故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

タイトルは、「ワッハッハ」です。
驚いたことに、勤務時間中に草をとっておられました。
どこも、草との格闘ですね。
今日のタイトルは、「餃子」です。
昔、都下にホワイト餃子という店がありました。
揚げ餃子専門店だったように記憶しています。
40個以上食べると、店の壁に名前が張り出されました。
友人も私も挑戦し、張り出されました。
今や、カフェの予約客に出すお任せ料理の定番です。
ミンチ肉(豚肉)の量を25%以下に抑えています。
野菜の量を増やしてジューシーさを出すための工夫です。
野菜もできるだけ大きめ(5mm角)に切っています。
よく練って水分を保持できるようにしています。
焦げ付かないフライパンを購入しました。
蒸すための水量(20個で200cc)、時間(水分が抜けるまで強火)も管理しています。
ガスコンロにフライパンをかけて焼いています。
焦げ付かないように、均等に焼けるようにフライパンをゆすって餃子を移動させながら
フライパンの中で回しています。
包んだ生地の中で具材が弾ける。生地の底が焦げる。
生地は焼けてはいるが柔らかさが失われない絶妙のタイミングで火を止めています。
それでも毎回仕上がりに差があります。まだまだです。
エビ、筍とシイタケの具で作りました。
エビとしいたけの美味しさを強調するために、何かが足りないと模索中です。
塩の量でしょうか。具材は大きめ(やはり5mm角)の方がよかったかもしれません。
冷凍エビの解凍が十分ではなく氷が混ざっていたこともあるでしょう。
合挽肉(牛肉と豚肉を半々)、ズッキーニ、イタリアンパセリとピザ用チーズで作ってみました。
これは美味しかった。
合いびき肉の美味しさがチーズで引き出されました。
イタリアンパセリとズッキーニの相性もよかった。
ズッキーニは、水分保持に優れていてジューシーさも出たようです。
キャベツ、ニラと豚肉ミンチで作るときは、よく練ることです。
練りが足りないと、また肉の量が多いとパサパサとした食感になるようです。
ジューシーさを追うあまり、水が残るような種では包みにくいのです。
生地は大判で薄めのものを使っています。
具材を多く入れられて、包みやすいからです。
まずは、経済的な要件より美味しさと作りやすさから入っています。
一度にたくさんの餃子(150個)を作ります。
焼く前にくっつきました。粉を振ってもくっつきました。
くっつくと生地が裂けて食べにくいのです。
作ったものから冷凍庫に入れて生地を凍らせるようにしたらくっつかなくなりました。
焼く時もゴマ油を少し生地にからませるようにしています。
10個ずつラップで包み冷凍保管します。
短時間で、料理するためです。
2週間以内に製品にしています。冷凍乾燥を防ぐためです。
それでも生地が乾いた場合は、揚げ餃子にしています。
必ず、自分たちで味見をします。
肉の代わりにさんまを入れた時も友人たちに試食していただきました。
美味しくない時はお客さんに出さずに、反省しながら家庭で食べることになります。
料理に不慣れな私は、妻に相談しながら指導を受けています。
試食した友人たちからアドバイスをいただいています。
旬の地元野菜をふんだんに使った料理を出すようにしています。
季節ごとに旬は移り変わります。冒険料理は永遠に続くようです。
あの手この手(和洋中の味付け)で格闘しています。
強い味方は、料理本です。
営業の時食べた地方ごとの一流の味と、世界で食べた珍しいものの記憶です。
お客さんに出す前の味身だけは、私にもさせてもらっています。
これだけが唯一私にできる自慢です。
塩梅が 決め手になると 恋指導
2019年5月25日

