北口本宮富士浅間神社と東口本宮富士浅間神社は
山梨県側にあります。
最後に参拝する予定の富士山本宮浅間大社は、
静岡県富士宮市にあるので、
富士山の裾野をぐるっとめぐる国道469号線で
富士宮を目指すことにしました。
すると、その途中で主人が
「須山浅間神社」の案内板を見つけたので、
「時間もあることだし・・・」と、そこに寄ってみました。
川沿いにある須山浅間神社は、また「南口」とも呼ばれ
昔は、こちらからの登山客が多かったようでした。
登山客、といっても富士山で修行する修験者の皆さんです。
そして、「東口本宮富士浅間神社」のある登山口(今は、須走口と呼ばれている)に
下山していたのだそうです。
近年改修された本殿は、それほど大きくないけれど
樹齢500年を超える老杉に見守られて
静に佇んでいました。
「説明板」の中に、
曽我稲目(蘇我馬子の父)が再興した、とあり
多くの武将の崇敬が篤かった、とあります。
源頼朝、武田信虎・勝頼、今川家代々の当主、そして小田原城主。
源頼朝が富士の裾野で鷹狩りをした、という話は有名ですし、
武田家はこのあたりがおひざ元、
今川家もまあ、このあたりだから違和感はないものの、
小田原城主がたびたび参拝に訪れた、というのがちょっと腑に落ちなかったので
ガイドの方(氏子のボランティアガイド)に質問してみました。
江戸時代まで、ここ(裾野市)は、小田原藩の領地だったそうで、
明治の初め、廃藩置県で
箱根の山が境界となって、静岡県、神奈川県に分かれてしまった、とのこと。
言ってみれば、小田原藩内の神社だった、ということですね。
そして、もっと面白かったのは、
「箱根の芦ノ湖の水利権を裾野市長が持っている。」という話。
江戸時代(小田原藩が治めていた頃)
駿東郡深良村(現在の裾野市)の名主が中心になり、
灌漑用にと外輪山の下にトンネルを掘って用水路(深良用水)を完成させた、
のだそうです。
「それで、あの芦ノ湖の水利権は、裾野市長が持ってるんですよ。」
と、とても誇らしげに話してくれました。
ちょっと寄ってみるか、と尋ねた須山浅間神社は、
思いもかけず、
情報盛りだくさんの興味深い神社でした。