
8月6日の広島の原爆投下、9日の長崎の原爆投下、そして15日は終戦記念の日、と熱い8月は戦争のむごさと平和の尊さを思う行事が続きます。
8月9日の「長崎平和祈念式典」の折に、TVでは見出し写真が紹介される場面がありました。 今年11月23日~26日に広島・長崎(24日)を訪問される予定のローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が、昨年1月にこの写真をポストカードにし、「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、世界に配布するよう信者に指示されたそうです。
この「焼き場に立つ少年」の写真は戦争の悲惨さと平和の尊さを考える際に、これ迄何度も取り上げられ、目にしてきました。 指を真っすぐに揃えた手、裸足の足元、そしてしっかり前を見つめる眼差しと、黒いおぶい紐で息を引き取った弟をしっかり背負っている少年の写真を目にするたびに、胸がえぐられる思いがします。 この少年は、弟を荼毘に付すために、焼き場で順番を待っていたのです。
この写真を写したのは、アメリカ軍のカメラマン故ジョーオダネル氏。 彼の妻の坂井貴美子さんによると、オダネル氏が被爆後の広島、長崎などで写した写真は約300枚あったが、オダネル氏は母国がもたらした悲劇を公開することをためらい、40年程フィルムは現像せずトランクにしまったままにしていたそうです。 しかし、その後『自分が伝えなければ、伝えていく人がいない。』という危機感を抱き、持っているものを何とか活用しなければ意味がない・・・と言う思いからか、1989年に写真展を開催することを決意し、2007年にオダネル氏がなくなった後も、貴美子さんはその遺志を引き継ぎ、写真展を開催し続けているそうです。
今回のローマ法王の決断を、貴美子さんは『この写真を世界中の人々に見てもらいたい、ということで行動を起こされたということは有難いの一言です。』と喜び、更にオダネル氏が長崎の焼き場で少年を撮影した時のことを妻の貴美子さんに次のように伝えたそうです。
『写真を撮った時に本当は駆け寄って行って抱きしめてあげたかったが、崩れ落ちそうな気がしたので、何もできないでいた。 その少年は、赤ちゃんを火の上に置いて、焼き上がるまでずっと同じ姿勢でいて、終わった後は何も言わずに、そのまま去って行った。』と・・・
写真の少年のその後の消息については長い間何も分からないままでしたが、なんと先日のTVで、あの日あの少年と焼き場で声を交わしたという人が現れ、その人が少年の消息を尋ね歩いている姿を放映していました。 少年が母親の里で小学校を卒業したことが分かったそうです。 今後も手掛かりを求めて探していくそうです。
人間の温かさと、人の狂気の恐ろしさをいつも考えてしまいます・・・
被爆体験を伝える活動が徐々に若い世代に受け継がれ、長崎の教育委員会も新年度から小中学校向けの教材に「焼き場に立つ少年」を取り入れ活用することになったそうですが、平和が脅かされそうな今こそ、過去にあったことを学んでいくことが最も大切なことだ、と考えます。 忘れてしまったら、また同じことを繰り返す危険性があるからです。
坂井貴美子さんの言葉を借りるなら、『この写真を見て考えるのは、一人一人。 そこからどうするかも見た人の判断で決めていくこと。』
この子は何を思いながら、順番を待っていたのでしょう。
そして赤ちゃんを火の上に置いて、じっと立ちつくしたまま、何を思っていたのでしょう。
こんな小さな子どもが なぜ焼き場に?と 思うと涙がこみあげます。
私も含め、戦争を知らない世代ばかりになりましたが、何かひとつでも自分に出来る事がありましたら、と思います。
今夜はこの子の姿が目に焼き付いたままかと・・・
戦争の悲惨さ この8月には犠牲者のドラマが放映
この8月は 日本が喪に伏す月
この少年の写真は 毎年取り上げられますね
