今年も伊那小学校から「公開学習研究会」の案内が届きました。
今年で38回目を迎えるそうです。
保育士になったばかりのころ
当時の1年生の担任だった溝上先生(今はもう亡くなられてしまった溝上淳一先生)の教室に
しょっちゅうお邪魔したものでした。
(放課後だったのでもう児童はいませんでしたが)
あのころ、
教室の子どもたちのロッカーの上に並んでいたふ卵器を
よく覚えています。
今、低学年の総合的な学習ではもう定番になっている「生き物の飼育」
あの当時、溝上先生のクラスではチャボを飼っていました。
二羽のひよこが成長し、卵を産み
その卵を孵しているところでした。
この伊那小学校の研究会の歴史を調べてみますと
私が見学に通った頃はまだ、
たぶん今のようにきちんとした「公開授業」ではなくて
「幼保小の一貫した教育課程」の県教委指定研究
ということでの実践だったようです。
それでも、その研究会は当時も大変盛況で
大勢の先生方が参観に見えていました。
授業を参観した後の研究協議では
決められた時間にとらわれない(チャイムの鳴らない)授業形態や
教科書を全く使わない授業に驚きの声と疑問が出されていました。
今でもよく覚えている質問が
「子どもはいつ、〇〇の単元をクリアするのか?」
「1年生で学ばなければいけない漢字はいつ教えるのか?」
「国語や算数の授業はきちんとやっているのか?」
「ドリルはやっていないのか?」
そういった質問でした。
溝上先生がなさろうとしていること
(伊那小学校が取り組んでいること)は、
教師主導の「学ばせる」「教える」ことではなく
「興味のあることだったら、子どものほうから学びたくなる。」
(どうして? なんで?と知りたくなる。)
子どもが主体の「学ぶ力を育て」ている、のだと思いました。
それは、幼児期の子どもたちを見ていた私にはよくわかりました。
チャボを飼うことで出てきた様々な疑問や困難を
子どもたちは、自ら、時には先生に助けてもらいながら
それを克服していたからでした。
・教室に放し飼いにしていたチャボは、教室中動き回って糞をします。
その糞を片づける「チャボ係」がその糞をする回数の多さに気づきます。
では、いったい一日に何度「うんち」をするのだろう?
チャボ係の子どもは、一つ一つ拾い上げ、
10×10(これは先生が作った)のマスが書いてある画用紙の上に置いていきます。
次の日、これが算数の授業に使われます。
1年生では掛け算はしませんが、10の単位の掛け算を子どもたちは覚えてしまいました。
・チャボと一緒に庭を散歩していると、ある子どもが
餌と一緒に土や砂まで食べている(らしい)ことに気づきます。
土なんか食べておなかが痛くならないのか?
どうして砂を一緒に食べてしまうんだろう?
それなのに、うんちには砂が混じっていない・・・
知りたくなった子どもたちに対して、先生はチャボの解剖を考えました。
が、さすがに飼っているチャボを切り刻むことには抵抗があって
地元のお肉屋さんに頼んで、鶏の内臓をいただくのです。
その結果、
鳥には「砂嚢」というものがあって、食べた砂はそこにたまる
その砂や石が食べたものを細かく砕く役目をする
ということを学びます。理科の授業です。
これは、5年生の内容ですけどね。
と、先生はおっしゃっていました。
そんな授業は、その後「総合的な学習」と呼ばれ、
文科省で取り上げ、全国に広まっていきましたが
基礎学力の遅れが顕著になる学校が多くて
その後はまた、その「総合的な学習」の授業時間数は大幅に削られ
「ゆとりの時間」と呼ばれて残されました。
そんな経緯のある「総合的な学習」ですが、
伊那小学校では今もばっちり、毎日が「総合の時間」です。
公開授業で全国から先生方が勉強に来るようになって38年
この、長い年月、文科省の方向がどう変わろうとも
また、保護者からの決して少なくない批判を浴びても
ずっとぶれずに「内から育つ」子供達を信じ、
「学ぶ力を育て」てきたことは、評価に値すると思います。
一時期、指導する教員の力によって
クラスの子供たちの成長に差が出る実態を目の当たりにしてきました。
