12月12日追記:
ロッテのガーナだけでなく、キシリトールまで、羽生選手にOKサインを、しかも目玉に当てさせてやらせて写真を撮っていたことが、キシリトールボトルのおまけの売り出しにより判明した以上、申し訳ないけど、これをやらせたロッテの関係者は、完全に分かったうえで、最初からやらせていたんだな、と私は思うしかなくなりましたね。
下の記事では載せていませんが、目玉に当てたOKサインこそは、典型的なサタニスト(悪魔崇拝主義者)のシンボルマークとして、海外では有名ですので、皆様、知っておきましょう。
何でしょうか、あの、キシリトールボトルのデザインクリップの一つの写真は。
何の必要があってやらせたのでしょうか? わざとらしいし、不自然極まりないです。
また、4連覇した直後のこのタイミングで出してきて売り出すというのが、羽生選手への究極の侮辱ですね。
私は当分、ロッテの商品は買いません。 心の底から、ロッテにはガッカリしましたし、本気で怒りました。
さすが、こんなニュースが載っていただけのことはありますね。
知らない人は、読んでおいてください。 →サンケイ新聞9月下旬の、ロッテの裏金疑惑ニュース
本当に意図的でなかったなら、あんな写真、わざわざ使わなければ良いだけだし、一部ほんのちょっとカットすれば良いだけなのに、それなのに、そうせずに、相変わらずCMを流したり、おまけの写真にしてまで、羽生ファンの間に広めたい意図は何でしょうか?
その程度の配慮も出来ない企業だということは、よくわかりました。
羽生選手と、浅田真央選手の上に、主イエス=キリストの絶大な守りと保護がありますように、このことがむしろ、多くの人たちの守りと祝福につながっていきますように、心からお祈りいたします!
「この者ども(=悪魔に従う者たち、サタニスト)は心を一つにしており、自分たちの力と権威を 「獣」(=悪魔系組織のトップにくる人間を表す象徴の言葉)にゆだねる。
この者どもは小羊(=イエス・キリストのこと)と戦うが、小羊(イエス・キリスト)は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。
小羊(=イエス・キリスト)と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」
(ヨハネの黙示録17章13~14節: 新約聖書 新共同訳より)
そして、天使はわたしにこう言った。
「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、ご自分の僕(しもべ)たちに示されたのである。
見よ、私はすぐに来る。(※わたしとは、イエス・キリストのこと)
この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」 (ヨハネの黙示録 22章6~7節 新約聖書・新共同訳より )
「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。 時が迫っているからである。 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者には、なお汚れるままにしておけ。
正しいものには、なお正しいことを行わせ、聖なる者には、なお聖なる者とならせよ。
見よ、わたしはすぐに来る。(=イエス・キリストがこの世に戻ってくるということ。レッツゴー・クレイジーで歌われている内容です。)
わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」 (ヨハネの黙示録 22章10節~13節 新約聖書 新共同訳より )
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さて、今回は、
日本の二人のフィギュアスケートの天才、羽生結弦選手と浅田真央選手のファンとして、国際社会で誤解を招かないために、
知っておくべきと思われること、注意しておくべきことがありますので、
少しだけ書いてみたいと思います。
今シーズン、グランプリ・ファイナルはフランスですし、先週末行われたのも、フランス杯でした。
フィギュアスケートの大会は毎年、主に欧米、ロシア、アジアの、世界の各地を転々として行われます。
フィギュアスケートのスポンサー企業なら、そのことをよく理解したうえで、国際社会で活動するにあたって、
最低限、知っておくべき「知識」は備えておいてほしいものです。
ロッテのガーナは、今回、「ときめき」をキーワードにしてCMを作っていました。
そのこと自体は、別に問題ありません。
だけど、今年はなぜか、そのCMのためだけにわざわざ、コブクロに新曲を作らせたそうです。(※ロッテのHPでそのように説明されていました)
つまり、今年CMで使われたこの曲はそもそも、CM起用されるはずだった羽生選手と浅田選手と共に使われる曲として、
最初から意図的に作られた曲だったということがわかります。
しかし、歌では、なぜか、「OK」がサビの部分の中心に仕上げられているため、
CMでも流す歌の部分、キーワードは、むしろ「OK」になっています。
その結果、チョコレートのCMだというのに、チョコレートを食べるシーンは一切ないけど、
なぜか何の関係もない「OKサイン」が目立つCMとなっています。
結果、テレビの宣伝や宣伝動画でも、OKサインが強調されているものばかりでした。
羽生選手には、監督が何度も頼み込んで、このハンドサインをやってもらったということが、様々な記事やメイキング動画から明らかになっています。
浅田真央選手は、どうやら明るくやってくれたようですけどね。
さて、ではこの「OKサイン」ですが、国際社会では、本当は一体どんな意味を持っているのでしょうか。
