さてさて、江戸時代に鎖国政策が行われていたときに、長崎が唯一貿易が行われていた港であることは誰もがご存じだと思います。
そのうち、オランダ人の来航が許されていたのが出島なのですが、ワタクシ、10年以上前に出島に行ったときにがっかりしたことを覚えています。
出島の周辺はすべて埋め立てられてしまい、ショボイ出島の復元模型が展示してあった程度だったのです。
しかししかし、長崎市が観光資源として出島の復元をしており、大部分が完成したと知ったワタクシ達は
出島に足を運んでみたのです。
崇福寺から出島に向かう途中、「丸山」というかつての花街を通り抜けました。坂本龍馬も通ったようですね。
出島に着きました。実は出島はもともとはポルトガル商人の居留地として作られた埋め立て地なのです。
一方、オランダ商人は平戸に商館を建てて居留地にしていました。
しかししかし、島原の乱によってカトリックへの危機感を強めた幕府はポルトガル人を追放し(鎖国の完成ですな)
平戸にいたオランダ人が長崎の出島に連れてこられたのですね。
いやぁ、驚きました。当時の街並みが見事に復元されておりました。
長崎市がいかに観光に力を入れているのかよくわかります。
左奥に見える青い壁の建物がカピタンと呼ばれた商館長の屋敷です。中に入ってみましょうか。
日本にコーヒーを初めて持ち込んだのは、出島に来たオランダ商人でした。
他にバドミントン、ビール、カルタ、ビリヤード、ピアノ、トマト、ボタン、じゃがいもなども
オランダ商人が初めて日本に伝えたものだそうです。
洋風の部屋ですが、壁紙が松の模様なんですよねぇ。和と蘭の融合というのでしょうかね。
遠き極東の地へ赴いたオランダ商人の目に、日本はどのように映ったのでしょうね。
使用したカメラ:Canon EOS7D
260年間続いた鎖国という政策が、歴史的に見て日本にとって良かったのか悪かったのか私には評価が難しいです。
ただ、この時代に日本人ならではの美意識、道徳観、倫理観、生活習慣などが作り上げられていったのは間違いありません。
この時代に日本に来た外国人の日本に対する記述を見ると、必ずと言っていいほど
「これほど礼儀正しい民族を見たことがない」とか「金銭や地位よりも自らの名誉を大切にする姿は美しい」というようなことが書かれています。
シーボルトやペリーが今の日本を見たら驚くでしょうね。
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そのうち、オランダ人の来航が許されていたのが出島なのですが、ワタクシ、10年以上前に出島に行ったときにがっかりしたことを覚えています。
出島の周辺はすべて埋め立てられてしまい、ショボイ出島の復元模型が展示してあった程度だったのです。
しかししかし、長崎市が観光資源として出島の復元をしており、大部分が完成したと知ったワタクシ達は
出島に足を運んでみたのです。
崇福寺から出島に向かう途中、「丸山」というかつての花街を通り抜けました。坂本龍馬も通ったようですね。
出島に着きました。実は出島はもともとはポルトガル商人の居留地として作られた埋め立て地なのです。
一方、オランダ商人は平戸に商館を建てて居留地にしていました。
しかししかし、島原の乱によってカトリックへの危機感を強めた幕府はポルトガル人を追放し(鎖国の完成ですな)
平戸にいたオランダ人が長崎の出島に連れてこられたのですね。
いやぁ、驚きました。当時の街並みが見事に復元されておりました。
長崎市がいかに観光に力を入れているのかよくわかります。
左奥に見える青い壁の建物がカピタンと呼ばれた商館長の屋敷です。中に入ってみましょうか。
日本にコーヒーを初めて持ち込んだのは、出島に来たオランダ商人でした。
他にバドミントン、ビール、カルタ、ビリヤード、ピアノ、トマト、ボタン、じゃがいもなども
オランダ商人が初めて日本に伝えたものだそうです。
洋風の部屋ですが、壁紙が松の模様なんですよねぇ。和と蘭の融合というのでしょうかね。
