歴史に学ぶ人事・経営論

横浜の社会保険労務士・行政書士関口英樹です。

創業者の原点の件

2022-02-13 13:39:11 | 歴史に学ぶ人事経営論
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、志半ばの53歳で急死してしまう。
しかしながら、頼朝が打ち立てた武家政権は、盤石なものではなかった。
跡を継いだ長男は、将軍としての器はなく、武芸よりも和歌に夢中になる。
幕府の行く末を案じた家臣により、暗殺される始末だ。

こういった中、幕府を強固なものにするために立ち上がったのは頼朝の妻北条政子だ。
政子が将軍の座に据えたのは、次男の実朝。
政子の弟北条義時を執権に、武家政権を盤石なものにしようとした。

そういった状況に、危機感を抱いたのは、京都の後鳥羽上皇だ。
天皇をしのぐ実力者であり、自ら刀を鍛えるほど武芸に通じていた。
荘園からの莫大な収入により、貴族たちを意のままに動かすことができた。

「京都と鎌倉に政権が共存している状態を改め、朝廷が主導権を握る国家体制に戻さねばならない。朝廷に権力を取り戻すには、実力行使しかない。」
そう考えた後鳥羽上皇は、執権北条義時の追討を命じた。

追討命令に応え、鎌倉幕府に不満を持つ武士たちが京都に参集。
一方、鎌倉では、御家人たちに動揺が広がっていた。
追討命令により、賊軍の汚名を着せられ、戦意も上がらず、戦うべきか迷う者さえいた。

鎌倉幕府存亡の危機に立ち上がったのが政子だ。
政子は御家人を一堂に集めた。
「みな、心して聞きなさい。これが最後の言葉です。頼朝様がここ関東に国を作って以来、みなの官位は上がり、収入も増えました。その恩は、山よりも高く、海よりも深いものです。しかし今、朝廷より理不尽な討伐命令が出されました。
名を惜しむ者は、朝廷側についた者供を討ち取り、三代にわたる源氏将軍の恩に報いなさい。」

政子の演説に、武家の原点に立ち戻った御家人たちに、もはや迷いはなかった。
ワンチームとなった鎌倉武士は京都に向け出陣。
その数19万。対する朝廷は2万。(承久の乱)
勝利した幕府は、朝廷の所有する荘園を接収し、経済的基盤を奪った。
以後、朝廷は、幕府の援助に頼らざる得なくなった。

かくして頼朝が誕生させ、政子が盤石にした武家政権は、明治維新まで700年続くことになった。

迷ったときほど、創業の原点に立ち戻る。
経営もまた、しかりではないだろうか?


~中小企業の人事・法務担当~
関口総合法務事務所 社会保険労務士・行政書士
ALPHA FOLKS株式会社 代表取締役
関口 英樹

〒221-0005 神奈川県横浜市神奈川区松見町1-12-12-3F
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