故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ぼたんの掛け違い

2019-05-08 02:43:58 | プロジェクトエンジニアー

「後ろ姿もいかしてる」というタイトルの絵です。
課長の肩書ゆえに、このタイトルを選びました。
前の姿もよいのです。


日中は暖かくても、朝晩はまだまだ寒い。
これが平年並みの気温ではないだろうか。
この地域に来たのは三年前、早朝鍬を握る手はかじかんだ。

やっと、普通の暮らしに戻れた。
ゴールデンウィークは、異常であった。
来客が二組あり、家を片づけた。
カフェの駐車場と付随の畑の草を刈った。
一反歩の畑と三軒の空き家の草も刈った。
野菜を植えた。山菜を採りに行った。
食べきれぬ山菜を都会の友人に送った。
そして、遊びにも行った。

今日のテーマは、「ボタンの掛け違い」です。
致命的な失敗の夢をみた。
次から次に失敗の連鎖の思い出がよみがえる。
こんなにやらかしても、生きている。
都度言い訳をし、打開してきた。

成功を思い出すことはない。
成功だったとは、他人が言って初めて知るのである。
失敗は己が気づき、また重ねたなと実感する。
書類のやりとり、コミュニケーション不足などが原因の失敗である。
失敗を取り戻すために、多くの時間を割いてきた。

多くの失敗を振り返っても、やらなければよかったとは思わない。
やらなければ、未熟さに気づかなかった。
恋は、いつでも初舞台なのである。
「ボタンの掛け違い」だけは、避けられたのではないか。
人の話を聞き、己を知っていれば、「掛け違い」まではならなかった。

成功と失敗を分ける基準(ものさし)は、どこにあるのだろう。
原因と結果は、誰かが教えてくれる。
医者は、証拠(科学的データ)を示しながら病気の解説をしてくれる。
予防や対策も親切に教えてくれる。
何故そうなったかは、医者にも不明なことが多い。
同じことをしても、病気にならない人がいる。

そもそも成功なんてないのではないだろうか。
失敗を重ねても生きていることが、成功なのではないだろうか。
危機一髪とはいかないまでも、
寝坊を走って取り戻すようなことの連続なのではないだろうか。
取り戻せないにしても、「ボタンの掛け違い」こそ、人生そのものなのじゃないだろうか。
ちぐはぐこそ、味わい。
もう少しこうだったらと、万人が思う。
墓場まで持っていきたい恥じらいこそ、わが身である。
ごまかす笑顔こそ、その人そのものである。

失敗を繰り返す他人も自分も許してあげよう。
失敗は、心地よくない。
そもそも、失敗かどうかの基準が、教えであったりモラルであったりする。
その基準までも疑ってよいのである。
なにが大事なのか、私には考えつかない。
どこまでも、模索中である。
どうか、失敗と上手に付き合って欲しい。
取り戻せない人生などないのだから。

葉をどけて 様子をみるか ありの道

2019年5月8日
コメント
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