富士山石和温泉郷の慶山で温泉と料理を堪能したあと、帰途に就きました。
山梨へは中央道で来ました。帰りは笛吹市から富士川町まで下道を走り、
(グーグルマップより)
富士川町から中部横断道を南下し、静岡市清水で新東名に入ることにしました。
への次郎 「ルート上に、道の駅がいくつかあるよ」
奥さん 「いいじゃない、スタンプをもらえるわ」
道の駅とよとみ
まずやって来たのは、国道140号線上にあった道の駅とよとみです。
ここは地元農産物が売りの道の駅です。この日、人だかりがあったのはヤングコーン。このあたりはトウモロコシの産地のようで、我々もお土産に一袋買いました。
お土産と言えば、地酒。検索したら、隣町に有名な酒蔵があり、寄ることにしました。
春鶯囀
やって来たのは、富士川町にある春鶯囀(しゅんのうてん)です。
奥さん 「難しい文字。春にウグイスがさえずる、だね」
への次郎 「与謝野晶子がこの蔵に逗留したとき詠んだ、短歌の中の文字だって」
お店の方に回りましたが残念、「昼休み」の札が出ていました。
落胆してここを後にし、近くにある明治時代の学校を見学することにしました。ところが、
旧舂米学校校舎
門が閉まっていて入れません。で、教育委員会に電話し入り方を教えてもらいました。
明治九年開校の旧舂米(つきよね)学校です。見てください、まるでミニ迎賓館ですよね。(説明された方によると、舂の文字は正しくは、下部は「臼」ではなく「旧」だそうです)
校舎の中には、往時の写真、教科書、学習用具や衣類などが展示されていました。
ここは復元教室。一つ一つの部屋は、狭かったです。
明治21年の写真。真ん中に舂米学校の建物、両側は増穂尋常小学校の校舎です。
昭和17年の写真。尋常小学校の校舎が充実し、舂米学校は村役場として使われていました。
校舎内を一通り見せていただき、外に出てくると、
奥さん 「石橋湛山の銅像よ! ここの卒業生だって」
への次郎 「立派な人を生んだんだね、この校舎は」
道の駅富士川
舂米学校の近くに、道の駅富士川があり寄ってみました。そしたら、
奥さん 「ほら、春鶯囀だよ!」
への次郎 「えっ?! ほんとだ!!」
一度はあきらめたあの地酒、思いがけず買うことができました。
土産を手に2階に上がり、展望デッキに出てみました。
奥さん 「いち、に、さん・・・、あれ、八ヶ岳じゃない?」
への次郎 「そうだね。手前が中部横断道。左に進むと静岡県だね」
道の駅のすぐ近くに増穂ICがあり、そこから中部横断道に入り、清水をめざしました。
つづく