先日の日曜日(26日)は、「発掘」の現地説明会に行ってきました。
能美市西任田(にしとうだ)の遺跡です。
北陸新幹線を敦賀方面に延伸するのに、高架下になる所を発掘しています。
実は、此処は今、私が週2回お仕事として行っている所です。
日ごろ黙って掘ってるだけでは訳がわからないので、
説明を聞きたいと行きました。
でも、翌日お仕事に行ったら、「あら、Kさんも行ったらしいけど、
あんた来てなかったって言ってたよ。」
「えっ、行きましたよ。 あ、日ごろの恰好と違ったからね。
わからんかったんや。」
そうです、ヘルメットの下に日よけ帽子、
首はタオラーで、エプロン、軍手に長靴ですから。
夜中に相当の雨が降ったので、朝は池状態だったのを
ポンプで汲み上げるのが大変だったそうです。
ここは平安時代の住居跡が現れた所だったかな?
丸いのは柱の跡です。
私達作業員は平地からこの跡を指示されながら
鎌やスコップで掘り出して行きます。
あ、飛行機! 関係ないのに、思わずシャッターを。
そんな気になる、久しぶりの青空でした。
掘った土をベルトコンベアーで外に出します。
この土が濡れた粘土だと重いので結構しんどい。
この日は一般向けの説明会で、考古学に興味ある方など
たくさんの人が来ていました。
埋蔵文化センターの現場監督さんが説明されました。
「こんな風に削るんです。」
ちょっと見にくいですが、両刃の鎌で壁を削っています。
柱跡の発見は、
地面を薄く削ると、白っぽい土に囲まれた黒い土が現れます。
これが何かの跡で、真ん中は窪んでいた証拠に
土が柔らかいです。
これを「10cm落としてください」とか言われて
穴にします。
お隣でやってる方がツルツルの綺麗な穴にしていると
大ざっぱな私は焦ります。
一列にずら~っと並んで削って行くときなどは
私は丁寧でもないのにいつもビリです。
ここはきっと奈良・飛鳥時代?
河の遺構です。
最近は雨が多いので、ぬかるんだ粘土は長靴が抜けなかったり、
「転んだらアンコロ餅だよね。」とか言いながら
ぬた場で格闘することが多いのですけど、
これが、なぜか結構楽しくて、しんどいけど行くのは全く苦じゃないから
不思議です。
でも、私は週に二日ですけど、これを毎日行かれてる方が
ほとんど。
しかも、私より年上の方が多い!
「腰いたた=。」とか言いながらも、お元気な驚異の人々です。
それに皆様明るくて陽気。
朝のラジオ体操から始まって、休憩ではおやつがいっぱい。
ずっと5時までしゃべり続けながら手を動かしてる方も。
お弁当を持ってパパさんと(時々別に)行ってます。
頭の上ではひばりのさえずり。
見渡す限り緑のたんぼ。
熱くてもいつも風は爽やか。
小鳥ばかりか、中鳥(とんび、サギや名前のわからない白い鳥)もいます。
これでアルバイト料がいただけるなんて。
なんか、いい気持ち~~、なんか、楽しい~~・・・
でも、畑も庭もその他いろいろあるし、2日でいいかな。
それに「発掘の醍醐味」!、
建物の中で、出た遺物の展示と説明があったのですけど、
これ! この真ん中の物は私が掘り出したんです。
わ~展示されてるとは思ってなかった。
なんと、二千年近く前の物らしいです。
私は二千年前の人が触れた物に触れたんだ。
皆様次々と掘り出してるのに、私は何もあたらないなぁ・・・と
ちょっと沈んでいた矢先、
ひたすら地面を削っている時に「カチン」と鎌の先に
手ごたえの感触を今も手が覚えています。
「石かな?」と思って、監督さんに「石でしょうかね、捨てますか?」
とか言ったら「いや、待て待て、調べるから。」と
持って行ったので忘れてたら、後で来られて
「あれはすごい物やったで」と言われて、「やったー。」と
感激してました。
発掘はそんな、古代に触れるロマンがあります。
ここで、大昔の人々がどんな生活を営んでいたんだろう・・・。
「昭和九年の大洪水」の写真なども展示されてました。
その昔、「暴れ川」と言われた、一級河川の「手取川」の
歴史に残る大洪水だったとか。
「手取川」は何度も川筋を変えて、周囲に甚大な被害を与えたらしいです。
だから、この辺りは砂や石が多いです。
さて、私めは、今の所に越してきた頃も誰かに誘われて
「発掘」に山の方に行ってました。
それから、ゴルフ場の工事やら、花壇の植え込みやら、
宅配やら、自称「元祖フリーター」ですけど
思えば全部肉体労働ばかり。
昔は、自分はおとなしい(自称)「文学少女」と思ってたのに、
いつから「肉体労働系おばさん」になったのだろう?
不思議です。
今ではお友達に「あんたは体育会系だよ!」と
言われてます。
納得できないけど。
正直、汚い恰好が落ち着きます。
綺麗な装いは落ち着かない。・・・
だからお店は続かなかったのかも、ごめんなさい。
人間って、変わるものですね。