故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「良かった」です。
それぞれが辿った道のりの感想です。
そうありたいものです。
東京から妻の友人が今日訪ねてくる。
その人が来るなら会いたいと、さらなる友人が二人加わる。
ファミレスで食事をし、お茶のみのために河岸を替える。
男で言うなら、安酒をたらふく詰め込んだ後に、気に入ったママがいるスナックに移る。
まあ、俗にいう梯子酒です。
今日のタイトルは、「井戸端会議」です。
妻の3人の友人たちが、広島から30分フェリーに乗って我が家にやってくる。
妻も含め4人共、同じ中学校出身です。
午前中に来て料理を皆で用意し、持ち寄ったそれぞれのお気に入りが並び、さあ食べようか。
食べた後は、座敷に移り庭の景色を見ながらお菓子で茶話会です。
妻は、モロヘイヤ入りのパンを焼き、ルバーブジャムを作り、蜜柑とキウイを収穫しました。
誰もが、相手の話を聞きながら相槌を打つ。
不在の亭主のこきおろしから身の回りの面白かったことを話し始める。
どの人も雄弁になります。
罪がない噂話に明け暮れる。
不要と邪魔という理由で、何故だか私は外出することになりました。
いたとしても飾りにもなりません。
口を挟もうにも、糸口が見つからない。
口は開けたが、言葉を発する努力もむなしく、
ハイハイそうなの、良かったねといなされる。
そして、また女たちは話題の連鎖に没頭する。
時々、つままれ放り出される。
「井戸端会議」で、女たちは情報収集します。
都会には、井戸も共同水道も、もうありません。
野菜を洗うことも、洗濯をすることもない。
ファミレスのフリードリンクも飽きてしまうほど美味しくない。
長居をするために、2回も3回も飲んでいるうちに水腹になる。
広島からフェリーに乗って30分かけて来る、誰も歩いていない島も価値は十分です。
話し疲れて、亭主の夕食が心配になるころ散会します。
夕日に照らされる故郷の景色を、束の間堪能しながら、会えてよかったね。
中学までは同じ路線でした。
二十歳を過ぎて、それぞれがアウェーに嫁ぎ、婿取りかのように根が生える。
2024年11月7日
(あとがき)
私は、どこに行きますか。
スナックもなければ、友人と長話もできない。
無趣味の男はパチンコにいって独り時間を潰す。
公認の遊びは、隠れてするときほどワクワクしない。
(筆者の独り言)
絵のタイトルは、「力強さ」と「いつくしみ」です。
カフェを訪れてくれた親子です。
元気で育っているかな。
慈母観音のようなお母さんだったな。
世の中に、人もうらやむ美男美女のカップルはいない。
何が良くて、あの不細工な女と一緒になったのか。
気の迷いかと、雀が噂します。
悪さばかりしていたやんちゃが好きでした。
だって、背が高く、醤油顔だもの。
私だけには優しいの。
殴られて、投げられた私が、「やめとけ」と言ったって無駄でした。
今日のタイトルは、「他人と違う」です。
捨てる神あれば、拾う神あり。
そうして、多くの男と女が恋をします。
恋の季節に、あぶれたカエル君は小魚にしがみつきました。
小魚君は自由を奪われ、いい迷惑です。
テレビを観ていて笑った余談でした。
一日汗をかいた若い男子のシャツをビニール袋に保管する。
無作為に、うら若き女性にかいでもらう。
一人の汗だけ、かぐわしい。
奇跡のカップルです。
会ったこともない、汗男と嗅ぎ女のDNAを仮合成したら、免疫力の高い子が誕生すると科学的な答えが出た。
馬鹿なでしょう。
歌を聴く、万人が拍手を送る。
そういうことが、たまにあります。
中には、へそ曲がりがいて、嫌いだと後ろを向く。
人気投票に、惑わされない。
そんな風に生きたいと思うが流される。
朝起きて、寂しいと感じたから、歌を聞きたくなった。
竹内まりあの曲を選んだ。
声を聴き、きっときれいな人だなと想像する。
詩にほだされ、曲に元気をもらう。
朝が楽しくなり、今日一日がうまくいきそうな予感に浸る。
残念だが、男と女はいつだって失恋する。
パターン三つ。
一方は好きでも、片方がそうでもない。
男と女で二パターン。
どちらかが、より愛してしまう。
バランスが悪く、失恋となる。
伊藤整さんがいってたように記憶しています。
他人と違う。
それを受け入れるのに、長い年月を要しました。
感動した人や小説の真似をしましたが、どうもしっくりきませんでした。
40歳のころ、あきらめたように、できることを職業にした。
できないことができるようになり、食わなければと頑張った。
向いていたのか得意になった。
好きなことの一つになった。
やらかしたことも受け入れられる。
阿部譲二のように、塀の中のことを書いて賞賛を浴びる例もある。
他人と違うことに悩みました。
どうして、私のお尻は大きいのと娘は悩んだ。
そこがいいんだよという男に会った。
そんなものなのと今でもクエスチョンです。
他人と違うことが個性です。
あの人と会わなかったら。
そうでしょうか。
あの人をみつけたのは、他人と違うことに悩んだあなたです。
