ブッダの真似ごと(1)
ぼくも覚りを得よう.そう思って、この半生追及してきたのだが、
結論は「無理」.
だけど、せっかくこの世に生まれてきたのだから、がんばらなくちゃ.
何が、無理なのかというと、煩悩を断つこと.無理なのだ.
しかし、それでもやるのが、おいらのいいところ.
そこで、「やけくそ」になって、「もう煩悩いらない」「ごんぐ浄土」、
「おんりえど」…
ごんぐの漢字とおんりえどの漢字、ちょっと調べてきます.
欣求浄土、厭離穢土
そう、私は、「やけくそ」修行という段階に入りました.
やけくそになるとどうなるか?
日蓮曰く、「たとえ、首を鋸(のこぎり)で切られて、首が
ポトンと落ちようとも、胴体を 菱鉾(ひしほこ)でつつかれ、
身をえぐり取られても、足にほだしの縄をかけられて錐で
つつかれても、信心を捨てるなと云々.
「超やけくそ」を地で行くならこの教えにしたがおう.
これ以上のやけくそはありません.
さて、煩悩は、これらの責め苦とおなじような、強烈さで、わが修行を
妨げる.だから、もう唱え死の覚悟、というか、もう「やけくそ」
でございますよ.煩悩を断じて「六道輪廻」を脱却するという
のがブッダの説く「苦しみからの解放」なのですが、とてつもなく
難題であります.
「やけくそ」の極み
久々に「絶唱」という映画をプライムビデオでみたのです.
1966年の映画…初めて見た時は、かわいそうで涙ポロポロ
でしたが、70歳のじじいがもう一度見てみると、
こう思った:死人と結婚するやて、こいつも「やけくそ」やな…
みなさん、実に「やけくそ」は不可能を可能にするいきおいが
あるようです.それは不本意ではあるが、決意は曲げない、と
いう貫く信念をもっているから?
それはわからないが、何か背後にパワーを感じるのです.
【結論】やけくそ=破れかぶれ + 背後パワー
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