
笑顔も素敵とタイトルをつけました。
この方の笑顔を見たことがありません。
どうしたら、笑わすことができるのでしょう。
昨日は、いじめについて書きました。
今日は、「一緒に食べる」というタイトルにしました。
腹いいっぱいになったら、悪さはしない。
この言葉は、多くの真実を含んでいると思います。
若い時、外人と一緒に食事をするのが苦痛でした。
理解できないまま、笑顔で答えるのが自分をゆがめるように感じました。
今は、平気です。三語英語で話しかけます。すると三語英語で返してくれます。
分からない単語は、なに?と聞きます。優しい言葉に変えてくれます。
何度もそのやり取りをします。生きた語彙力がつきました。
ここでも一緒です。方言と思われてない言葉が会話に出てきます。
すぐに、なに?と聞きます。少し赤くなって応えてくれます。
ドイツ語の発音が、完璧にできていると褒めたたえます。
すしとすすの違いがよくわかりません。これがドイツ語的なのです。
さて、「一緒に食べる」でした。
食べる前に、食材を一緒に収穫します。
収穫する食材を一緒に栽培するともっと良いでしょう。
栽培し収穫したもので、料理を一緒にします。
そして、一緒に食べる。
気の長い話です。
これで、悪さをする子が減ったと聞きました。
ものに対する感謝が芽生えたり、作ることの困難さを学ぶ機会になるのです。
一緒に作るときは、友達どうしが協力しなければならない。
大人のアドバイスを聞くと美味しくできたりする。
そして、腹がくちる。満足です。
食事の時に、会話をします。
一連の作業の中で、分からないことを素直に聞けます。
知っている子もいれば、知らない子もいる。
だれも較べたりしません。威張ったりも卑下もない。
誰(子供も大人も)にも完璧にはできないからです。
知っている子も最初は知らなかっただけです。
勉強のできない子ができる子に教わる。
勉強のできる子は、かけっこを勉強ができない子に教わる。
誰でも得意分野がある。それを認める。そして助け合う。
きっと、そんなことでぎすぎすが解消され、悪さも減っていくのでしょう。
自由に話せる場があり、誰もが自由に話す。
野菜を育て、収穫し一緒に料理をし食べるうちに、会話が楽しくなるのでしょう。
こんなプログラムを荒廃する学校に取り入れた、アメリカの話を聞きました。
私達は、良かれと信じアドバイスをし矯正しようとします。
自分の考えとやり方に巻き込む行為です。
一緒に学ぶ。ベターではなくグレートを目指す。
誰もが到達できないから、一生懸命になる。
一人のベターを分かつことで、グレートに近づけるのです。
怒ることはどこにもありません。
だって、教える人も教わる人も到達できないのだから怒る必要がない。
今日からテレビを消して、妻の話に聞き耳を立てます。
仏法僧 今年も森で 風抜ける
2019年5月30日