365日で制限された2023年も
間もなく終わろうとしている。
新たな365日の2024年もすぐくる。
年を取ってみると一年の感じが
少しずつ短くなってくることに毎年驚く。
人は11月になると
今年やったことを振り向いて
焦ってくるように見える。
12月になると
今年やれなかったことを来年に託したりする。
私はやっと、今年やれなかったことは
来年もやれないと分かってきた。
いくら現実的な目標を設定しても、
目的地周辺でクルクル回ってしまいがちである。
毎年、年末的な反省、振り返ることを延々と反復しているが、
実際その反省が効いた試しが無い。
ここまで目的を全うしなくなると、
そもそも目的をどう設定したかが間違っていたかもと思えてくる。
人のこころはどこかに向いて動くように設計されている。
過去に囚われている人は
現在に生きていながら、過去を見て過去を感じる。
未来に逃げている人は
現在に生きていながら、未来を視て未来への期待を感じる。
過去に生きている人は
その過去から自由になることを期待するかもしれない。
未来に期待する人は、
自分が希求することが未来にあると思っているかもしれない。
体が現在にいるのに、こころが過去か未来に向いていると
自分がどこにいるか分からなくなる。
正しく目標を設定できることは、
未来のある時点に身体とこころの状態が
同時にいられるようにさせることである。
ある時刻に、望む体の状態が
望んだ現実に中にいると目標は達成されたと言える。
私が去年の11月末に思っていた
来年への11月末までの期待は、合っていない。
容易く設定したことは容易く失敗する。
容易く期待したことは容易く失望される。
来年の11月末に期待した状態に
自分の体の状態を一緒に運ぶこと、
それが来年への期待ではあるのだが。
補足など:
『ブログ友さん達へ』
去年掲げた目標を今月末まで達成させるために
結構忙しくいていましたが、
もう間に合わなくなって
反省兼ねて記事でアップしました。
私は自分がやったことしか書かないモットに軸しています。
よって、やれていないと書くことも無くなります。
記事アップできないことは、
やっていることが遅延しているか、
思う方向にいけていないことと同じ脈略です。
皆さんの今年の11月末は去年の11月末とどう違うのですか?
因みに、今回の記事の英語訳は
後でゆっくりつけていきますね。
記事アップを大部やっていなかったので
今回は和文だけ先に
(とりあえず)投稿しておきますね。
補足の追加
添付した写真は今年の春頃、
近所の公園にピニックに行った時
韓国風の海苔巻き(ギムバップ)を作って
食べる前に撮っておいたものです。
パソコン放っておいたら言語入力がおかしくなって
今朝、Settingを全部Resetしました。
Updateをすると、Setしなくても
新しいVersionに改定されてしまって、
やり慣れている旧方式を探すのが大変ですね。
ここは暖かい冬で、雪がまだ降っていないです。
雪が雨になってしまうそうです。
以前なら12月に雪作業で腰痛めたほどだったのに、
とにかく、今週1週間はバレエスクールの冬休みなので、
昨日は何もせず、家の雑用だけで気楽に過ごしました。
まー思ってみれば
ZIPさんからの重い?コメントがあって
ここまでこれた感じです。
もしZIPさんがいなかったら
内容も変わって
挙句の果て、ブログも閉じていたかも、です。
ブログを毎日開いた時が確かありましたね。
今はタブレットでも開かなくなりましたけど。
今週はやっている勉強でノート作りが忙しく
気が向いたらまたここにきます。
I am sorry for late.
I have typing Japanese problem now, inputting Japanese doesn't work.
When I get back from lessons, I will reopen this computer and resetting again.
生活する為の活動は能動的というよりも、むしろ生きていく為の実践的な活動において合理的な行為の持続性の維持に重点があるわけだから、時間の経過に対しては必然的に受動態に成らざるを得ない。
ZIP
受け身でした。
能動的な人が多数なら
私はもう始めから遅れてしまっています。
時間に自分を運ぶ、という私の意味は
時間の流れに従い
自分の能力を設定した状態に開発する、とのことを含んでいます。
時間という概念を定義するには
また他の力学を明確にしてから
観点を定めておくことが前提でしょうけれど
世間の時計上の尺度から
自分の速度を上乗せしたとの
刻個人的な図り方で展開した私問(個人的な問い)に過ぎません。
流れてしまう、表現は人それぞれ
何を流したか、
何が流れてきたか、をまずはっきり究明してから
疑問にあげるべきでしょう。
その他
今年末まで到達したい状態(心身ともに)があって
できるだけ頑張っています。
といっても、自分が想定した努力の
10%も果たせていないから
それも自分嫌悪の要因になりましたね。
努力する、簡単に言った分
言葉に縛られて苦悩中です。
なので、返事など遅れたりします。
お金を失うことは最もストレスなことですよね。
しかも痛みますね。
そんな中で私の状況を案じてもらって
うつわの大きさを感じました。
クリンさんなら私のバレエへの根性をわかってくれると、頑なに信じていましたが、
さすが、そのとおり!
