駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

三河地震70年

2015年01月14日 | 駄日記
1月14日(水)
今月は17日に阪神淡路大震災から20年を迎えるということもあり、各メディアもその記念日に向けて、防災関係の特集が組まれています。
ただ、2011年の東日本大震災における津波のインパクトが激しいのと、何と言っても世界史に永久に刻まれるであろう原発事故ゆえにいまだに復興途上ということもあって、ニッポン人の記憶に風化している事実は悲しいかな隠せません。

自分としては、20年前のことですが1月17日のことは忘れることはありません。
早朝5時46分頃、当時住んでいた静岡県内であってもその揺れで起きたこと。
当日は出張で、電車が遅れて焦ったこと。
TVでは被害情報がなかなか伝わらなくイライラしていて、昼のニュースでヘリからの画像でやっと大災害だということが分かってビックリしたこと。
帰りは遅れながらも帰宅できてホッとしたこと。
それからTVにかじりついて新たな映像を見てショックを受けたことなど。
20年って一言でいえばすごい昔なんですが、若い頃過ごした自分の思い出としては「ちょっと前」ぐらいの感覚なんだよね。

ところが、1月13日に同じような衝撃的な記念日があるのです。
終戦間近の70年前の昨日、三河大地震があったといいます。
この地震は、亡くなったオレのお婆ちゃんが言っていましたが、「生きた心地がしないほど怖かった」「天と地がひっくり返るほどの揺れ」だったらしい。
ここ何日間の中日新聞朝刊の三河版にも特集が組まれていました。
きっと風化させてはいけないという思いと、その教訓を生かそうという先人の願いがあるということでしょう。
地震の当時は戦時中。
しかも末期であり、敗戦濃厚で情報統制に国民も慣らされていたということです。
報道記録が殆んどないらしく、当時の新聞には「地震があった」と一行だけで、学校でも先生はそのことに一言も触れてはいけないという雰囲気だったそうです。
敵機B29がブンブン飛んできて灯りが付いている場所に爆弾を落としていくので、夜には電気を消し、倒れた家屋からうめき声が上がっていても、見て見ぬふりをするしかなかったようです。
信じがたいことです。
被害はどこにも知らされず、家の下敷きになった住民は手作業で近隣の人が救助する以外、国も町も誰も助けることもなく口に蓋をしていたらしい。
単なる地震被害ではなく、戦争による死者と言ってもよいのでしょうね。
死者は、2,306人とのことです。

われわれニッポン人は、こういった秘められた事実を知ってこそ新しい歴史を作っていくことができるんです。
戦争は、あってはいかんのです。
コメント
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