『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

「城跡」めぐり(その2)安土城

2023年10月29日 | 旅行

1575年(天正三年)に、小谷城を落とした織田信長は

翌年 1576年に、重臣の丹羽長秀に命じて、安土城の普請を始めました。

 

小谷城は、敵から自分たちを守る 攻めにくい「山城」ですが、

この安土城は、権力を誇示するような、

いかにも信長らしい造りだな、と感じました。

 

「どうぞ、いらっしゃい!」とばかりに、

石段も歩きやすいし、石段の幅は広いし、

およそ、だ~れも攻めてきたりはしないだろう、と

自分には敵がいない、自分が頂点、と自信満々の信長らしい「城」跡でした。

驚いたのは、

天守に向かう石段(大手道)の両脇に

前田利家邸と羽柴秀吉邸が向かい合って、建っていたらしい、ということ。

 

 

前田邸の入り口の大きな石橋

当時のまま、なんだなあ・・・・

 

 

このあたりを境に、「山城」は造られなくなり

代わりに、平坦な地に「堀」をめぐらすお城に変わっていったのかなあ、

と想像しました。

この間に、秀吉は長浜城を築城しています。(1573年)

 

「小谷城」から「安土城」

戦国時代の終焉も感じさせます。

因みに、本能寺の変は、安土城築城の

わずか6年後です。

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「城跡」めぐり(その1)小谷城

2023年10月29日 | 旅行

琵琶湖の東側は、とても魅力的な土地ばかりです。

長浜、米原、彦根、近江八幡・・・

戦国武将たちが、琵琶の海の近くに城を構え

そこの土地で、

家臣や民たちと(実は)平和な暮らしを営みたい、

と願って暮らしていたであろうと、思いを馳せながら

今回は、二つの城跡を訪ねるドライブ旅です。

 

まずは「小谷城」跡へ。

浅井氏が三代で築いた、と言われる「小谷城」

琵琶湖の東側の、標高500メートルにも満たない「小谷山」にあります。

賤ケ岳の東南に位置する小谷山。

小谷山の傾斜をうまく使って築いた、まさに「山城」です。

 

小谷山に登ると、四方がよく見えます。

当時は、

はるか向こうに木下秀吉が城番として預かった「横山城」が、ありました。

(横山城は浅井長政が六角氏用の防衛拠点として築城、その後、織田信長に奪われ、この小谷城を攻められる)

浅井、朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が戦った「姉川古戦場」も一目瞭然。

こうして、敵の動きを見ていたのかなあ・・・。

 

登りは結構急峻でした。

登った先の開けた場所に、それぞれの曲輪があり、

よく考えて作られていました。

 

 

 

ここらはまだ中腹なのですが、

このさらに上、山頂までには、まだまだたくさんの曲輪なり、〇〇丸跡、というのがあり、

小谷城は、頑強な守りの城、ということがよく分かります。

なにしろ、簡単には次の曲輪に到達しないのですから。

 

そして、私たちは、ここで引き返すことにしました。

 

しっかり汗をかく、結構ハードな登山となりました。

敵からしてみたら、

それだけ当時は、難攻不落の城だったことでしょう。

 

結局、兵の数で勝る織田勢(木下秀吉ら)には勝てず(味方の裏切りにもあい)

1575年には、滅びてしまいます。

信長の妹、市が嫁ぎ、

茶々、初、江の三姉妹が生まれ育ったこの場所には、

とても歴史のロマンを感じました。

 

 

 

 

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