遠き極東の地へ赴いたオランダ商人の目に、日本はどのように映ったのでしょうね。
使用したカメラ:Canon EOS7D
260年間続いた鎖国という政策が、歴史的に見て日本にとって良かったのか悪かったのか私には評価が難しいです。
ただ、この時代に日本人ならではの美意識、道徳観、倫理観、生活習慣などが作り上げられていったのは間違いありません。
この時代に日本に来た外国人の日本に対する記述を見ると、必ずと言っていいほど
「これほど礼儀正しい民族を見たことがない」とか「金銭や地位よりも自らの名誉を大切にする姿は美しい」というようなことが書かれています。
シーボルトやペリーが今の日本を見たら驚くでしょうね。
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日本だけではなく世界に目を向けていたことは
驚愕に値しますよねぇ。
あんな熱い時代に生きてみたかったと
思うことはありますよ。
龍馬の夢はどんなんだったのかと
思いをはせてしまいました。
広い自由な世界であったことには
違いないでしょうね。
ついつい説明がちになってしまいます。
しっかり読んでいただけて
嬉しいかぎりですよ。
出島の資料館の従業員ですから
長崎市の職員でしょうねぇ(^^)
けっこう微笑ましかったです。
今日も画像と記事見せて頂きました。
とても画像も見たことが無いモノばかりにもってきて、
とてもいい解説で詳しく教えて頂いて、
感謝です。たいへん勉強になりました。
有難う御座いました。
出島は歴史で良く知っています。
復興されたのですね。
見させていただき良かったです。
オランダからいろいろな物が入って来たのですね。
コーヒーなどもそうだったのですね。
とても勉強になりました。
昔の服装をした方が町を歩いているようですが、
この方たちはどういう方なのでしょうね。
その時にすごく工事をしていたんです。
今思えば、出島の復興工事だったんですよね。
すごく工事をしていた記憶があるんですよ。
それがこれらの建物の建設工事だったんでしょうねぇ。
異教徒は「人間」とは
見なしていなかったでしょうからねぇ。
でも、日本人と関わりを持った人達は
誰もがその奥ゆかしさ、誠実さ、勤勉さに
驚くんですよね。すごいなぁ、日本人。
出島以外にも道路が整備されたり
遊歩道が造られたり…
驚きが一杯でしたよ。
大晦日まで好天に恵まれ
やっぱり私は晴れ男でした(^^)
街が美しく整備され
観光客に優しい工夫が数多くあることに
とても好感を持ちました。
今度家人の実家に帰省するときは
鹿児島に足を伸ばそうと考えています。
観光に力を入れているのがよくわかりました。
町の人も優しく
とても心温まる二日間でしたよ。
私の知ってる出島は、30年以上前のこと
単なるミニュチアの模型が置かれていただけでした。
私が長崎を訪れた時、出島は素通りでした。
今は、こんなになっているのですね。
その当時の雰囲気を、10年前に味わいたかったです。
仕事のついでだったので、20分ほどの滞在でしたが(T_T)
外国人から見た日本人って、我々が
マサイ族を見るような感じだったのかな(^_^;)
そのときは、出島を遠巻きにながめて通過しました。現在はとても趣と感慨があります。
グラバー邸では、長崎湾が一望にできる見晴らしの良さに感動しました。
出島が復元され、街並みも元に戻って良かったですね。
今日も、素敵な画像、お天気も良かったですね
出島の復元とても嬉しい事ですね埋めたり戻したりそれなりの理由があるのでしょうがやはり歴史に関わるものは其のままにと思いますね。
薩摩藩も琉球や清と密貿易していたわけですが
やはり異国情緒の建物が消えていく運命に有ります最近取り壊しになるのではと思っていた異人館が建物の強化がなされ見学可能と成り嬉しい事です。
結果的には良かった気がするなぁ~♪
長崎は観光立国復興に本気なんですなぁ!
行ってみたくなりました(^^)/