このサインは、主に北米で、大丈夫、OK, という意味を伝えるためのジェスチャーとして理解されてきました。
しかし、近年では「北米でも」、別の意味をもつサインとして悪い意味で解釈されてしまうことが多いため、
特に移民や観光客が大勢存在する地域や、観光客の多い「大都市」圏を中心に、
使ってはいけないハンドサインとして認知されつつあります。
北米以外の世界では、このハンドサインはもともと全く別の意味をもち、むしろ侮辱や下品さを表すことも多く、
大変な誤解を招いたりトラブルを招いたりするため、
自分の信頼を失墜させないために、海外のどこであっても、
「海外ではやらない方が良い、あるいは、むしろやってはいけない、注意が必要なサイン」として取り扱われる、
有名なジェスチャー、ハンドサインの一つとなってきているのが現状です。
参考1: 例: 「OKのサインはギリシャでは同性愛者の意味―海外NGジェスチャー4つ」→http://woman.mynavi.jp/article/131124-017/
具体的に、国際社会でどんな意味があるのか、どのように認識されてしまうのかを説明するために、以下のHPを一部翻訳させて頂きます。
使わせてもらうのは、英語のウィキペディア。 ↓
https://en.wikipedia.org/wiki/OK_(gesture)
ウィキペディアは、いつも正しい情報が載っているとは限りませんが、調べた限りでも、この内容はほぼ間違いないということなので、これを訳させてもらいます。
ここでは、このOKサインが、良い意味で使われる場合と、中立な意味と、悪い意味で使われる場合が説明されています。
良い意味、とケースは、文字通り、「いいよ」とか、「OK」の意味ですね。
中立の意味、という説明の箇所では、日本でのことが紹介されています。
このサインを横向きにし、丸の部分を上にして差し出したときに意味する、お金や現金を表すこと、
あるいはそれらの催促の意味になることが説明されています。
(でも、日本で、「お金」の意味として使われる場合も、決して「上品な」場面で使われるものではありませんね。)
さて、一番問題となる、否定的な意味、あるいは、悪い意味、のケースの説明です。
かなり多くて、長いです。
Negative connotation
While the gesture is positive in some countries, in certain parts of middle and southern Europe (although not in Spain or Portugal) the gesture is considered offensive,as in you are a zero or you are nothing. The connotation of zero or worthless is known in France and Belgium, while in some Mediterranean countries such as Turkey, Tunisia, and Greece, in the Middle East, as well as in Brazil and parts of Germany, and several South American countries, it may be interpreted as a vulgar expression: either an insult , the slang for anus itself, or an offensive reference to homosexuality.
中部から南部ヨーロッパのある地域では、(スペインとポルトガルは除く)、このジェスチャーは攻撃的なものとみられ、
「お前はゼロ(無)だ、とか、お前なんか存在意味がない」という意味とみなされる。
「ゼロ」、または「価値がない」、という意味を含んでいるものとして、フランスやベルギーでは知られているが、
一方で、トルコやチュニジア、ギリシャといった地中海周辺の国々や、中東、
さらには、ブラジルやドイツの一部、南アメリカ大陸の複数の国々では、これはとても下品な表現として解釈されてしまう。
肛門そのものを指す俗語として、あるいは、ホモセクシュアルについての攻撃的な意味となり、そのどちらであっても、侮辱として理解されるのだ。」
また、上の文章には説明で書かれていませんが、私は北米で、
「このサインは、女性の陰部を意味するから、下品だし、酷い誤解を招くから絶対に使うな」、
と言われたことが、過去に何度かあります。
北米には、移民も多いだけでなく、世界中からの観光客も絶えずいますので、それ以外にも、文化によって上に載せたような様々な意味になり得るため、
特に観光地では、気を付ける必要があります。
さらに、最も問題になるのが、次の意味の時です。
In the Arab world, this sign represents the evil eye, and is used as a curse, sometimes in conjunction with verbal cursing.
In the view of some Occultists, it is the number 666, due to the circle and the three fingers behind it. The sign is associated with the Illuminati or Freemasonry by some conspiracy theorists, especially when shown in the media and used by mainstream entertainers.
