Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

意識と無意識の言語化Verbalizing consciously or unconsciously

2022-09-23 | 英語、韓国語

 

 

ことばは無意識と意識の働きから織りなっている。

Languages are woven from

the labor of the conscious and unconscious.

 

韓国語、日本語、英語と

3回も生活圏内の使用言語が変わると

言葉への意識度も変わり、捉える見方も変わる。

The language I use has been changed three times

from Korean, Japanese, and English for daily life

so the way of aware of it

changed as well as viewing them.

 

言語取得面で、その土地の言語を早く取得する者と

中々慣れない人の違いは何だろうかと興味があった。

In terms of language acquisition,

I have been interested in what difference can be made

between those who quickly acquired the native language

and those who were not able to have it.

 

その過程で私なりに分かったのは、

言語取得の差を生じる要因は

単なるIQの良し悪しではないと思えてきたことだ。

Things that I have come to realize

in the process of using a language,

IQ the intelligence level is not the singular factor

that make difference in language acquisition.

 

状況判断を下す場合、高い方IQの持ち主が素早く、

より的確に反応できるようにみえる。

When it comes to making decisions in various ways,

those with higher IQs

seem to be able to react faster and more accurately.

平均IQ 数値を示す人は、

状況を読む、認識する時に

時間を必要以上にかける傾向がある。

People with average IQ,

they show spending more time

learning situations they are at

and need more time to perceive situations.

 

言語は瞬時的な反応にすぎない。

Language is merely a quick reaction.

 

その瞬時的な反応をさせる脳内働きが

無意識なのである。

The brain's work makes react quickly

that is the unconscious.

 

言葉を正しく使おうとする働きは意識なので、

判断過程を通るにはある程度時間を要する。

While the conscious works for using language correctly,

it needs a specific time to get through

to process making a judgment.

 

ことばの正確さを一々確認すると

ことばを意識する習慣が定着してしまい

反応速度が遅くなる。

If the accuracy of the word should be checked one by one,

the consciousness of the word becomes a habitual step 

and it makes the reaction speed slow.

 

では、どうすれば言葉を意識せず

無意識化に方向変換できるのだろうか。

Then how can we change the direction

to be unconsciously aware of language

without being conscious of it?

 

私の30年以上の外国生活から

学び得たことを大きく3つに別けると、

There are three ways I found

from foreign life for over 30 years

and I roughly summarize them in 3 factors,

 

①ことばを感じる

    Feeling the words

②ことば自体を覚えない

    Try not to memorize the words itself

ことばを過剰に意識しない

    Try not to be overly aware of words

 

それら3つが根本的になっていないと

言語を無意識化にできないと思っている。

I think that verbalizing cannot be unconsciously done

unless the above three factors are fundamentally rooted.

 

①の言葉を感じることとは、

既にある自然現象を肌で感じることである。

The meaning of feeling the word is

to feel with your skin the natural phenomenon

that already surrounded you.

自分の周りの自然を感じ、自然の移り変わりを

その土地のことばで感じるようになると、

自然にことばも変わる。

Feel the nature around you

and if you feel the seasonal change

with the exact local language, you are at,

the language also naturally changes with you.

 

②のことば自体を覚えないこととは、

分からない単語の意味を覚えないことである。

Try not to memorize the words itself means,

not memorizing the words that are unknown.

辞書で探したことば、人から教わった言葉は

時間の経過によって忘れ去られる。

The words were looked up in a dictionary

and the words taught by others are forgettable over time.

 

私の夫は、弁護士であることから

言葉の使いが論理的で文法的に正しいが、

彼がいくら完璧に教えても

私のものにならないことがほとんどであった。

My husband is an attorney,

so he uses language logically and the grammar is also correct

but no matter how perfectly he taught me,

his coaching could not make improve mine in most cases.

使い慣れていないと質の高い教えも効果が持てない。

High-quality teaching will be ineffective

if you are not used to it.

 

③のことばを意識しないこととは、

意識しようとすることによって、

本来無意識の領域に入るべき事柄が

意識範囲に留まってしまい、

範囲が狭まることである。

Try not to be overly aware words mean,

the effort trying to be conscious of something,

makes stuck in the conscious level

which should get into the unconscious level

and it narrows the scope.

 

人の無意識は9割を占めていて、

残りの1割が意識だと言われているので、

意識することによって1割にすぎない意識範囲に

言語を閉じ込めることになる。

Being said that people’s unconscious

accounted for 90% and the remaining 10% is conscious,

so being conscious of language makes locking up in the 10%.

