羽生選手!
22歳のお誕生日、おめでとうございます!
早速良いニュースが入っていて、ちょっと嬉しくなりました。→ 日刊スポーツ・羽生選手・現地到着のコメントつきニュース
今年は、極めて高い芸術性と、その人のもつ使命とが合わさった上で生み出されたと思われる、
私の記憶に残る、元・歴代王者たちの名演技をいくつか選んで、贈ってみたいと思います。
羽生選手が22歳の誕生日を迎えるこの日、グランプリ・ファイナルのために、日本ではなくてフランスにいらっしゃるので、
まずは、安全と守りを祈りつつ、
そのフランスでの長年の王者だった、ブライアン・ジュベールさんの、最新の名演技を最初に…
羽生選手もよくご存知のように、ブライアン・ジュベールさんは、プルシェンコ選手と共に、4回転時代を支え続け、試合では最後まで4回転にこだわり続けた4回転ジャンパーの代名詞ともなる一人です。
20代最後まで続いた選手生活の最後の数年は、4回転を跳んでも、あまり報われているようには見えなかったけれども、
でも、この演技を観て、私は、彼の今までのどの演技よりも深く感動したし、印象に残りました。
4回転はないけれども、本当に素晴らしかったし、ジュベールさんの本当の凄さが見えた気がしました。
きっと、他の誰がやるよりも、このテーマをやるべきだったのは、ブライアン・ジュベールさんだったのでしょう。
ずっとフランス王者だった彼が、フランス国内でやるからこそ、
きっとそれが彼の使命だったからこそ、ここまでの感動があるのだろうとも感じます。
演技終了後にブラヴォー!の声が飛んでいるけれども、本当に同感です。
テーマは本当に重いけど、演技をやる前もやった後も、彼の顔が、とても穏やかで優しい笑顔に満ちていて、輝いて見えます。
こういう姿を見る時、試合の勝敗やその人の経歴などをも全て超えて、フィギュアスケートの素晴らしさを感じます。
次は、羽生選手の振付師、ジェフリー・バトルさんの現役時代最後のフリー演技、
2008年世界選手権優勝時の、「アララト」です。
この演技は、4回転こそないけれども、ジャンプの天才と呼ばれる羽生選手と比べれば、明らかにジャンプが苦手だったバトルさんが、ジャンプをノーミスで終えただけでなく、ものすごい気迫と表現力で最後まで滑り切り、会場を興奮の渦に巻き込んだ、渾身の演技です。
最後の方は、見ていても鳥肌が立つ感じでした。
信念をもって4回転トウループを成功させたにもかかわらず、結局銀メダルになってしまったブライアン・ジュベールさんの、ちょっと悲しな表情がチラリと映っていて、その瞬間が本当にちょっと切なくなるけど、演技全体を通してみた時、バトルさんの優勝は、私は終わった瞬間に確信しました。
演技終了後の、バトルさんの、見たことがないほどの喜び爆発ぶりが凄いです。
皆様もご存知のように、カナダ国民の五輪への期待をよそに、バトルさんはこの試合での演技を最後として、彼は現役を引退しました。
タイトル「アララト」とは、現在のトルコとアルメニアの国境付近にある有名な山で、旧約聖書でノアの箱舟がたどり着いた場所がここの山頂だと言われていて、その高い山頂付近に今も残骸らしきものや痕跡がある、有名な「聖なる山」の名前ですが、
この音楽は、映画「アララトの聖母」から来ていて、この映画は、そのアララトのふもとで行われたアルメニア人大虐殺の史実を、被害者側の視点から描いたもの。
カナダで制作されたけれども、加害者側から脅迫メールが殺到したと言われる、ある意味、命がけだったらしい映画。
明らかに全身全霊で演じたバトルさん、彼の胸に秘めていたであろう思いや覚悟、演技のテーマ、音楽の背景、全てが合わさった瞬間が生み出した感動だったのだろうと思います。
次は、羽生選手の演技を除いた中で、男子シングル史上、最も私の記憶に残っている演技。
当時史上最高演技とも言われた、エフゲニー・プルシェンコ選手の、トリノ五輪のエキシビション。
アンコール部分
日本語の解説が、言葉を失って絶句しています。(笑)
基本、説明のいらない演技。(笑)
アンコールは、解説も言うように、確かに「ただ滑っているだけ」なのに漂う、圧倒的な王者の威厳。
演技を録画しては、消す、のが基本だった私が、初めて繰り返し繰り返し観続けて、いつまでもちっとも録画を消すことができなくなってしまった演技でもあります。
