泥棒と間違われてしまった等、今となっては懐かしい思い出話ばかりが出てきます。そして話の最後に「もう21世紀になってずいぶん経つからね。いままでよく車扱いの貨物輸送が残ってきたと思うよ・・・・。でも、もう貨車の趣味は終わってしまったな・・・。本当に・・・」という寂しい言葉を合図に、ささやかな宴は終わります。今夜は、東武「五反野」付近のK池氏のマンションに泊めてもらいます。思い出話が過ぎたのか足元が頼りない帰路となりました・・・。