日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

変わっていく

2018年07月22日 | 命について
非言語のいろんなレイヤーで

感覚と世界が融合していく

(私)にそのコントロールはない

時折

そうか

なるほど、なるほどなと

なにかが腑に落ちてまた深まっていく

「どうされましたか」と聞かれても

開きかけた口から出る言葉はない

全身を耳のようにして

木霊のような

変わっていくものの気配を聞いている


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ガソリンとかガソリンスタンドとか

2018年07月21日 | 命について
急いでいたのにガソリンがなくて、ついにあのランプがついてしまった。
今からガソリンスタンドを探して給油して行ったら今日の予定に間に合うかな。

そもそもそんな事態になったのは、いつも使っていたガソリンスタンドが閉店してしまったから。顔なじみの店長さんが車内からカチコチになったカニ(その頃はよく海で遊んでいた)を見つけてくれたこともあったし、上がってしまったバッテリーを届けてくれたこともあった。久しぶりに子どもを乗せていたら、大きくなりましたねと言われたこともあったのに。

なんだってある時には当たり前だから目に見えない。なくなって初めてその存在を意識する。
ガソリンもガソリンスタンドも。
親や家族、人との縁も。
仕事なんかの経済活動も。
健康な体。
自分の(と思っている)能力。命。自分。

いろんなものの上に私たちは乗っかって、全部自分のものと思って生きている。

ほんとは何一つ自由になるものはないのにね。






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いつかの夏

2018年07月20日 | 命について
その病院にこどもがいたのは三カ月くらい、やっぱり暑い暑い夏だった。

通常は何週間も待って入院するんだろうから、初診の当日に入院するなんてことはあまりないんだろう。どうなるかもわからず点滴するこどもの側で何時間も待つ間、ひとりの看護師が私の背中にそっと手を置いていた。
初めは気がつかなかった、それどころじゃなくて。気がついてからは、その手を意識せずにいられなかった。
そうか、私は気遣われているのか。
そうか、それだけ状況は困難なのか。

結局入院させてもらえたので、熱風が吹き百日紅の花が咲いて散る夏、毎日そこに通った。
私のこどもは生きて病院を出ることができた。
病棟にいたこども全員がそうであったかわからない。

あの時背中に置かれた手を思い出す。

普段は気がつかないけれど、私たちはたしかに繋がり支えられながら生きている、ということを。

頭を垂れ祈るような気持ちで。

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2018年07月19日 | 命について
清められた畳の上に

座布団と座卓を配置して

生きた人間に座ってもらう

また立ってもらって

違う形にして座ってもらう

しばらく話したり聞いたり

笑ったり泣いたりした後

人が帰っていく

積もったものを箒で掃いて元に戻す

遠くから近くから

西から東から

波頭がぶつかるように私たちは出会い

寄せては返す波のように

また出会っては散り

くりかえす



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ピンクとむらさき

2018年07月13日 | 日記
生活に抱かれて

私たちは日常と言う夢を見る

決して終わらないと教えられて

心を尽くして夢を見る

どんな夢も等しくかけがえがないと

誰も知らない

君の乗ったモノレールがついた

紫ピンクの夕暮れに

もう少し夢を見ている

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