あれは、確かわたしが中学2年生(花も恥らう)とは決して言いたくない(笑)、と言いますか、何をやっても、そうだ!箸が転がってても嬉しくって、楽しく、まさにバラ色人生がわたしにとってはこの多感な時期であった。
又、当時欲張りで我ままだったわたしは、誰にも渡したくない、譲りたくない、与えたくない、の3拍子を見つけたのもこの頃で、おマセなわたしはこの頃悟りを開いたような極致になって「人を愛する事は人を信じる事なのですよ・・・」アーメンとは言わない(キリストの学校ではなかったから)一番仲良しの友人に言ってた(らしい?)クラス会の前日電話でからかわれた(笑)
その、中学2年生の頃に、美人で可愛いおまけにオシャレな国語の先生が新任でこられ、我々はそれを(嫉妬&羨望)ボイコットはするし泣かせるし・・・恐るべし、ウーマンパワー前回!バリバリのクラスでした。
半年過ぎても教室の中は以前と変わらず、ある日(ガヤガヤ、ギャーギャー)賑やかな現国の時間「ヒバリさん、教科書のこの言葉を見てどう感じられますか??」(隣の友人と、ヤバイ・・・とアイコンタクトを交わす)ふと、何気に出てきた言葉が別にキザなつもりも何もなく、今、わたしの中に日々淡々と起こってる素直なままの気持ちが「人生を思います」と言う先生へのわたしの答えだった。
その時の先生の顔と一瞬だけ静寂が漂った教室の空気はいまだに記憶していて、あの美人教師のこれまたキレイでお星様(ピカピカ、漫画の世界?)の瞳が一瞬、うるっときたのをわたしは見逃していない(笑)先生、言葉を一瞬飲み込んでたのも・・・
しかし、あれからです(褒められたのもあるが)書く事に抵抗が無くなったのは。文才はありませんが(笑)
えっ?どんな問だったのかって?
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」・・・さて、今のわたしはどう回答を出すかな?
余談ですが、幾つになっても煽てられ(褒められる)だね、成長の芽を促すと想いますよ。