故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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絵のタイトルは、「距離感」です。
互いに若くはありません。
妻を正視するには怖すぎる。
不思議なものを見るような「距離感」こそ、共有できる空気です。
今日のタイトルは、「奥さんに興味がある(Part2)」です。
奥さんの目を見て話を聞く。
これは至難の業です。
奥様の似顔絵を見ても、「こりゃ、誰かと」と問う友人にがっかりしました。
孫が通うクラス全員の似顔絵を友人家族に見せ、孫を探してもらいました。
ジジババはだめでしたが、お父さんは一発で娘を見つけました。
友人は奥様を見ていないのです。
孫はうるさいだけなのです。
似顔絵も上手いとは言えないけど、関心が薄いとも感じました。
私も妻の話を真剣に聞いていない一人です。
妻が私の話を聞いていると思ったら、眠っています。
お互い様なのです。
ある日、テレビを消して妻の顔を見ながら話を聞きました。
話の内容はいつものことでしたが、なんとなく面白い。
聞こうとしてなかったと気づきました。
それからです。
会話が楽しくなり、ほっこりです。
2025年2月1日
2024年8月7日投稿記事「奥さんに興味がある」では、
「好きで一緒になった夫婦でも、日々の「ほっこり」がつなぎ留めます。
「ほっこり」は、何なのか。
きっと、血沸き肉躍るものなのでしょう。
身体を流れる血液が温かくなる瞬間なのでしょう。
飾らない人そのものです。」
(記事より抜粋)
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絵のタイトルは、「としでっさかい」です。
妻と私のような。
どちらがどちらでしょう。
今日のタイトルは、「6000ヤードを運ぶ」です。
半日がかりで遊ぶ。
ティーの上の玉っころを打ち、はるか先の15㎝のカップに入れる。
百切達成を喜ぶのが、我がゴルフです。
ホワイトから打って、レディースをわずかに超える。
妻に先を越される。
3打目で追いつき、グリーンに近づいてからが勝負です。
昨日も楽しく回れました。
帰りの車で、妻は爆睡です。
「いつでも言って、運転代わるから」と、身体が九の字の妻が言う。
片道100Kmの運転が、楽しいドライブならと鼻を噛む私です。
寒いこの時期は、どこのゴルフ場も閑古鳥です。
値を下げたゴルフ場を渡り歩く。
今日は、8000歩だったと喜ぶ妻です。
新調した胴巻きに携帯電話を入れ、万歩計のアプリでカウントしています。
帰ったら疲労困憊です。
ゴルフに出かける前日もおとなしくし、備える私たちです。
翌日も、こりゃダメだと畑に出かけられません。
結局、3日掛かりのゴルフです。
やめられない、止まらない。
赤とんぼが、打った球に留まる。
チャックが開いたポーチから、カラスが飴玉の袋を引っ張り出す。
ボールを打とうと、眠っている虫を叩き起こす。
失敗を楽しむ、優雅な遊びです。
2025年1月29日
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絵のタイトルは、「洗い清めて」です。
国分寺跡に流れる湧水に青菜がさらされていた。
どうして描こうと思ったのかは、自分にしかわからない。
今日のタイトルは、「「だから荒野」を読了」です。
人には、清らかな部分がある。
しかし、誰(世間)に話しても信じてもらえないことが多い。
作者、桐野夏生は猛々しい。
この作家と出会ったのは、昨年であった。
私は、女性作家の小説は読まない傾向にあった。
若い人たちの歌を聞かないのと同じような理由であったと思う。
「直木賞」、「芥川賞」や「本屋大賞」を受賞した本が一目でわかる。
私が通う図書館が、そんな工夫をしていた。
自由気ままな時間ができた。
本気で学ぶ時間ともいえる。
外国人の作家が書いた翻訳小説も読まなかった。
ひたすら、目先の自分を肥やす(癒す)物ばかりを追いかけた。
暮らすことに精一杯の日々を思い起こす良いきっかけとなった。
2週間の貸し出し期限のなかで、頭の体操ができている。
川を掃除したり、他人の耕作放棄地の雑木伐りや草刈りが楽しい。
こうだったら良いなという妻の希望を叶えるために、畑を鋤くのも楽しい。
身体が動かなくなった友人を少しだけ助けるのも楽しい。
若いしで遊んどるのは我だけじゃと、同級生の散髪屋に言われた。
心に引っ掛かっていることが誰にもある。
苦悩を人に話しても理解してはもらえない。
私より少し先輩の桐野夏生さんが書く小説に、考えさせられる。
若い人たちが書く小説にも驚かされる。
海外の作家も素晴らしい。
どうして目をつむっていたかなんて、考えないことにした。
生きていることが、自分の選ぶ道です。
険し(楽し)かろうが、正直に生きている。
毎晩見る夢で後悔し、現実で補う暮らしです。