いつか、ターニングポイントに行けたら
その時に、バレエの報告兼ねて
記事にアップするつもりです。
今は途中なのがほとんどで
書けるほど持ってないです。
来年は今年失ったことから
学んで逆転できるといいですね。
幸運が共に持てるよう祈ります。
時間の経過していく過程が自身にとって随意なのだろうか非随意なのだろうか?
仮に随意だとしても、それは自分が本当に意図した行為なのだろうか?
時間を老いていく自分だとしたなら、その過程は自分がした行為なのか、それとも自分に起きた出来事なのだろうか?
運んでいるつもりでも、ただ流されているだけではないのか?
いつもバタバタしているのと💦、なんだか今年の東京は異様にあたたかくて・・今日もホカホカしています🌞(まさに地球沸騰化ですね⚠恐ろしいです)
今年の桂蓮さまはお体のことですごく大変でしたよね・・さまざまお考えになられることが多かったと思います・・でもいつだってご夫婦仲良しで💛💛ステキです✨✨
来年は頑強なバレエジャンプをお跳びになられますよう⤴✨💎クリンもかげながら応えんしております🍀✨
ちなみにわが家はいろいろ商売上の計算ミスをし今年けっこうお金を失いました~
なので今年のクリスマスはコンビニのケーキに変更される可能性大ですね🎂(でも今からどこのコンビニのを選ぼうか?ちょっとワクワクしてます🎶⤴✨)
といってもルート的には記事と繋がってしまって?いるので、無関係とも言えないですね。
日本にいた時に年賀状書かない主義でして
もらっても黙って
相手が嫌になればそのうち来ないだろうと
さすが、アメリカまで
年賀状送る人がいて
それにも極力対応しなかったら
そーですねー今年何も無かったら
無視した概があるかもです。
メアド変更、私もやってみようかなと思いました。
生きている試しとしてのハガキ
そうーですね。
その面では意味ありありでしょうね。
今年10月に終活のひとつで墓参りに行き、兄弟たちに「これで最後かも」と言って別れました。
終活の1回目は、還暦の時に年賀状仕舞いの挨拶をして、兄弟、親戚には生存証明として賀状を送っています。
今月、終活の3回目でメールアドレスの変更をしました。これは、毎日、大量に入る迷惑メール対策でもあるのですが、いろんなところの登録アドレス変更は大変でした。
おかげ様で、入るメールは激減しすっきりした気分です。
今まであったアドレスも全部消し、再度入力し直しました。
それで、終活とは新しい出発なんだと思い知った次第です。
Windows10 が来年、メールを Outlook に統合するとアナウンスしているので、この作業はまだ続きますね。
心理学的に分析しても
論理的に解釈しても
それに勝つ感情が流れてきましたね。
ZIPさんにこのような感覚があったか
私は夢にも計算?しなかったのでしたが、
言葉の温度が今の私の氷を少し溶かしてくれた感じです。
要は、ボケても甘やかしてくれ、との詩的な感性のように捉えましたが、
まーボケてしまうと
自分が頼んだことすら
忘れてしまうだろうから
そうですねー
ボケを受ける側に
心の準備をさせる面では
あたたかい配慮ですね。
私はへそ曲がりで
もらったことばがキレイな時は
逆を言っちゃうのですが、
まー今回のZIPさんはなんだか
ぬくもりがあって
生身の人間であると感じてくるもんがありますね。
特に、今はわけのわからない鬱になっているので
なんだか心の支えになってきますね。
どうかそのままの私のことを理解して欲しい。
私が服の上に食べ物をこぼしても、靴ひもを結び忘れても、
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい。
あなたと話す時、同じ話を何度も何度も繰り返しても、
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい。
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は、いつも同じでも私の心を平和にしてくれた。
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい。
楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり、お風呂に入るのをいやがる時には思い出して欲しい。
あなたを追い回し何度も着替えさせたり、 様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ、旅立ちの前の準備をしている私に祝福の祈りを捧げて欲しい。
いずれ歯も弱り飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない。
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら、あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたようによろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい。
私の姿を見て悲しんだり自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい。
きっとそれだけで、それだけで私には勇気がわいてくるのです。
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい。
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びとあなたに対する変らぬ愛を持って笑顔で答えたい。
私の子供たちへ
愛する子供たちへ