今世界はコロナウィルス流行がもたらした死の恐怖に怯えている。
The world is now frightened of the fear of death
caused by coronavirus pandemic.
そのウィルスによって、経済市場、国際関係、人間関係、教育場、飲食市場など
生活基盤の全てが非常事態になってしまった。
The virus brought all the life bases into an emergency mode,
including economic markets, international relations, human relationships,
educational facilities, and food markets.
毎日、増えていく感染者や死者の数が報道され、
花粉症で咳が出る度にビクビクしてしまう。
Every day, the increasing numbers of infected people and death are kept updating
and it makes me trembling when I cough for my pollen allergy.
以前までは生きるか死ぬかは個人の寿命に関わっていて、
個人の哲学上の判断で自殺するケースはあったのだが、
今は死ぬ・生きることはコロナウィルスが選択肢を決めているようだ。
Until now, living or dying was a matter of individual lifespan,
and in some cased showed committing suicide based on their own philosophical judgments,
but now it seems that the coronavirus has the decision of who to die or live.
こんな危機はどの偉大な先見者も予測できなかった。
This kind of crisis was not able to predict by any great foresight.
だが、始まってしまったことは
その運動のエネルギーが完全に消費されない限り終わらない。
But what has begun never be ended unless the kinetic energy is exhausted.
放った矢のように何かにぶつかって、
その運動エネルギーがブロックされるか、
またはその力が尽きるまでは矢先に向けて直進する。
Like a released arrow, it flies straight ahead in the direction
until its momentum blocked or the energy is exhausted.
この世の自然の摂理は増殖と消滅によって均衡を保っている。
The natural law in this world keeps equilibrium
based on proliferation and extinction.
現代医学と科学の技術でいずれはワクチンを開発できると思うが、
今はトイレットペーパーも買えない現状になってしまった。
I believe that the vaccines will be able to be developed at any rate
with the modern medical and scientific technologies,
but now we can’t buy a roll of toilet paper.
生活範囲は制限されてしまって、出かけることもできなくなった。
The range of life has been restricted and going out became lesser.
気が滅入る。
It makes me saggy.
コロナウィルスが全滅されるか、
私達が免疫できるかが鍵だが、
それら限定された条件の他
与えられた難関に対処できる策はあるのだろうか。
The key is whether the coronavirus be wiped out
or we can be immunized,
but is there a way to manage under these limited conditions?
思い返すと、私は外部からの制限に対して、
積極的に逆利用してきたほうだったかもしれない。
In retrospect view, I might be proactive against external restrictions
and could have turned into recyclable.
例えば、貧乏な片親で育った家庭環境の問題に対しては、
それらの問題に直面することで事実と感情を分離でき、
過去の不幸に振り回されずに済んだ。
For example, my upbringing issues
which grew up with a poor single parent,
I was able to separate the facts and emotions by facing those problems,
so that I was not swayed by my past miseries.
幼児期から世話をしてくれる母親が無かった分、
自分のことは自分でできるようになり、
そのことで逆に自律心を養えた。
Since I did not have my mother who takes care of me from infancy,
I became able to do my own things so ironically,
it cultivated my autonomy.
国籍の違いによって受けた偏見もそのまま事実として受け容れ、
人の見方によって私の感情を落ち込ませないようにしてきた。
The prejudice I received due to the differences in nationality,
I was accepted as facts and tried not to be upset
depending on people’s perspectives.
仕事と学業を並行しなければならない忙しかった時は、
友達と遊ぶ時間が持て無かったので、
遊びに費やする時間やお金を皮肉にも貯められた結果になった。
When I had to go side by side works and study,
the busy time was not allowed to hang out with friends
so ironically it was, I saved money and time that supposed to spend.
仕事で忙しく、食べる時間も持てなかった時は、
結果的に痩せたので忙しさを自然なダイエット方法として使った。
When I was too busy at work and had no time to eat,
I ended up getting skinny and could use a busy time as a natural diet.
アメリカ移住のために26年間築き上げた人とのネットワーク、キャリア、
住まい全般を手放すか整理しなければならなかったのだが、
それらに未練を断ち切ることで方向転換ができた。
To immigrate to the United States,
I had to let go or reorganize for the networks with people,
the career I had and all of the residency that I had built for 26 years,
but I could change the direction by cutting off attachments.
自分が持っていた家を売らなければならなかった時や
愛着を持っていたベンツを手放した時は
かなり真剣な喪失感があったのたが、
失ったことより未来への期待感に置き換えることで気分転換ができた。
When the time I had to sell out my own house
and let go of my car Benz such I loved much,
I felt lost pretty seriously,
but I was able to change my mood
by transferred the lost to the expectation to the future.
移住してきたら友人が一人もいなく、
家に閉じこもって生活するようになったが、
その有り余った時間を通訳者になるための勉強時間に変えたから、
逆に時間が足りないほどやるべきことが増えた。
When after I emigrated, I have no friends and stay at home,
but I changed the excess time to study time to become an interpreter,
so on the contrary, the time seems lesser for my works to be done.