しばらく、桐野夏生さんに心酔することにした。
2024年1月27日
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写真のタイトルは、「空き家の雑木伐り」です。
手前に墓が見えます。
雑木伐りをしていたら、墓が出てきました。
雑木伐りがきっかけとなり、持ち主はすぐに墓仕舞をされました。
迅速な対応にこちらが驚きました。
その方の歩く姿は、追い付けないほど速足で、びっくりしたのを覚えています。
今日のタイトルは、「竹きり侍」です。
2日も空けると、できるかなと不安になる力仕事です。
明日は、友人のうちのご神木(15m以上の梅の木)を剪定します。
梅の枝間に手ごろな木切れ(5㎝径以下)を固定し、簡易の自在梯子を作ります。
手ごろな枝を探しに耕作放棄地に行こうとしました。
雑木なら、川端にいくらでも生えてるよと妻が勧めてくれました。
川にせり出した孟宗竹がかねてより気になっていました。
孟宗竹に葛(くず、5㎝径)が絡まり、重みでしなっています。
反対側の道路を通るとき、軽トラの頭をこするほど邪魔になっていました。
雑木の枝を取る前に、竹をなんとかしなきゃと伐り始めました。
葛は何本もの竹に絡まっており一本を切ったところで倒れません。
結局、絡まっている5本の竹を伐ることになりました。
枝取りが竹伐りになり、結局葛退治になりました。
いつもの私の仕事のパターンです。
竹伐りの仕事をするために、竹周りの無数の低木も伐ることになりました。
20本の孟宗竹(40Kg/本)を一本ずつ切り空き地に運びました。
枝付きのままでは嵩張る為、枝を落とします。
夕方になり、数本は枝落としもできず、畑に運んだままです。
今日の仕事となりました。
川端の雑木の枝でごまかそうとしましたが、大変な仕事になってしまいました。
ついでに、川底にある流木と落木も片づけます。
猪が、葛の根を掘ることもなくなるでしょう。
猪は、筍だけにしてください。
この春、川端を散歩する人が増えればよいと思います。
2025年1月25日
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絵のタイトルは、「去る者は追わず来る者は拒まず」です。
歩き疲れた、眠れなかった。
夜明けが来て、アパートに帰った。
今日のタイトルは、「徘徊」です。
日常を離れて、目的もなく歩きたい(小旅行)時があります。
先輩は、ラッシュが過ぎた京浜東北線の電車に文庫本を持って乗るそうです。
読みたければ読み、眠ければ寝たらよい。
夏は涼しく、冬は温かい。(景色が流れるだけスーパーや図書館よりいいかも)
お腹がすいたら、ホームの駅そばなんていかがでしょう。
(私は、東神奈川駅東京行きホームのあなご天そばが好きでした)
この電柱からあそこの電柱までと、行動範囲を息子さんに決められました。
今日は通らないなと、自動車板金工場の主人が言う。
畑で、遠くから見守る人がいる。
昨日は赤い車、今日は軽自動車、一昨日は市役所の車がカフェの前に駐車しました。
降りて来たのは、私たちが借りてるカフェのオーナーでした。
昔、山岳ガイドをしていた、鋼鉄の脚の持ち主です。
地域では、有名な徘徊老人でした。
冬の早朝、裸足で雪道を歩いて、灯りがついてるコンビニで道を聞きました。
コンビニの店員が警察に知らせてくださり一命を拾いました。
友人のお父さんが、玄関まで来て引き返した。
靴を研いていた友人が、「新聞を取りに来たのじゃないの」と声をかける。
お父さんは、座椅子ごと後ろにひっくり返って、起き上がれない。
「起こそうか」と友人が声をかけると、
「起きてもやることがないから、こうしていた」という返事。
ある時、お父さんは自転車ごと行方不明になった。
居なくなって一日が過ぎようとする頃、「見つかった」と警察から電話があった。
駆け付けてみると、生垣に転んだまま、「ご苦労」とおっしゃられた。
島でも、年に数回、「行方不明の老人」について、広報(拡声器)が報せます。
GPS付きの携帯を持たせる。
(充電が十分か。電波が届くところかと心配は尽きない)
(それより、住所と名前を携帯に貼りつけたほうがよいかも)
平たいところが少ない島です。
誰もが知り合いで、「あんたは、どこから来てどこへ行くの」とあいさつ代わりです。
もう少し徘徊したかったが、見つかるのが必定です。
高校生の次女は、学校を休んで高級住宅街を徘徊していました。
姉弟妹たちがひしめく我が家より、豊かそうな広い家に住みたかった。
時間がたっぷりあっても、どこにも出かけない。
徘徊と散歩の区別がつかなる前に、情緒あふれる街角を散策したい。
車の速度の1/10の歩きでは、見えるものが違います。
移住者の私たちは顔が知られていません。
通報されないように、コミュニケーションをとることから始めましょう。
2025年1月16日
徘徊とは、
どこともなく歩きまわること。ぶらつくこと。
(広辞苑より)