ひーさんの散歩道

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お伊勢参り 7 荒祭宮(内宮)とアラハバキとの関係

2017年11月11日 13時54分34秒 | 伊勢の散歩道
荒祭宮
正宮につぐ大きさを誇る
内宮第一の別院。顕著な神域をあらわす天照坐皇大神荒魂(あまてらしますすおおみかみあらみたま)
 
内宮正宮と同体の第一別宮
内宮の創祀とともに創建された。
高い格式を持ち、古来より、大祭、神御衣祭を受けられるのは内宮と荒祭の宮のみ。

荒祭の宮は一霊四魂の一種をさし正宮に祀られる和魂が穏やかなのに対し、激しく顕著な神域をあらわすものをさす。 また、和御魂から「幸魂」や「奇御魂」が派生するのである。
内宮正宮とは古来より一体の関係と伝えられているため、鳥居が存在しない他所の宮と比べて人が少なく、森のざわめきがが聴こえてくる谷あいにある。

祈年祭、神嘗祭、新嘗祭の奉幣の儀の祭典は正宮に続いて執り行われるほか、神御衣祭は内宮正宮と荒祭宮のみで行われることなどから、古来、荒祭の宮が重要な存在であったことがわかる。













HP『ひーさんの散歩道』
あらはばき神と謎の古代史から抜粋

『延喜式』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見えます。
祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮にひきつづき、同日に勅使、大宮司、少宮司以下神職がただちに参向して幣帛がたてまつられます。
又、神饌の種類や数量も正宮とほとんど同一のものが供せられます。
大祭中の大祭、式年遷宮も、古来より正宮に準じて執り行われています。
古来以来の大祭、神御衣祭を受けられるのは、内宮と荒祭宮のみでありますことからも、この宮の特別な神位がうかがわれます。

荒祭宮の位置は、現在の内宮が式年遷宮をする東西の殿地の中でも最初の殿地だったとされる西殿地の真北にあたり、あた かも内宮の古い本殿のような形をとっている。

鎌倉時代の「神宮雑例集」に引用されている「大同本紀」の文には「皇大神が鎮座のとき、度会氏の祖先の大幡主が最初に荒祭宮の地に大宮を造った」という伝承がある。

荒祭宮の神域内から白玉などの祭祀遺物が出土したこと。

これらのことから荒祭宮の祭神こそ古い内宮の地主神であったと述べている。
また、「荒祭宮の神に対する仕事が特に荒祭物忌と言って特別な専属の巫女が置かれている。
これは、古い土地の豪族であった磯部氏から出した」と述べている。

(「古代王権の祭祀と神話」橘書房&「伊勢の大神の宮」堀書房 桜井勝之進著&「日本の神々」中公新書、松前健氏著)

伊勢神宮の荒垣の内におられのがそれである。

群馬県吾妻郡の後藤菊次郎著「子持山縁起」では、「荒人神」が「アラハバキ姫」となっており、また、終りの部分
は「伊勢神宮のあらがきの内におはします。
すなわちあらはばき是なり」とアラハバキ神の名を明記しています。

つまり、荒祭宮が伊勢の地主神=アラハバキ神だという説話なのです。

また、祭神は別名:瀬織津姫とも言われています。

この神は、古事記・日本書紀には出てこない神名です。
治水神の性格を持ちますので水神や、川の神または龍神だったりします。Wikiによれば九州以南では海の神ともされています。
祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神でもあり、穢れを早川の瀬で浄めるとあります。

根拠は、 『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』の中に記述があるということです。


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4 コメント

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そうこんな光景 (りひと)
2017-11-23 18:06:35
いい写真出てますね。遷宮のあとの敷地の写真ですかね?とても味がある写真ですね。
伊勢で色々回った際もお社の隣が大きな敷地で空いている次の20年後の準備が出来ている凄さ感じます。

度会氏については、当時中臣系の関係からちょっとひいてたんですけどどうも小屋根さんはうちの関係でも別格みたいでして私の印象は当時とは変わってきてます。でひーさんの記事も気になるのでうんうんと。巫覡系が関わっていそうなきもしますね。伊勢は巫女が前面に出てるので強調する事で見えなくなっている物もあると思います。

あともう一つの磯部さんですか?お役目があるとは?知りませんでした。ここも巫覡系でこっちが本家とも若干思ってます。こちらがあってこその渡会さんとも。
磯良好きなので鳥羽あたりも相差も海神さんが関わっていそうに思います。海幸彦と思うと伊勢とも関係するでしょう。干し鮑や海の幸、生だけじゃなく保存がききさらに栄養価や味にも変化を起こすような知識も持っていたんではないかとも。塩も関係するかな?

そう私二見で鹽草頂いてきてました。塩も保存や腐敗防止にもなりますね。神様への海の恵みでもあるので今日儀式やってたかな?
初めて二見行った際、11/23に二見に決めてました。その後伊勢に行く予定が祖母の喪中になり行けずで次の年の夏に伊勢詣り出来ました。
色々思い出しますね。ここの二つの家系はすぐに知識入れておきます。2296
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りひとさんへ (ひー)
2017-11-24 08:44:39
たぶん、地元の神をお粗末にすると、地元の人が新しく鎮座する神を受け入れてくれないからだと思います。

これは出雲にもあり得ると思います。
真実はどうだったのかやはり直接見たいですね。
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瀬織津姫 (きんごろう)
2019-10-08 23:59:16
先日、山口大神宮を参拝した時にふと感じましたのでコメントさせていただきます。

山口大神宮は約500年前に伊勢神宮から勧請した神社のようです。そして内宮別宮荒祭宮の祭神は瀬織津姫でした。もしかすると500年前当時の伊勢神宮荒祭宮の祭神はまだ瀬織津姫でそのまま山口大神宮へ勧請され、その後いつしか伊勢神宮だけ瀬織津姫の名が消されてしまい、山口大神宮では残っているのかなと感じました。
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きんごろうさんへ (ひー)
2019-10-09 10:01:12
そのようですね。
今度近くに行けたら参拝に行きたいと思います。
瀬織津姫が祀られている神社は、意外なところに見かけます。

あらはばきと瀬織津姫は同体なのかと思うことが多いです。もしかしたら時代とともに変化したのか?と思うことがあります。

古事記などに無い神は、神主を教育する機関でも出て来ません。 よって良く研究している神職以外は基本天照系のことしか教えられていないし勤務している神社の神職として
自分のいる神社を現在の教えで答えるだけです。 質問すると答えられない神主さんがほとんどです。
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