学校全体で、「公開」に向けて授業が行われているのではないか
子どもを強引に、教師の考える道筋に導こうとしているのではないか、
「見せる」授業を意識しすぎていないか、
そんな空気を感じ取ってしまい
数年、参観を取りやめていた時期もありました。
ことしの研究紀要の中のある先生(2年生担任)の省察の中にこんな一文がありました。
(前略)もしかしたら、みんなは「前に」進もうとしていたのかもしれない。
いろいろな内情や思いはあっても、みんな「前へ」進んでいたのかもしれない。
私だけが一人、後ろ向きになろうとしていたのかもしれない。
伊那小学校の批判を読むたびに、一喜一憂していたのはわたしだ。
こんな状況で今の私のクラスを見られたとき
「結局、学力なんてついていないじゃないか。」
「計算だってまともにできないじゃないか、
総合、総合という前に、ちゃんと勉強させろよ」
という言葉を浴びるのが、私は怖かったのだ。
率直な先生の思いに胸が熱くなりました。
研究が「人間」相手なだけに
同じテーマでその研究を続けることは容易なことではありません。
でも、同じテーマでこんなに長いこと研究してきたことは素晴らしいことだと思います。
まして、たくさんの批判を浴びながら・・・・
今年が最後、と思いながら研究発表を聴き、参観をしてきました。
40年間、のいい、締めくくりとなりました。
今年で38回目を迎えるそうです。
保育士になったばかりのころ
当時の1年生の担任だった溝上先生(今はもう亡くなられてしまった溝上淳一先生)の教室に
しょっちゅうお邪魔したものでした。
(放課後だったのでもう児童はいませんでしたが)
あのころ、
教室の子どもたちのロッカーの上に並んでいたふ卵器を
よく覚えています。
今、低学年の総合的な学習ではもう定番になっている「生き物の飼育」
あの当時、溝上先生のクラスではチャボを飼っていました。
二羽のひよこが成長し、卵を産み
その卵を孵しているところでした。
この伊那小学校の研究会の歴史を調べてみますと
私が見学に通った頃はまだ、
たぶん今のようにきちんとした「公開授業」ではなくて
「幼保小の一貫した教育課程」の県教委指定研究
ということでの実践だったようです。
それでも、その研究会は当時も大変盛況で
大勢の先生方が参観に見えていました。
授業を参観した後の研究協議では
決められた時間にとらわれない(チャイムの鳴らない)授業形態や
教科書を全く使わない授業に驚きの声と疑問が出されていました。
今でもよく覚えている質問が
「子どもはいつ、〇〇の単元をクリアするのか?」
「1年生で学ばなければいけない漢字はいつ教えるのか?」
「国語や算数の授業はきちんとやっているのか?」
「ドリルはやっていないのか?」
そういった質問でした。
溝上先生がなさろうとしていること
(伊那小学校が取り組んでいること)は、
教師主導の「学ばせる」「教える」ことではなく
「興味のあることだったら、子どものほうから学びたくなる。」
(どうして? なんで?と知りたくなる。)
子どもが主体の「学ぶ力を育て」ている、のだと思いました。
それは、幼児期の子どもたちを見ていた私にはよくわかりました。
チャボを飼うことで出てきた様々な疑問や困難を
子どもたちは、自ら、時には先生に助けてもらいながら
それを克服していたからでした。
・教室に放し飼いにしていたチャボは、教室中動き回って糞をします。
その糞を片づける「チャボ係」がその糞をする回数の多さに気づきます。
では、いったい一日に何度「うんち」をするのだろう?
チャボ係の子どもは、一つ一つ拾い上げ、
10×10(これは先生が作った)のマスが書いてある画用紙の上に置いていきます。
次の日、これが算数の授業に使われます。
1年生では掛け算はしませんが、10の単位の掛け算を子どもたちは覚えてしまいました。
・チャボと一緒に庭を散歩していると、ある子どもが
餌と一緒に土や砂まで食べている(らしい)ことに気づきます。
土なんか食べておなかが痛くならないのか?
どうして砂を一緒に食べてしまうんだろう?