いつかこれと並ぶか、これを超えるほどの崇高さに満ちた王者の演技、芸術性の高い演技がまた出てきたらいいのに… でもさすがにそれは無理そうだね… と思っていた私は、
今、本当にワクワクしています!(笑)
一人一人の個性は違い、花の形もみな違うから、そのベストを比較することは本当は難しいです。
でも、トリノで女子金メダリストだった荒川さんのエキシビションの澄んだ美しさ、優雅さと気品、
男子金だった、このプルシェンコ選手のど迫力・威厳と崇高さに満ちた王者の演技、
どちらも素晴らしいけれども、その両方の要素を同時に盛り込むような離れ業の花を咲かせられるのは、きっと羽生選手ぐらいでは…。
さて次は、先日もNHK杯の試合の会場となった、同じ「札幌の真駒内」で行われた、1998年のNHK杯のものですが、
そこで本田武史さんが、日本人で初めて、国際試合で4回転トウループを成功させた時の演技です。
本田さんの、あまりにも嬉しそうな表情、喜び爆発後、安堵に満ちた笑顔が本当に眩しいですね。(笑)
背後にチラッと映る、当時の超・有名なバナー、「笑え!武史!」が懐かしいです。(爆笑)
いつもこれを見て、むしろ観客やテレビの視聴者が先に笑っちゃうよ、という、素晴らしき傑作。
稀に見るほどの清々しさと高い技術力で日本の天才と叫ばれ、高い期待を背負っていた当時の本田さんが、
ロシアのトップ勢と比べて足りないのは、演技中の「笑顔」だと言われていたからこその、愛情ですね。(真剣な、やや深刻な表情が多かったので。(笑))
この時本田さんが優勝を争っていたのは、他でもない、まだ16歳の若きプルシェンコ選手。
4回転+3回転トウをフリーで成功させて、安定感と天才っぷりを見せつけて、見事に優勝していきました。
今日、12月7日は、今ニュースを騒がせているように、
日本の歴史をさかのぼれば、安倍首相の真珠湾訪問でも解るように、日本がアメリカに真珠湾攻撃をしかけた日でもあります。
今でも遺族は苦しんでいる… それは、どこの国でも同じです。
→ 「真珠湾被害者の子供ら「許したいが苦しんでいる」 朝日新聞デジタル記事
私は、アメリカ人複数と原爆の話になった時、一人の人に、「自分は、父を真珠湾攻撃で日本人に殺された…」と言われ、そのまま目の前で泣き崩れられ、号泣されたことがあります。
その時の、本当にやりきれない気持ち、泣きたい気持ち、胸のどうしようもない苦しさ、悲しさ…
私は本当は、日本の被爆者の側の事実や思いを少しでも伝えようとしていたのだけど、言葉をつづけることができなくなってしまいました。
何も言えなくなり、ただ泣いて祈るしか出来ませんでした…
あの時ほど人間というもののどうしようもない罪深さを感じ、自分のせいではないのに、どうしようもなく、深い悲しみに襲われたことは、多分ないです。
でも、そこで気付くのです。
そんな時にも、祈ることができるというのは、なんという幸いで、なんという慰めか、と。
そして、当時の当事者ではない人間や、後世の人間が、
歴史に残る遺恨に、出来ることなんて少ないかもしれないけれども、後世の人だからこそ、出来ることというのもあるとも気づけます…
政治には、決して純粋だけではない「思惑」「政治戦略」が絡んでいることも多々あります。
だからこそ、政治的利害関係や思惑のない人たちにだけ、できること、やるべきこともきっとある…
次は、五輪金を2度とった女王、カタリーナ・ヴィットさんの、リレハンメル五輪のフリー演技を。
サラエボ五輪、カルガリー五輪で2度も金メダリストになり、引退していたヴィットさんが、リレハンメル五輪でわざわざ復帰したのは、
想い出の地・サラエボが、戦火にさらされた悲しみから平和を訴えるためであり、使命感に駆られて演技をするためでした。
こちらが、当時NHKで放送された、ヴィットさんのインタビューつき番組動画。
ヴィットさんの言葉が、多くの人を感動させました。
そしてこちらが、ジャンプミスもあったし、総合7位に終わったけど、当時見ていた多くの人の記憶に強く残る、そのフリー演技です。
サラエボ五輪で金メダリストになった彼女だったからこそ、出来た役割を、順位へのプライドを捨てて、彼女は果たしました。
演技直後の表情、得点を見ている時のヴィットさんの顔に浮かんだ穏やかな表情が、ある意味、金メダル並みだったと思ったのは、決して私だけではないでしょう。
