1575年(天正三年)に、小谷城を落とした織田信長は
翌年 1576年に、重臣の丹羽長秀に命じて、安土城の普請を始めました。
小谷城は、敵から自分たちを守る 攻めにくい「山城」ですが、
この安土城は、権力を誇示するような、
いかにも信長らしい造りだな、と感じました。
「どうぞ、いらっしゃい!」とばかりに、
石段も歩きやすいし、石段の幅は広いし、
およそ、だ~れも攻めてきたりはしないだろう、と
自分には敵がいない、自分が頂点、と自信満々の信長らしい「城」跡でした。
驚いたのは、
天守に向かう石段(大手道)の両脇に
前田利家邸と羽柴秀吉邸が向かい合って、建っていたらしい、ということ。
前田邸の入り口の大きな石橋
当時のまま、なんだなあ・・・・
このあたりを境に、「山城」は造られなくなり
代わりに、平坦な地に「堀」をめぐらすお城に変わっていったのかなあ、
と想像しました。
この間に、秀吉は長浜城を築城しています。(1573年)
「小谷城」から「安土城」
戦国時代の終焉も感じさせます。
因みに、本能寺の変は、安土城築城の
わずか6年後です。