それなのに、うんちには砂が混じっていない・・・
知りたくなった子どもたちに対して、先生はチャボの解剖を考えました。
が、さすがに飼っているチャボを切り刻むことには抵抗があって
地元のお肉屋さんに頼んで、鶏の内臓をいただくのです。
その結果、
鳥には「砂嚢」というものがあって、食べた砂はそこにたまる
その砂や石が食べたものを細かく砕く役目をする
ということを学びます。理科の授業です。
これは、5年生の内容ですけどね。
と、先生はおっしゃっていました。
そんな授業は、その後「総合的な学習」と呼ばれ、
文科省で取り上げ、全国に広まっていきましたが
基礎学力の遅れが顕著になる学校が多くて
その後はまた、その「総合的な学習」の授業時間数は大幅に削られ
「ゆとりの時間」と呼ばれて残されました。
そんな経緯のある「総合的な学習」ですが、
伊那小学校では今もばっちり、毎日が「総合の時間」です。
公開授業で全国から先生方が勉強に来るようになって38年
この、長い年月、文科省の方向がどう変わろうとも
また、保護者からの決して少なくない批判を浴びても
ずっとぶれずに「内から育つ」子供達を信じ、
「学ぶ力を育て」てきたことは、評価に値すると思います。
一時期、指導する教員の力によって
クラスの子供たちの成長に差が出る実態を目の当たりにしてきました。
学校全体で、「公開」に向けて授業が行われているのではないか
子どもを強引に、教師の考える道筋に導こうとしているのではないか、
「見せる」授業を意識しすぎていないか、
そんな空気を感じ取ってしまい
数年、参観を取りやめていた時期もありました。
ことしの研究紀要の中のある先生(2年生担任)の省察の中にこんな一文がありました。
(前略)もしかしたら、みんなは「前に」進もうとしていたのかもしれない。
いろいろな内情や思いはあっても、みんな「前へ」進んでいたのかもしれない。
私だけが一人、後ろ向きになろうとしていたのかもしれない。
伊那小学校の批判を読むたびに、一喜一憂していたのはわたしだ。
こんな状況で今の私のクラスを見られたとき
「結局、学力なんてついていないじゃないか。」
「計算だってまともにできないじゃないか、
総合、総合という前に、ちゃんと勉強させろよ」
という言葉を浴びるのが、私は怖かったのだ。
率直な先生の思いに胸が熱くなりました。
研究が「人間」相手なだけに
同じテーマでその研究を続けることは容易なことではありません。
でも、同じテーマでこんなに長いこと研究してきたことは素晴らしいことだと思います。
まして、たくさんの批判を浴びながら・・・・
今年が最後、と思いながら研究発表を聴き、参観をしてきました。
40年間、のいい、締めくくりとなりました。
こんばんは。
総合学習の何たるかを理解していない教師が、わかりもしないのに、やたらと動物を飼って、自分の意図する方向の発言をした子供を持ち上げて、それを公開授業で恥ずかしくもなくやっていた時代がありました。
力がないのだったら普通の授業をやってくれ、というのが当時の保護者の声でした。fukurouさんのおっしゃるように、教科書がなければ授業ができない教師は普通の授業をしていればよかったのですが・・・・
ただ、今回は参観に行ってみて、教師の質が変わり始めたかな、と感じてきました。
伊那小学校の授業のやり方には今でも賛否両論あります。それでも、mienaihosiさんのように、良い思い出として残っている方がいるとすれば、良かったな、と思います。
私もあの校庭には何度も行きましたが、本当に素敵な校庭ですよね。貴重な校庭だと思います。
おはようございます。
伊那小学校には総合学習の研究会で二度ほどお邪魔しました。総合学習の時間ができた頃です。
画期的な教育改革だと思っていましたが、学力がつかなくなる!など批判も多かったです。
ゆとり世代と揶揄される若者を作り出した元凶見たいに言われますが、私は居間でも画期的な授業改革だと思っています。教師の実力が伴わなかっただけだと思っています。教科書がなければまともな授業ができない教師には総合学習の時間は無理だったのです。
今思うと
この学校で知らずのうちに学んだこと
何にでも興味を持つこと
今の自分にある宝だと思います。
そのころ遊んだ仲間と 今でも毎月飲み会をしていて
とても良い仲間を持ったと思っています。
今でも小学校の自慢できることは
校舎の裏にある 下庭
観覧席のある庭での運動会
全国を探しても 無いのではないでしょうか?
何にでも興味を示し
疑問に思う
それと 思いやりの心
孫や子供たちに伝えています。