北海道野付郡別海町奥行にあった奥行臼駅は、釧網本線の標茶駅から根室標津駅に至る本線(69.4km)と中標津駅から根室本線の厚床駅に至る支線(47.5km)の2つの線からなっていた標津線(116.9km)の一般駅として、1933(昭和8)年12月1日に開業しました。
開業時は島状の単式ホーム1面1線の他に貨物側線と留置線ががありましたが、貨物・荷物の取扱い廃止後に貨物側線は撤去されました。
開業時に建てられた木造駅舎が構内の西側(中標津方面に向かって左側)にありました。
かつてこの奥行臼駅から別海町の上風連まで別海村営軌道風連線が走っていましたが、1971(昭和46)年3月31日に廃止になりました。
奥行臼駅が属していた標津線は、根釧原野の開拓に伴う物資や農産物を輸送するためと産業の振興をはかるため、改正鉄道敷設法別表第149号に規定する「根室国厚床付近ヨリ標津ヲ経テ北見国斜里ニ至ル鉄道」の一部並びに第150号「根室国中標津ヨリ釧路国茶ニ至ル鉄道」により建設されましたが、沿線の大部分は原野と農地が占め、この地域で町として成長した地区は中標津など数駅の周辺だけであり、広域的にみれば全国でも有数の人口希薄地域だったので、開業当初から標津線の利用者は限られており、貨物取扱量も1965(昭和40)年をピークに減少に転じました。 そのため、1968(昭和43)年9月1日に国鉄諮問委員会が提出した“赤字83線”の意見書にも名を連ね(当時の営業係数は219)、いくつかの駅を直営駅から業務委託駅に転じさせるなどして経費の圧縮を試みましたが焼け石に水で、年々赤字が増えていきました(1970年の営業係数は405)。 1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが100km以上もあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。
そして標津線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年5月1日に廃止され、これに伴い奥行臼駅も廃駅となりました。
ちなみに、木造駅舎と詰所やホームは1990(平成2)年2月に別海町の有形文化財に指定され、保存されています。
<奥行臼駅の年表>
・1933(昭和8)年12月1日:旧国鉄標津線の一般駅として開業
・1959(昭和34)年4月1日:駅の業務委託化
・1980(昭和55)年4月30日:貨物取扱い廃止
・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化
・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
・1989(平成元)年5月1日:標津線の廃止に伴って廃駅となる
・1990(平成2)年2月 :旧駅舎・詰所とホームが別海町の有形文化財に指定される
(駅 名 標)
(奥行臼駅駅舎)
撮影年月日:1989(平成元)年2月24日
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