イチャリバチョーデー(沖縄のことば)というタイトルの絵です。
袖振り合うも多生の縁。
(振り合うは、互いに触れる、または互いに振るの意。
「多生」は「他生」とも書く)
道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁(前世からの因縁)による。
すなわち、ちょっとした出来事もすべて宿生の因縁によるという意。
(広辞苑より)
冒頭の絵は、別府で見た足湯の風景です。
「袖振り合うも多生の縁」と言う言葉を思い出し、
偶然隣り合わせた他人が、友達にもなりうるとイメージして絵を描きました。
ところが、この言葉は前世からの因縁の意味が込められていました。
今日のタイトルは、「人生すれ違い」です。
今回、学生の頃の友人と何十年ぶりに会いました。
かつては、同じ方角を向いて歩いていました。
何十年という時により、まったく違う人生を互いに見ることになりました。
私達夫婦は、同窓会で50年ぶりに再会し再婚しました。
互いの長い時間との折り合いをつけることになりました。
むしろ、その時間を捨てざるを得なくなった。
つまり、それぞれ住んでいた家を出ることになった。
助走の意味で、私の経験を生かした仕事をし所帯を持った。
働きづめの妻は、憧れの主婦になった。
飽き足らず、故郷に恩返しがしたいと地域おこしという仕事を選んだ。
地域おこしという仕事に多くの人が就いた。
総務省の狙いは、移住者を増やすこと。
地域おこし協力隊員は、3年間のうちに除隊後の生業を見つけること。
地縁血縁のない新たな土地で、生業となるような仕事を見つけることは至難の業である。
大した仕事をしたわけでもないのに、安いけれど給料と経費は出る。
評価がないまま、時だけが過ぎていく。
多くの協力隊員が挫折を味わい、都会に再度紛れ込む。
そんな協力隊員にかける言葉を思いつかない。
私は、心の奥底に潜む叫びを黙って聞くだけである。
故郷に恩返しをする気持ちは、生き抜くことだけに費やされていった。
作物が獲れぬ畑に日光を当てようと森の木を伐った。
徐々に片づけながらも、未だ畑の傍に伐採した木々が放置されている。
まさに開拓の風景である。
多くの人生がすれ違ってきた。
そして混ざり合ってきた。
まかり間違えば、目の前にいる人の生きざまになっていたのです。
だから、長い時を経ても共感できるのでしょう。
俺だったらそうはしないのにな。
しかし、他人の耳には決して届かない。
SNSに自分の生きざまを肯定する写真を載せ続けるしかない。
私は、仲良しクラブから遠ざかる。
ただただ、汗だけの生きざまとなる。
陰笑い 私と違うと 暗闇に
2019年5月24日

あんたが大将。
という絵のタイトルです。
優しい人です。
今日のテーマは、「役割理論」です。
役割理論とは、
役割概念を基軸とする、人間と社会についての社会学理論。
社会は、役割を通して人々の行動を規制し、
人は役割を演ずることによって社会を構成・変容させると考える。
(広辞苑より)
家の周りに草がうっそうとして生えていると、刈らなければと思う。
畑で、草が作物を覆っていると取りたくなる。
高じて、近所の空き家の草刈をする。
どうして、草を刈ろうとするのか考察した。
きれいになった方がよいに越したことはないのだが、
行き過ぎる強迫観念もある。
あぜ道の草を一軒の農家が刈る。隣の農家のあぜみちもきれいになっていく。
自分のうちの前だけを放置するわけにはいかない。
川崎の義兄の家の伸びた草も刈り、うっそうとなった梅の枝を落とす。
横浜の自宅の鍵を修理する。子供はしないと思ったから。
さらに、2年に一度の同窓会に出るために広島まで行く。
せっかくだからと友達にも会う。
気にかかることを次から次に片づけていく。
自ら、人の役に立とうとは思わない。また、頼まれもしない。
それなのに、行動する根拠が知りたかった。
この気持ちは、なにかの役割を演じようとしていることなのか。
田舎にいた子供の頃、悪さをすると近所の大人に注意をされた。
幼子を連れて、お腹が大きい女性が電車に乗り込んでくると、席を譲る。
社会の一員として、自分ができる何かをやる。
会社勤めの頃は、こんなこと考えもしなかった。
言われるがままの行動であったように思う。
今や肩書はなにもない。
何をしても自由である。
楽しいと思えるから不思議です。
立ち止まり 急げ急げと 生きてきた
2019年5月23日