写したオダネル氏も母国では差別された時期がおありだったようですね
オダネル氏がこの少年を「抱きしめたかった」お気持ちこそ 平和への祈りだと考えます
オダネル氏の個の優しさを息子さんが受け継いでおられますね オダネル氏こそ世界平和の伝言でしょうね
いまこの少年はどこにいるかの追跡が話題になりますが
長﨑の諫早までは追跡がなされていますがその後辿りつかれていないようです
お亡くなりになっておられるかも・・・・・
それともこの哀しい体験を一人胸に秘められているかも・・・・
本人追跡より この1枚が物語る悲惨さ 哀しみ
9月にローマ法王がおみえになります
平和のうねりが 長崎から発信されることでしょう
のりさんブログに取りあげてくださってありがとうございましたした
主人の父も ビルマで戦死 どのような末路であったか想像の域です
この酷暑厳しいなか のり様ご自愛のほど 失礼します
『オダネル氏が少年を「抱きしめたかった」お気持ちこそ、平和への祈りだと思います。』とのお母ちゃんの言葉はまさに私の気持ちでもあります。 平和のうねりが長崎から発信される日が待ち遠しいです。
お義父さまのこと・・・そうだったのですね。。心からご冥福を祈りいたします。
お互いに厳しい暑さをなんとか乗り越えてまいりましょう。
そのたびに、胸がえぐられる思いが致します。
のり様の記事を拝見して、何か、コメントを書かないでいられない気持ちになりましたが、いざとなると、なんと書いてよいのやら。。。
ただただ、祈りをささげたいと思います。
今日こそ、もう一度ちゃんと見なくてはと思いました。
お兄ちゃんは、自分の使命を果たすまでは、涙をこぼしてはいけなかったんですね。
赤ちゃんが無事に天国に行かれるまでは、それが火の中であっても、現実を直視することが大切だったのでしょう。
この幼子の人生でさえ、
「幸せは自分の心がが決めるもの」だと、お兄ちゃんはちゃんと知っていたんだと思えるのです。
お兄ちゃん、どうか、もう肩の荷をおろしてくださいね。
戦争を知らない世代ですが、精いっぱい
戦争は二度と起こしてはならないと想像させる一枚の画像でした。
このような記事をして載せて頂いて、本当にありがとうございました。
そして、のりさんに出会えてよかったです。
ちなみに、主人の父は当時、広島の駅長で構内で被爆したそうですから、主人は原爆二世なんです。
オダネル氏の奥さんは、ご主人のことを『彼は人間の原点をついた素晴らしい写真家だったと思う。 人間の根本的なものを見抜く力のある写真家だった。』と評しておられますが、あの少年の写真はまさに、そのオダネル氏が捉えた戦争のもつ残酷な一面を鋭く切り取ったもので、誰の魂も揺すぶる傑作だと思います。
心から平和を祈る気持ちになります・・・
コメント頂き有難うございました。
お兄ちゃんの気持ちを推し量りながら、みみさんがお兄ちゃんに語り掛ける優しい言葉に胸が熱くなりました。 あの写真の持つ力にあらためて感動しています。 しっかり受け取って下さって有難うございます。
ご主人のお父様は広島で被爆されたされたとか・・・さぞや辛く厳しい人生を送られたこととお察しいたします。 日本画家の平山郁夫氏もたしか学徒動員中に広島で被爆された、と聞いていますが、結婚後一時期、後遺症で苦しまれたとか・・・ ご主人様はお元気ですか。
この記事をきっかけに、身近に戦争の被害者がたくさんおられることを知り、その方達のためにも平和を強く願っていきたい、と思います。
ほんとおっちょこちょいで恥ずかしいです。
義父は、その時に両足を失うことになったそうです。
主人は、三年前に肝硬変の難病に指定されました。
原爆との関連性は不明なんですけどね・・・
一日一日を大切に暮らしたいのは、同じ気持ちです。
のりさんが、おつらいことがあっても
強く明るく暮らしていらっしゃるので、私も見習わせていただいてます。
感謝します。
長崎が、地球上最後の被爆都市であることを願います。