はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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養生一言(2)

2017-06-21 10:31:33 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

服食を神仙に求れば、多く薬の誤る所と為す。

(『雑書』「古詩」より)

昔の話、

神仙家、仙人になって不老長生を望む人は、その手段を食べ物に求めました。

さまざまな神仙薬、丹薬が生まれ、

秦の始皇帝も、水銀を含む薬を服用していたという説があります。

でも、不老長寿を求めても、薬によって逆に病気になったり命を落としたりすることが多かったのです。

現代では、健康、健康寿命が求められています。

その一方で、テレビや新聞、雑誌などで、健康食品や薬の宣伝が活発です。

食事や薬は大切なものなので、

昔のあやまちを繰り返さないように、服用する前に、よく考えたほうが良さそうですね。

 
生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。
苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。
苦難と死は人間の実在を始めて一つの全体にするのである!

(V.E.フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳より)

人は、人が人として扱われることがなかった、第二次世界大戦中のアウシュビッツにおいてですら、人として生きることを選択する自由を持つことができました。

現代でも、周辺国家がどのように行動するか不安な時代でも、未来が見えづらい社会の中でも、就職や仕事が大変でも、家庭に問題があっても、病気を抱えていても、どんな苦悩を抱えていても、私たちは人間らしく生きていくことができるようですね。

聖人は已病を治さずして未病を治す。

(『黄帝内経素問』「四気調神大論」より)

聖人は、病気になった後ではなく、なる前に治める、ということです。

喉が渇いてから、井戸を掘る、戦闘が始まってから、武器を作るのでは遅いのです。

聖人は、病気にならないように生きていくのですね。

生まれついて人間には四つの敵がある。
恐れ、明晰さ、力、そして老いの四つだ。恐れにも、明晰さにも、力にも、打ち勝つことはできる。
だが、寄る年波には誰も勝てない。
なんとか先延ばしにすることはできても、老いをやっつけることなど絶対にできない。

(カルロス・カスタネダ『時の輪』、『呪術師と私』北山耕平訳より)

古代メキシコのシャーマン、ドン・ファンの教えの一つです。

老化。

若い頃は、それについて全然考えることはなくても、日々、感じられてくるものです。

老化も死も避けることができないものですが、それ以外の敵には打ち勝つことができます。

恐れや力は敵になりますが、明晰さもそうなるのですね。 

 
志は、気の帥なり。

(『孟子』「公孫丑上」より)

東洋医学では、「気」の思想が重要な役割を果たしています。

身体に流れているもの、身体を構成しているもの、身体と宇宙とつなげているもの、宇宙そのものも気で作られている。

(と、考えられています)

それを統率しているのが、人の志なのですね。

自然の研究者は自然をねじ伏せようとしてはいけない。
自然をして自然のおもむく所におもむかしめるように導けばよい。
そうして自然自身をして自然を研究させ、自然の神秘を物語らせればよい。

(寺田寅彦『寺田寅彦随筆集』三より)

病気の時にもあてはまりますね。

医学者も自然の研究者の一員です。治療には、その原因や要因、機序を考え明らかにしていくことが必要です。

でも、時にはその必要もありますが、病気をねじ伏せなくてもよいのです。

たいていが、自然に治癒するように導いてあげるだけで十分です。

身体に、自然の神秘を物語らせればよいです。

心を養うは寡欲より善きはなし。

(『孟子』「盡心下」より)

無欲、ではないのですね。欲がまったくなかったら生きていけませんから。

欲望は少なく、が良いようです。

食べ過ぎない、飲み過ぎない、寝過ぎない、遊び過ぎない、怠け過ぎない・・・。

 

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