ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

多賀城政庁跡

2009年04月03日 11時08分39秒 | 多賀城の散歩道
上記の写真は、江刺藤原の郷にある復元された政庁跡で大河ドラマ「炎立つ」で使用された。
多賀城政庁と平泉、多賀城碑(壺の碑)は密接な関係がある。
その事については、今後記事にまとめて行くつもりです。


この記事は、以前書いていたものを、写真の差し替えをしました。



多賀城碑(壺の碑・つぼのいしぶみ)から、政庁跡を望む!
この辺りは、外郭南門があった所です。


 

外郭南門復元予想図







何やら岩に文字がありそうだと探してます。












多賀城は、奈良、平安時代に遠の朝廷と呼ばれた。

陸奥国府、鎮守府が置かれていたところで

関連する、史跡などが多数あり、今でも発掘調査が

続けられています。

多賀城政庁跡は、今の役所にあたります。

『多賀城碑には神亀元年(724年)の創建とあります。』



 上から振り返った画像ですが、途中に階段が無いところがあります。
あの地面から60センチ下に、当時の階段があります。
現在の階段はその上に復元されたものです。


南門






石敷
石敷の標識の先に側溝があるが、それは当時のものです。





敷石がボコボコ立っているのは、昭和になって新しく再現されたもので、当時のものではありません。
下の政庁跡の右側の敷石は当時のままのようです。
平らになっていますね。

韓国や中国の宮殿の前もこのように石が敷き詰められていますね。 










多賀城政庁跡

ここに建てられていた建物の復元図が下の写真です。












この桜の木は、自然に芽を出し育ったものでしょう。
老木に見えますが、きっとこの地を訪れた人々を見て来たことでしょう。


1227年前、当時の政庁(朝廷)の東の国境に位置する最重要拠点が置かれていたのです。

東のまつろわぬ(従おうとしない)人々「蝦夷」を従わせ、国家を広げるための政治と軍事の中心がここにあったのです。












多賀城政庁及び多賀城碑・多賀城廃寺については現在記事をまとめています。


奥州藤原の郷での復元はこちら

ホームページ「多賀城」

コメント (6)    この記事についてブログを書く
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すごい~ (維真尽(^^))
2009-04-03 23:38:43
スケ~ルですね (^^♪

まさに~陸奥の朝廷ですね
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維真尽(^_^)さんへ (ひー)
2009-04-04 00:48:01
ここは、大宰府と共に置かれた国府です。附属する寺院も廃寺でしたが、色々とわかってきました。
関連する話はいずれ改めて…
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あらためて… (silent-holly)
2009-04-04 23:53:50
多賀城政庁跡のあたりは「壷の碑」俳句大会というのがあるので毎年行きます。
見慣れているせいか、たいして感慨もないのですが、ひーさんの写真であらためて見るとなんだかすごい歴史を感じますね。
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silent-hollyさんへ (ひー)
2009-04-05 06:12:17
壷の碑の内容について、自衛隊出身の方の本を見つけました。面白いことが書いています。
これが終わったら書きたいと思います。
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お晩です (あーさん)
2009-04-06 22:27:48
奈良にも行って来たのですが、春日大社だけしか行かれず平城宮跡は近鉄電車の車窓から見ただけでした。  残念!
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あーさんへ (ひー)
2009-04-06 22:40:32
遡ってコメントありがとうございます。春日大社と経清の記事で書いた興福寺は密接な関係ですね。偶然です。
勉強したばかりなのでwww
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