仏教日記(3)
ブッダは「信心を持て」と繰り返し教えています.
ブッダ在世の宗教とはバラモン教ですが、そんな
ものを信じろとは言っていません.その他の候補
としては六師外道がありましたが、それのことで
もありません.死なない法を信じることだったと
思います.突き詰めると、過去世の自分があった
ということでしょうか.心の奥に阿頼耶識という
記憶の倉庫があって、深い瞑想によって知ること
ができるらしいのですが、普通の人にはとてもそ
のような真似はできませんので、それは信じまし
ょうということで、暫定的過去を作ってそこに
自分がいたことにする.そういうことだと思い
ます.
それでその過去の自分の姿というのは、現在の
自分が、苦しんでいる点をたどればわかる.善因
善果、悪因悪果なので、自分が苦しんでいる点
は過去に自分が他人を苦しめた、というところ
が原因で、それが種子となって、今、苦しみの
花が咲いている、ということであります.
私の場合、今貧乏暮らしなので、前世は泥棒で
ひとさまのサイフを盗んで暮らしていたのでし
ょうか.今生、貧乏の苦しみを受けて、過去の
罪滅ぼしをいしているところ.なかなか貧乏は
脱出できそうにないので、この貧乏の花は
ラフレシアのように大きいグロテスクな花の
ようです.ザ・ピーナツは「情熱の花」
ゴタぴょんは、「グロテスクの花」を咲かせ
ております」 とても見られたものじゃない!
次の仏教の話、聞く~?
ブッダの本を読んでいると、ブッダが悪魔に
追いかけられる場面がでてきます.悪魔が
ブッダに言うのです.
「わしが恐いのか?」
ブッダは答えます.
「そうではなく、お前に触れるのはよくない
ことなのだ」
というような謎がかかれています.これは一体
何を言っているのだろうか、と考えてみた.
これはきっと、「思い」のことだと思います.
仏教では身・口・意の三業と言って、身に行う
ことも、口に言うことも、意(こころ)に思う
ことも、悪は遠ざけよと教えられています.
このうち意(こころ)は見えないものだから、
ついつい、悪いこと、特に腹を立てたりした
ときなど、相手が電車にひかれて死んでしまっ
たことを想像で物語を作って「ざまあみろ」
などと思う.これは間違いなく悪業です.
これがまた、自分に返ってきて災いとなる.
こころによからぬことを思い描く=悪魔に追いかけられる
ということだと思いますので、気をつけましょう.
私は心でたくさんの人を殺してきました.
「ばか野郎、馬に蹴られて死んでしまえ」
これで一人殺人.まあ、この生涯100人は殺している
だろう.なかなか罪障が深いので、来世は人間界に
無事生まれ出ることができるかどうか、わからない.
人間に戻れるように、今から反省してがんばります.