上記は私だけの困難への解事例だから、
他人の難関と違い公式的な解決例になれない。
The above cases are the solutions of my own for difficulties,
so it cannot be a common solution
because other people’s cases are all different.
だが、どのような難解にも必ずそれを解き明かす解がある。
But there is always a solution to resolve any difficulties.
ところで、代数学の公式の中に『解の公式』を導出する方法がある。
By the way, there is a way to derive 『Quadratic formula』
in Elementary algebra equations.
以下『◎』がついた文はウィキペディアから
2次方程式の解の公式導出の部分をコピーである。
The sentences with『◎』below are parts of quadratic formula copy and paste
from Wikipedia and it is an equation of derivation of solution.
◎a が0でないことから、 a で割ることが可能である。
◎Divide the quadratic equation by A, which is allowed because A is non-zero:
=あるAの難題は解くのに不可能でないことから(ゼロでない)
難題Aは解き方Bで割ることが可能である。
=The stumper A (a difficulty) is possible to solve (non-zero)
so that it can be divided by a solution B.
◎c/a を等式の両辺から引く。すると次のようになる。
◎Subtract c/a from both sides of the equation, yielding:
=難題Aを基盤にありえる変数Cを置き、
難題と変数両辺から難しさBを引く。
するとマイナスが付く。
=Place variable factor C on the basis of the difficulty,
subtract difficulty B from both difficulty and variable factors.
Then the minus will be added.
◎この二次方程式は平方完成が適用可能な形となっている。
よって、等式の両辺に定数を足し、等式の左辺を平方完成とする。
◎The quadratic equation is now in a form to which the method completing of the square is applicable.
In fact, by adding a constant to both sides of the equation
such that the left-hand side becomes a complete square, the equation becomes:
=以上の難しさを割って、両辺から引いたことで
マイナスがついた形は他の例にプラスとして適用可能な形になる。
よって、両辺に難題の解決例を足し、課題を完成させる。
=By break down above difficulties and subtracting from both sides,
the negative form is applicable to other cases as to be positive.
Therefore, the tasks are completed by adding solved cases on both difficulties.
◎これを変形する。
◎Transform this:
=これを応用する。
=Apply this.
◎最後に、右辺の項を変形し公分母を得ることで、次の式を得る。
◎Accordingly, after rearranging the terms on the right-hand side
to have a common denominator, we obtain:
=最後に、難題の難しさを引き、
仮説とつり合うように変えると共通の要素が得られる。
=Finally, subtract difficulties from the difficulty
and change it to equilibrate with a hypothesis,
then will get common elements.
◎等式が平方完成された。等式の両辺の平方根を取ることで次の式を得る。
◎The square has thus been completed.
Taking the square root of both sides yields the following equation:
=難題を解く等式が完成される。等式の両辺に割り切れない値を取り除く。
= The equation of solving a difficulty is completed.
Remove values that are not evenly divisible on both sides.
◎Xイコールの形に直すことで二次方程式の解の公式を得る。
◎In which case, isolating the X would give the quadratic formula:
=未知数Xに代入して式の解を得る。
=Substitute for unknown X to get the solution to the equation.
◎このプラスマイナス記号 "±" は次の2つを示している。
◎Combining these results by using the standard shorthand ±,
we have that the solutions of the quadratic equation are given by:
=この解の式はポジティブに働くの場合とネガチブに働く場合2つを示している。
=This solution formula shows two cases:
one working positively and the other working negatively.
◎これらは二次方程式の解である
◎These are the solution to the quadratic formula.
=これらがあるAの難題を解く解である。
=These are the solution equation for a stumper A (difficulty A)
上記のウィキペディアコピーした文に(◎印のあずき色の文)
数字や公式記号を削除し、
私の見方やアイデアは記号『=』を付けて我流で通訳してみた。
Above sentences (the wine red color parts marked with◎)
which copied from Wikipedia,
I deleted numbers and formula symbols,
and I interpreted my viewpoints or ideas with my own style
and put the mark『=』on them.
勿論、これら我流の解釈に何の数学的な根拠があるわけではない。
Of course, there is no mathematical basis for my style of interpretations.
理論的に通るたぐいでも無ければ、理屈にも合わない。
It is neither the sort of theoretical explanations nor making sense.
だが、解の公式を導いていくその過程が
非常に魅力的で面白く、その考え方や道筋が合理的に見える。
However, the process of deriving to the solution formula is
extremely attractive and interesting to me,
also, the course or the way of thinking seems rational.
その解の導き方が難関を解くヒントになる可能性も無くはないので、
参考まで書いてみた。
This way to a solution can be a hint to brick out a difficulty
and it seems not to be impossible, so I wrote for a reference.