 

正し、以上の3つの項目は、

言語の日常化にする過程であって、

学生が試験や受験準備をする目的とは少しことなる。

To make correctly, the above three factors I mentioned,

are to customize language for daily routine,

which is slightly different from the purpose of

students who are preparing for tests and exams.

 

受験を目的とする言語学習は、

決まった期間内により早く、正確に、

如何に覚えているかによって結果が変わる。

Learning a language for the purpose of taking an exam,

the result depends on how quickly and accurately

one can remember within a limited period.

けれど、その学習が日常化になることはまず、少ない。

But the learning way rarely becomes routinized and a few.

 

私の経験から得た無意識的学習は、

受験勉強には向いていないが、

少なくても学習へのストレスを無くすことにつながる。

The learning unconsciously that I gained from my experiences,

is not suitable for students who are studying for exams

but at least it leads to removing stress from learning.

 

言語はどう言うべきことではなく、

『どう伝えるか』だから、

自分が感じ取ったものを

相手が感じ取るように伝えれば

それで『おしまい』なのである。

Language is not what you should say so,

but “how to convey it"

so if you can convey what you felt

and others can cope as you did,

it makes “ it is done”.

 

 

 

 

 


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14 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
リコメントしておきました。 (highdy)
2022-09-24 00:19:37
いつもありがとうございます。
大変お役に立っています。
ブログの件は、リコメントしておきました。
返信する
Unknown (mizumoe19)
2022-09-24 09:23:15
私も英語が無意識に分かるようになりたいなと思って75歳になってしまいましたが、貴方の言う通りだと思います。最近、なるべく子音を意識して、英語は根本的に母音を主とする日本語と違うんだという考えで聴いていると、感覚的に英語をありのままに感じるようになりました。従来の日本の英語教育はどうにかならないものかなと思います。早く、日本人も英日のバイリンガルご日常にならないものかと思います。
話は違いますが、貴方が女性だと初めて知りました。今までは男性だと思っていました。失礼しました。
返信する
Unknown (三面相)
2022-09-24 09:40:29
無意識の意識なんでしょうね。
今日もまた勉強になり感じることが多いです。
返信する
Unknown (閑斉)
2022-09-24 14:57:49
タイに駐在した時に、タイ語には努力と相対する言葉が無いと聞きました。
会社内での言葉は英語が共通語でした、”effort”が別のタイ語に置き換えられて翻訳されていました。

頭の中での想いを言葉にしても、きちんと100%表現はできません。
表情や、身振り手振りの助けも必要です。
特に、笑顔や涙は言葉以上の表現力がありますね。
返信する
Unknown (Highdyさんへ)
2022-09-25 12:27:00
役に立ったとのことば、何より嬉しいです。
私も先生からの記事からいつも新しい知識を取得しています。
返信する
Unknown (mizumoe19さんへ)
2022-09-25 12:35:47
子音と母音の扱い、そうですよね。
本当の肝要ですね。
英語の母音の扱い方、それが道の分かれ道みたいな、
根本的な差がありますね。


男子だと勘違いされたのこと、本当に嬉しいです。
実は、私は男子から男子みたいだと結構言われてきました。
男子と話すと女と話す気がしないとみんな言ってましたね。
気が強いといつも言われましたし、
まあー、今まで気で負けたことが無い!と思っているほどです。
恐らく、mizumoeさんは文体から私の男性性を直感なさったでしょう。

とにかく、私には褒め言葉ですので、
失礼は全く無いです。
返信する
Unknown (三面相さんへ)
2022-09-25 12:42:16
無意識の意識、それ意識を極限まで澄まさない到達できない領域だと思います。
量をこなさないと持てない領域でもありますよね。
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Unknown (閑斉さんへ)
2022-09-25 12:47:33
タイ語で努力が無いとのことを知って驚きました。

そうですよね、ことばは無限でなく
有限、ですよね。

この前、バレエのレッスンで
一度も挨拶さえしなかった女の子から
笑顔で会釈してもらいました。
結構、くるものがありました。
そのことをコメントで書いてくださったのでしょう。
返信する
心に刺さりました (のしてんてん)
2022-10-12 08:42:13
三度読ませてもらいました
そして今、心に刺さりました。

言葉というものを一面的に観すぎていた自分に気付きました。

三度読まなければ分からなかったのは恥ずかしいのですが、それだけ言葉に対する固定観念が強かったのだと、反省と同時に、気付きを頂いた感謝を書かせてもらいます。

宇宙語と言う考えを深めようとしていて、その答えに向かう重要なヒントがここに書かれていたのに、もっと早く気付くべきでした。

ありがとうございます。
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Unknown (のしてんてんさんへ)
2022-10-18 03:23:42
返事など結構遅れました。
調子が優れず、丸2週間パソコン開かなかったです。