この演技は、女子フリーのトリを飾りました。
得点にブーイングが出ているのは、観客が演技に、得点以上のもっと高い意味や価値を見出したからでしょう。
彼女が、「表現力の女王」と呼ばれた本当の意味が分かった気がしました。
そしてこの五輪で、金メダルを取った人こそは、あのオクサナ・バイウル選手。 EXで「白鳥」を見事に演じました。
聖書で、Prince of Peace (プリンス・オブ・ピース)という有名な表現がありますが、
(日本語聖書では「平和の君」、と訳されていますが、直訳すれば「平和の王子」です)、
これは、旧約聖書イザヤ書9章5節に出てくる、メサイア(=メシア、キリスト、救世主)についての「預言」の箇所で呼ばれる名で、
イエス=キリストの別の呼称でもあり、敵意と憎しみを滅ぼす象徴でもあり、真の平和はそこから始まるという宣言でもある、
この言葉を悪魔は大変嫌がると言います。
最後に、それを見事に象徴するかのような演技を。
羽生選手が最もワクワクしたというソルトレイクシティ五輪で金メダルをとった、
アレクセイ・ヤグディン選手のエキシビション、「Overcome」。
真っ黒でシンプルな服に、金色に輝く十字架だけを胸につけて、曲のタイトルを 「Overcome」にわざわざ変えて演技したヤグディン。
「Overcome」とは、「克服する」とか、「打ち勝つ」という意味ですが、
これは聖書の中で数え切れないほど何度も出てくる、非常に有名なキーワードでもあります。
これはイエス=キリストが悪魔に、あるいは悪魔が支配するこの世に、十字架の死により「打ち勝った」、
その罪の赦しによる「勝利の宣言」、「救いの勝利」を意味する表現で繰り返し使われ、
闇の力に「打ち勝つ」、悪の奴隷状態からの人間の解放を意味し、キリストに従う者たちの勝利の表現として、繰り返し何度も使われている言葉なのです。
悪による束縛を断ち、しばりつけられている結び目をほどき、虐げられる人々を解放していくーーー
悪魔への完全勝利、十字架の救いの本当の意味を、ヤグディン選手の演技は、身体全体で表現しているように見えます。
周囲を壁に囲まれたような世界に始まり、途中でパントマイム的に表現している、首を吊られたような人が、その縄目が解かれていくポーズをとっていき、その後は自由になった喜びを表現しているのがわかるかと思います。
ラストで、天に栄光を帰しています。
この演技には、ヤグディン選手自身の、やや不幸だった生い立ちからくる、人生への深い意味があるだろうと思いますが、
でも多くの日本人が想像する以上に、この「Overcome」(打ち勝つ)と名付けられた演技には、衣装にも振付にもタイトルにも、さらに非常に深い意味が込められていると、私は思っていますし、多くの欧米人には伝わっていたでしょう。
最後に、旧約聖書で「神に従う道」 とサブタイトルのつけられている、イザヤ書58章6節から9節 からの言葉を。
「悪による束縛を断ち、軛(くびき)の結び目をほどいて 虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
さらに、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、
裸の人に会えば衣を着せかけ 同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で あなたの傷は速やかにいやされる。
あなたの正義があなたを先導し 主の(=神様の)栄光があなたのしんがりを守る。
あなたが呼べば主(=神様)は答え あなたが叫べば 「わたしはここにいる」と言われる。 」
映像の中でヴィットさんが語る「花」は、命の短い花だけれども、
私がこのブログのタイトルにつけた「花」は、人の輝きの象徴だから、「短い」意味は全く込めていませんし、
少しずつ形を変えてでも、その人に与えられた使命に沿って、永遠に咲き続ける意味で使わせてもらっています。(笑)
羽生選手が、今現在のベストの花を、大いに咲かせられますように…!
最高の笑顔で終えられますように!
世界中で見ている人々に、笑顔の花が咲き広がっていきますように…!
そして、22歳の1年間が、今まで以上に祝福された1年となりますように、お祈りしています!