享和元年(1801年)に宣長が亡くなり、その後、彼を直接知る人たちも他界してから現在までの約200年の間、宣長が具体的にどのような医者で、どんな医療を行なっていたのかは謎につつまれていました。
今回、宣長の医療帳簿『済世録』を読み解いていくことで、それらを少し明らかにすることができたと思います。
その一方で、今までの定説や、その道の権威の主張と異なる結論がみちびかれましたが、ベルクソンが「否定するためについやされた時間は、失われた時間である」と言ったように、極力、それらに言及することはさけました。
(でも、影響力のありそうな誤ったものに関してだけは触れました)
2013年7月から連載をはじめた「本居宣長と江戸時代の医学」は、公開する予定だった内容をだいぶ削減したため、また気まぐれのため、ところどころ話がとんでいるところが気になるかもしれませんが、切りが良いので、このあたりで終了です。
今まで読んでくださりありがとうございました。次からは「徒然草の中の医療」がはじまります。
(ムガク)
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