「後ろ姿もいかしてる」というタイトルの絵です。
課長の肩書ゆえに、このタイトルを選びました。
前の姿もよいのです。
日中は暖かくても、朝晩はまだまだ寒い。
これが平年並みの気温ではないだろうか。
この地域に来たのは三年前、早朝鍬を握る手はかじかんだ。
やっと、普通の暮らしに戻れた。
ゴールデンウィークは、異常であった。
来客が二組あり、家を片づけた。
カフェの駐車場と付随の畑の草を刈った。
一反歩の畑と三軒の空き家の草も刈った。
野菜を植えた。山菜を採りに行った。
食べきれぬ山菜を都会の友人に送った。
そして、遊びにも行った。
今日のテーマは、「ボタンの掛け違い」です。
致命的な失敗の夢をみた。
次から次に失敗の連鎖の思い出がよみがえる。
こんなにやらかしても、生きている。
都度言い訳をし、打開してきた。
成功を思い出すことはない。
成功だったとは、他人が言って初めて知るのである。
失敗は己が気づき、また重ねたなと実感する。
書類のやりとり、コミュニケーション不足などが原因の失敗である。
失敗を取り戻すために、多くの時間を割いてきた。
多くの失敗を振り返っても、やらなければよかったとは思わない。
やらなければ、未熟さに気づかなかった。
恋は、いつでも初舞台なのである。
「ボタンの掛け違い」だけは、避けられたのではないか。
人の話を聞き、己を知っていれば、「掛け違い」まではならなかった。
成功と失敗を分ける基準(ものさし)は、どこにあるのだろう。
原因と結果は、誰かが教えてくれる。
医者は、証拠(科学的データ)を示しながら病気の解説をしてくれる。
予防や対策も親切に教えてくれる。
何故そうなったかは、医者にも不明なことが多い。
同じことをしても、病気にならない人がいる。
そもそも成功なんてないのではないだろうか。
失敗を重ねても生きていることが、成功なのではないだろうか。
危機一髪とはいかないまでも、
寝坊を走って取り戻すようなことの連続なのではないだろうか。
取り戻せないにしても、「ボタンの掛け違い」こそ、人生そのものなのじゃないだろうか。
ちぐはぐこそ、味わい。
もう少しこうだったらと、万人が思う。
墓場まで持っていきたい恥じらいこそ、わが身である。
ごまかす笑顔こそ、その人そのものである。
失敗を繰り返す他人も自分も許してあげよう。
失敗は、心地よくない。
そもそも、失敗かどうかの基準が、教えであったりモラルであったりする。
その基準までも疑ってよいのである。
なにが大事なのか、私には考えつかない。
どこまでも、模索中である。
どうか、失敗と上手に付き合って欲しい。
取り戻せない人生などないのだから。
葉をどけて 様子をみるか ありの道
2019年5月8日

絵のタイトルは、「山のあなたの空遠く」である。
どんなものが見えていますか。
今度教えてくださいね。
昨日、草取りに疲れてベンチで休んでいた。
ピーチピーチとほお白の鳥が鳴いていた。
応えるように、少し離れた場所でも同じ声色の鳥が鳴いていた。
そして声のなく方角に飛んで行った。
月初めに、畑の上の杉の木に動くものを見た。
栗鼠が杉の皮を剥いでは、木の上まで運んでいた。
昨日は見なかったが今朝も見た。
餌を探しているようだった。
胡桃を数えて、杉のまわりに置いておこうかと妻と話す。
昨日は気づかなかったが、つつじが開花していた。
草に気を取られていたのである。
昨日早朝、山ぐるみ(こしあぶら)を採りに友人二人と山に入った。
昨年の経験もあり、どっさり取れた。
近所に配り、カフェに来られた方にもプレゼントした。
都会の友人に電話して、欲しいに応えて宅急便でこごみと一緒に送った。
今日から先輩が二泊三日で来る。
早朝ゴルフを地域の友人や妻と一緒にやり、夜は反省会をする。
山菜三昧の夕食になるだろう。
刈った庭の草を取り除いておこうと思う。
庭と山の風景を見て欲しい。栗鼠も現れるとよい。
草取りに開け、草取りに暮れる。
合間にカフェでお好み焼きを焼き皿洗いをする。
家でルーチンワークをする。
休みがないけど、割と元気である。
冬にため込んだ脂肪も落ちていく。
鳴く時は 木のてっぺんと 決めている
2019年5月4日