どうしてもくぐり抜けなればならない過程や時期があるなら、
自分を鍛えるように逆利用することで、
難関はプラスにもアルファにもなれる。
If there is a path a period that we have to get through in whatever circumstances,
we can make a positive or alpha
by reusing the difficult time and can use the period to train ourselves.
このウィルスが征服された時、
免疫力をより強く高めた状態にいられるためには、
限られた状況や時間の中でできることを探ってみるのも
いい解になるかもしれない。
Maybe a trial of finding what we can do
under these limited conditions and periods
can be a good chance to find a solution to resolve a difficulty
and it may lead to staying stronger with high immune
when coronavirus finally is conquered.
そちらも大変なんですか、こちらも大変です。
マスクもトイレットペーパーも消毒液も品切れもしくは品薄みたいです。
今や人間はどこでも行けちゃうグローバル化の時代、ということはウィルもどこでも行けちゃう時代、作用があれば必ず副用があるんですね。
今回はなかなか難解な問題です、でも人間は必ず解を見つけるはず、問題は時間、その間年寄りはじっとしていましょう。引きこもりの時代到来ですね。
ではでは。
寝ぼけてコメントしちゃいまして誤字が、補正して読んでくださ~い。
ウィル ⇒ ウィルス
副 用 ⇒ 副作用
自分という作用に始末をつけることの困難さは時として、喜劇的側面があるということは理解できるわけです。
夫がネットで注文したのですが、12ロールで60ドールでした。(6千円くらい)
明日の土曜は定期的なコストコ買い物日ですが、
普段より早く出かけて並んでおこうかなと。
コメントありがとうございます。
内容が非常にシャープだから、ZIPさんからのコメントは読む前にビクビクしたり、深く息を吸ってから読みます。
また、気持ちが安定していない時は読まないし、
読む体制を整えてから読みます。
今回は読んで苦笑いして、安✖心=心が安 しましたん。
トイレットペーパーが無いというのが怖いということ、初めてしりました。
ビデを設置すべきでしたが、もうそれも遅い。
ところで、恐山ブログ、コメント欄閉じ放しですが、
もうこれ以上、コメントできなくなったのですか?
私はそこのコメント欄で言われることにきっぱり心の整理がついて、もうしたくなくなりましたので、コメント欄での非難や批判に関係しないようになりましたけど、
何百もコメントしていた方々を思うと残念ですね。
そこで何が起こったのですかね?
私の様な狂人相手はもうたくさんだということです。
ご承知のAlbert Camus著
戦争と死、病と死、法と死刑
人の絆もろもろを読ませてくれます。
病死、刑死、戦死、
私たちが 平等にもつ「死」
唐突に生まれ唐突に死ぬ
祖父からは
武は己の「死」を心して
刀を手にしなさいと
時代錯誤の様な心構えで
武術の朝稽古が幼き頃の
優しい祖父の思い出と
共にあります
コロナ騒ぎも
もともと人混みが
苦手で出掛ける事も少ないし
風邪もここ何十年と罹ったこともなく
打撲、骨折、擦り傷などの外傷が主で
内蔵的な病とは今のところ無縁です
死ぬ準備を心掛け
暮らしていますから
風景のなかに私があるだけです。
これ、いいですね。
私もこの世に未練一切ないので、
分かるような気がします。
だが、残った人を思うと(私が死んだ場合)
結構、いや相当厄介ですよね。
死の苦しみは残った身内の分ですからね。
コロナで死の可能性が高くなって
私が死んだら夫一人で生きるようになるから
それを思うと死ねないかな。
同じく夫が死んだら
私もここに一人で住む根性などもっぱら無いので、
どうしようかなと思っています。
韓国も離れて30年あまりだから
もう他国みたいだし、
日本は元々お客さんとしていた感じなので、
国を転々して生きる者
帰る国がない。。。
剣を使うには死を心して
私は剣を一度も握ったことないので
その心構えが分かりませんが、
台所でナイフを使う時は
怪我の心で気を付けてますね。
スケールの違う話で恐縮ですが、
水曜はバレエのレッスンでしたが、
子供クラスは閉めて
大人クラスも来る人がいた場合しか
開けないようでしたね。
先生が暇そうだから
通常のクラスの前に
プライベートレッスンを追加で受けて
それから2コマ受けました。
4時間くらい連続でしたから
さすが、翌日筋肉痛でまた床を這ってました。
妹さんのバレエスクールも閉めたのですかね?
自分の身体はウィルスにとっても生きる為の器である。
生きるという情報を処理する為には、器は必ずいるわけです。
情報を処理する為の器としての身体は、ままならないから苦であるというわけです。
寿命を決定するのは身体の免疫作用であって、
脳ではないわけです。
長寿になればなるほど死の脅威に晒されるということは、人類の歴史の始まりから何ら変わりはないわけで、医療技術がいくら進歩しようと100メートルを9秒台で走れたとしても、抗原と抗体の化学的相互作用という体内時計は全くもって変更は不可能ということであると同時に、「死に接する機会」により一層恵まれるというただそれだけのことです。