はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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貝原益軒の養生訓―総論上―解説 010 (修正版)

2015-04-09 17:56:16 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

凡、薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり。飲食色慾を慎しみ、起臥を時にして、養生をよくすれば病なし。腹中の痞満して食気つかゆる人も、朝夕歩行し身を労動して、久坐久臥を禁ぜば、薬と針灸とを用ひずして、痞塞のうれひなかるべし。是、上策とす。薬は皆気の偏なり。参芪朮甘の上薬といへども、其病に応ぜざれば害あり。況、中下の薬は元気を損じ他病を生ず。鍼は瀉ありて補なし。病に応ぜざれば元気をへらす。灸もその病に応ぜざるに妄に灸すれば、元気をへらし気を上す。薬と針灸と、損益ある事かくのごとし。やむ事を得ざるに非ずんば、鍼灸薬を用ゆべからず。只、保生の術を頼むべし。

(解説)

 益軒は、病気になってから、薬や鍼灸などの医療を行うことは「下策」であり、養生をして病気にならないのが「上策」であると言います。この「下策」と「上策」には良い、悪いの意味はありません。それらが意味しているのは、時間的な、順序としての位置であり、良否は、治療と養生を適切に行なっているか否かにかかっているのです。

 古来、薬は上薬・中薬・下薬の三つに分類されていました。『神農本草経』という、古代中国の薬物辞典にはこう記されています。

上薬は一百二十種、君と為す。養命を主どり、以て天に応ず。無毒。多く服し、久しく服するも、人、傷らず。身を軽くし、気を益し、不老、延年を欲する者、上経に本づく。

中薬は一百二十種、臣と為す。養性を主どり、以て人に応ず。無毒有毒、其の宜を斟酌すべし。病を遏め、虚羸を補わんと欲する者、中経に本づく。

下薬は二十五種、佐使と為す。病を治するを主どり、以て地に応ず。多毒。久しく服すべからず。寒熱・邪気を除き、積聚を破り、疾を癒やさんと欲する者、下経に本づく。

 つまり、薬はその毒性により分類されていました。「参芪朮甘」とは人参(高麗・朝鮮人参)・黄耆(黄芪)・朮(白朮)・甘草のことであり、それぞれ上薬に分類され、「無毒」であり、「不老、延年を欲する者」の薬であるとされていました。しかしこの「無毒」というのは、病気の時に適切な種類の薬を、適切な量を使った場合に「無毒」である、という意味であり、「多く服し、久しく服するも、人、傷らず」、というのも、薬が希少であった時代の常識的な量と期間においてでしょう。中薬・下薬は有毒なので「元気を損じ他病を生ず」る可能性があることは無論ですが、益軒は、上薬ですら、健康な時の養生のために使えば害が出る可能性があると指摘しているのです。

 「鍼は瀉ありて補なし」という文の目的語は、ここでは「元気」のことです。鍼を身体に刺すことで、「飲食、衣服、居処の外物の助」により補われる「元気」が補われることはなく、逆に膿や悪血、熱やしびれ、痛みを取り去るので、鍼治療は、「補」などない、「瀉」の治療法であると益軒は述べます。しかし、鍼灸医学は「補瀉に始まり、補瀉に終わる」と言われるように、鍼で補う治療が数多く存在します。ただし、その医学において鍼が補うものは、「元気」とは異なり、また長くなるので詳しい説明を割愛いたします。

 薬も鍼灸も、あらゆる治療もそうですが、必要でない時には、それを行うべきではないのです。逆もまた然りであり、「薬と針灸」には、「損」もあれば「益」もあるように、治療が必要である時に、それを行わないことには害があります。『素問』五蔵別論にはこう記されています。

「鍼石を悪む者は、与に至巧を言うべからず、病みて治することを許さざる者は、病、必ず治せず、之を治すとも功無し」

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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