故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

人生すれ違い

2019-05-24 08:39:50 | プロジェクトエンジニアー

イチャリバチョーデー(沖縄のことば)というタイトルの絵です。
袖振り合うも多生の縁。
(振り合うは、互いに触れる、または互いに振るの意。
「多生」は「他生」とも書く)
道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁(前世からの因縁)による。
すなわち、ちょっとした出来事もすべて宿生の因縁によるという意。
(広辞苑より)


冒頭の絵は、別府で見た足湯の風景です。
「袖振り合うも多生の縁」と言う言葉を思い出し、
偶然隣り合わせた他人が、友達にもなりうるとイメージして絵を描きました。
ところが、この言葉は前世からの因縁の意味が込められていました。

今日のタイトルは、「人生すれ違い」です。
今回、学生の頃の友人と何十年ぶりに会いました。
かつては、同じ方角を向いて歩いていました。
何十年という時により、まったく違う人生を互いに見ることになりました。

私達夫婦は、同窓会で50年ぶりに再会し再婚しました。
互いの長い時間との折り合いをつけることになりました。
むしろ、その時間を捨てざるを得なくなった。
つまり、それぞれ住んでいた家を出ることになった。
助走の意味で、私の経験を生かした仕事をし所帯を持った。
働きづめの妻は、憧れの主婦になった。
飽き足らず、故郷に恩返しがしたいと地域おこしという仕事を選んだ。

地域おこしという仕事に多くの人が就いた。
総務省の狙いは、移住者を増やすこと。
地域おこし協力隊員は、3年間のうちに除隊後の生業を見つけること。
地縁血縁のない新たな土地で、生業となるような仕事を見つけることは至難の業である。
大した仕事をしたわけでもないのに、安いけれど給料と経費は出る。
評価がないまま、時だけが過ぎていく。
多くの協力隊員が挫折を味わい、都会に再度紛れ込む。

そんな協力隊員にかける言葉を思いつかない。
私は、心の奥底に潜む叫びを黙って聞くだけである。

故郷に恩返しをする気持ちは、生き抜くことだけに費やされていった。
作物が獲れぬ畑に日光を当てようと森の木を伐った。
徐々に片づけながらも、未だ畑の傍に伐採した木々が放置されている。
まさに開拓の風景である。

多くの人生がすれ違ってきた。
そして混ざり合ってきた。
まかり間違えば、目の前にいる人の生きざまになっていたのです。
だから、長い時を経ても共感できるのでしょう。

俺だったらそうはしないのにな。
しかし、他人の耳には決して届かない。
SNSに自分の生きざまを肯定する写真を載せ続けるしかない。
私は、仲良しクラブから遠ざかる。
ただただ、汗だけの生きざまとなる。

陰笑い 私と違うと 暗闇に

2019年5月24日
コメント
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