言葉、何も考えず音声だけ聞くと
そこにはただ音楽のような音があるだけです。

私達人間はことばを考えすぎますよね。
返信する
お身体大切になさってください (のしてんてん)
2022-10-18 21:15:40
言葉の本質は音なんだと気付かせて頂きました。
文字を書いていても
頭の中でその言葉が音として響いているのがわかります。

そして意味は音の解釈なのでしょうね。

三カ国の言葉を聞き分けられる桂蓮様でなければ見つけられなかった真理なのかもしれませんね。

アイ、サラム、ラヴ・・・その音の流れの中に同じいつくしむ感情の領域につながる力があるというのは、あらためて知る真理がありますね。

こじつけかもしれませんが、音とは空のことですよね。
仏教では観世音菩薩がよく登場しますが、この菩薩様の領域なのかもしれません。

そこに意味があるのではなく、命の営みがある。私流にいえば空のエネルギーそのものですね。

お身体、御自愛くださいね。
身体もまた音だとしたら
ただよく耳を傾けて、無心に体の音を聞くのがいいのかもしれません。

昨日、私の心に苦がやってきて、それを見つめていたら、賽の河原の光景が見えてきました。
子供が石を積む。積み終えるころ鬼がやってきてその塔を壊す。その地獄のような光景を見ていて、この子を救う方法はあるだろうかと考えが及んだのです。

そしてその答えが自分なりに見つかりました。
その正誤を検証をして、公開できたらと思っています。

無理なさらず自然体でお過ごしくださいね。
返信する
Unknown (のしてんてんさんへ)
2022-10-19 01:13:20
個人的に、私は鬼が好きなのです。

鬼は悪魔と違って
残忍さや残酷さが少なく
(あくまでも私個人の解釈、普通の鬼とは異なります)
悪さをただ楽しむ、感じがあります。

悪魔は、悪そのものだから
あまり、考えたくないのに、ですね。

積み木、石を積む
砂の城を作る
それらが壊れる時に
私は安堵します。
それをのしてんてんさんは地獄のようだ、と感じるのですね。

私は結構、鬼でしたから
鬼に共感するからですかね。
思えば、のしてんてんさんに
鬼のような側面は全く無いような気がします。

のしてんてん龍も
どこか善人ぽいし
悪さを絶対しない感じありますよね。

私は鬼になりたかった、です。
本当に、
鬼のようだと言われた時に
幸せ、でした。
報われた感じ、でしたね。

人それぞれ、生い立ちの違いから
鬼の解釈、地獄の見方も変わりますね。

けどまーそれが空の考えを片付けるのに
役に立つのなら
異なる解釈も面白いですね。
返信する
賽の河原 (のしてんてん)
2022-10-19 22:21:15
桂蓮様の装飾のない言葉だと思いました。
私の件に書かれていることは、まさにその通りだと思います。ご指摘の通り私の絵は人間を離れることが出来ないのです。決して良しとは思っていませんが、受け入れるしかないと思っているのですね。いわゆる普通の人です。
桂蓮様の鬼は、私にはない純粋な追求心なのだと思います。芸術や武術の世界では、どこまでも究極を追い求める人を鬼と言います 。
憧れますが、私にはその鬼がいない訳ですね。そこが私の甘さなのです。
ならば普通の人間がどこまで出来るのかが私の挑戦で、絵と五次元はまさに普通の人間(その域を越えられない存在)がどこまでやれるのかを見極めようとするもので、行き着くところまで行って、人間と言う大きさを体験したいと思うのです。
互いの立ち位置からぶれないで、こうしてお話が出来るのはありがたいことですね 。

私が考えた賽の河原の子供の救いはこうです。
子供は時間軸(四次元)で見ている地獄なのです。
しかしその地獄をスケール(五次元)で見たら、子供は一瞬で賽の河原の石ころを全て使って巨大な塔を作ることが出来るのです。鬼が来ても決して壊せない巨大な塔を立ちあげることが出来ます。それは自分の身体を垂直に存在する宇宙を自分自身だと認識する力であって、つまり賽の河原の子供は、五次元によって自ら自分を救うというものです。
地獄はそれぞれの心の中にあるものなので、古来から言われている賽の河原の風景は四次元思考の現れだと言う訳ですね。つかみたいという願いが、つかんだと思う瞬間に壊れてしまう。永遠に続くそれを心が地獄と思う。私はそうとらえるのですね。
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Unknown (ZIP)
2022-10-27 22:11:31
人を心底嫌いになる為の条件は
言葉が通じることである。
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