In some areas both the positive "OK" and the negative forms are practiced, which can lead to confusion over which meaning is intended.[
「アラブの世界では、このサインは、「悪の目」(邪悪の目)を表し、「呪い」の表現として使われているものであり、
時には、言葉による呪いと一緒に使われる。
オカルト信仰者(悪魔崇拝主義者)たちの視点からは、このハンドサインは、「666」という数字を意味する。 (下に注釈あり)
( 丸の後ろに三つの指を立てる必要があるが、それにより、数字の6が3つ重なったとみなされる。)
一部陰謀説によると、特に、メディアの中で、主流のエンターテイナーたちによってこのサインを見せられた場合には、
イルミナティやフリーメイソンと関連があるサインだと解釈されている。
普通の「OK」の意味と、否定的な意味での両方とが、実際に使われている地域では、
どちらの意図でやられたのかについて、混乱を招く要因となっている。」
と説明されています。
注: 陰謀論などとは関係あろうがなかろうが、
そもそも 666とは、聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる有名なシンボルで、終末の世に現れると預言されている、悪魔側のトップに立つ代表的人間を表す、象徴的な数字です。
「獣」とも呼ばれ、これに該当するのは二人登場するとされ、(最初の)獣と第二の獣、などと表現されています。
世界統一宗教を作って世界を支配下におき、あるいは、世界統一経済体制の下、世界中の人々を支配下に置いて事実上の奴隷化していく組織のトップにつくことになっている、悪魔に完全に操られた「人間」を指して、聖書では666と表現してヒントを与え、その時代に生きる人類に対して、これに該当する人物のやることに気を付けるよう、警告の預言がされています。
参考聖書箇所:
「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、
獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、
すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。
この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。 数字は人間を指している。
そして、数字は666である。」
(ヨハネの黙示録 13章15~18章 新約聖書 新共同訳より )
そして、この「獣」は、悪魔と共に、最後には地獄行きが確定しているとされています。
「すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。 そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。
そこにはあの 獣 と偽預言者がいる。
そして、この者どもは、昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。」
( ヨハネの黙示録 20章 9,10節 新約聖書 新共同訳より )
このヨハネの黙示録というのは、最後に次のような言葉で結ばれており、人間が勝手に変更を加えると大変なことになるとされています。
「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証する。
これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、
その者が受ける分を取り除かれる。 (=天国に入れてもらえないことになる、という意味。)」
( ヨハネの黙示録 22章18節~19節 新約聖書 新共同訳より )
いわゆる「ハンドサイン」や、「ジェスチャー」の類は、海外では違う意味をもっていて、大きな誤解を招くことはよくあります。
フィギュアスケートという国際的なスポーツ、あるいは、芸術的要素の強いものとして理解されているものに関わる人々やスポンサー企業なら、
CMで使う選手たちのイメージをきちんと考え、そのようなリスクをきちんと考えたうえで常に行動して頂きたいですし、
それが「ただの無知」から行われてしまったのだとしたならば、直ちに是正すべきでしょう。
どう誤解されるかを知っている人たちや、違った意味で理解している国の人たちから見れば、見ていて不快感を引き起こします。
違った意味で受け取られてしまうハンドサインなどは、海外では あまり使わない方が良いことが多いですね。
私も何度か失敗したことがありますし。
CMも、ネットで世界中に発信される時代。
世界中を転戦していくフィギュアスケートのスポンサーとして、世界的に人気のある、日本を代表する天才選手二人を起用するならば、
様々なリスクを、当然のように想定・考慮したうえで、見る人たちへの侮辱や不快感につながったり、
逆に、CM起用された選手への侮辱にならないよう、よく考えた上で、作ってもらいたいですね!
ファンも、海外試合に応援に行って、うっかりこういうハンドサインをやったり、
選手がやらされてしまった映像を、世界に配信したりして、応援している選手の評判を落とさないように、気を付けていきたいものですね。
それにしても、いつも思うのですが、羽生選手と浅田選手の、忍耐力の凄さは、ちょっと想像を超えるというか、さすがだと思います。
多くの人がそれを見て、驚きつつも、自分の大変な境遇を振り返っても、
逆に励まされるという側面が出てきたり、より物事に対して賢くなる、という効果があるのもまた、凄いことですね。
これって、今シーズンの羽生選手のショート、「レッツゴー・クレイジー(Let's go crazy!) 」の歌詞で歌われていることなんですよね。
一見悲惨そうなことの中にも、見えない、大きな力が働いているなぁ・・・
あの悲惨な体験が、結果的には、逆に自分を強くしたな・・・
あれがあったから、逆に今、感謝できる状態があるんだな… と感じてくると、希望は逆に消えないようになります。
有り難いことですね!
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、
それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
( コリントの信徒への手紙 第一 10章13節 新約聖書 新共同訳より )
神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
( ローマの信徒への手紙 8章28節 新約聖書 新共同訳より )