悩むことも、苦しむことも何もない。
胸を張って、それが自分、個性だと思うことにしました。
2024年11月5日
絵のタイトルは、「先輩」です。
誰にも、ただいまと帰る家がある。
あさましいことですが、毎日ブログの訪問者数と読まれた記事の数をチェックします。
読まれた記事の数が、読者数より少し多い。
日々アップされた記事を読まれているからです。
今日のタイトルは、「今日は書いてるかな」です。
生きてるかなと友人たちが心配してくれます。
今朝、叫ぶような声がしてたけど大丈夫かなと近所の人が心配して電話をくれました。
怖くて、近づけない。
この頃よく聞く、強盗のことを心配されたのでしょう。
妻は、叫ぶ声の家主の娘さんに電話をして、近所の人のまた聞きを伝えました。
友人の返事は、昨日法事をして、皆で島の花火を見たのよ。
さっき電話したら、弟が泊ってくれていて「だいじょうぶだよ」と返してくれたと妻に伝えた。
叫ぶ声の家主は、90歳超の独居老人です。田舎の近所は離れています。
でも気にかけています。
縁遠くなった友人が生きてるかなと心配してくれています。
ブログを読んで、これだけ書いてれば大丈夫と思われます。
まだ死にそうにないと安心されます。
気にかけてもらってるのです。
何かが欠ける毎日です。
何時ごろが絶頂なのか判然としません。
気持ちの上で、良いことだけを覚えようとします。
良いことだけをつなぎ合わせようとします。
ありえないことです。
昨日できたことができない。
出来なかったことができる。
その繰り返しです。
弱ってきたら、寝ることにしています。
起きたときに、どう思うかです。
まだやれそうだと、その気になればよいのです。
パートナーがいなくたって、近所がいる。
近所と仲が良くなくても、理解してくれるパートナーがいる。
ブログは、もう一人の私へのメッセージであり、励ましです。
2024年11月4日
絵のタイトルは、「海に落つるがごとし」です。
島や海岸沿いの村は、山からすぐに海となる。
崖を削り、海に張り出すように広い生活道路が作られる。
山に続く道は消防車が通れるが、里道は軽自動車がやっと通れる。
今日のタイトルは、「川底の掃除」です。
島の海沿いの県道で、土砂崩れがあった。
海沿いの道は一本しかない生活道路で、暮らしに甚大な影響が出るだろう。
事故後の航空写真では、崖の上の畑も崩れていることから復旧には時間がかかることが予想される。
早朝、川を見に行った。
谷が深い河は水量も多く流れが速いため、川底には草が少しあるだけで砂はなかった。
山沿いの川には、木切れが我田引水のホースに引っ掛かっていた。
木切れが砂を止め、川底に木が生えている。
木の根を起こすには、良い機会である。
木の根が小石を留め、大きな石が関となり、木切れが壁となり水が溢れやすくなる。
小さな川だが、洪水には弱い。
人口減少と高齢化で、川底まで手が回らない。
昭和20年の枕崎台風で、未明に土石流が家を潰し、村全体が土砂で埋まった。
原爆被災のあと避難していた島の病院で亡くなった人も併せて、150人の死者が出た。
教訓を生かすには、手がかかる。
砂を流すには水量が必要です。
夏が終わり、種を付け始めた川底の草を刈っておいた。
繁茂していた草は、根ごと雨に流され消えていた。
川底から揚げた木々は軽トラックで運び、乾いたら燃やす。
草や落ち葉は、コンポストにする。
木々を埋めていた砂が流れた今は、仕事がしやすい。
気持ちがあれば、時間が解決してくれる。
2024年11月3日
絵のタイトルは、「古色営み」です。
国立にあった古民家です。
市から依頼された人が、囲炉裏で焚火をし藁屋根を燻していました。
北風を防ぐ雁木が5mの屏風のようでした。
土の庭から土間を覗くと、妙に落ち着きました。
郊外型からコンパクトシティー構想に変わりつつある。
東京一極集中は終わっているはずである。
広軌と狭軌で郊外路線が互いに連結し、東京は通過点となっている。
広島から見ると、埼玉、千葉、神奈川を含めて、ぜーんぶ大東京である。
宝塚に住む人も、大阪から来たという。
バブルがはじけて、赤字が膨らんで借金経営が無理だった、ダウンサイジングに気づいたが遅かった。
大手スーパーと土地デベロッパーが消えた。
貸し倒れになった銀行が続いた。
潰すと大やけどとなる、大手銀行と地方銀行に返済なしの税金が投入された。
今日のタイトルは、「ダウンサイジング」です。
子育ての時は、子供部屋を確保するために二階家が必須であった。
150m2の土地には、二階家。
60m2の土地には、法律が変わり3階建てとなる。
子が育ち、夫婦二人になったら3部屋で足りる。
独居になったら、リビング(テレビを観ながら寝る)と台所の2部屋で足りる。
施設に入れば、一部屋である。
私たちの周りの家の二階の部屋はカーテンが閉まったままである。
それなのに、私たちの暮らしはダウンサイジングに不向きである。
会社で上役を経験された方は、いつまでも中心にいたい。
不必要な交際費が年金暮らしを圧迫します。
東北大地震のあと、情報管理のためサーバーが2つ以上必要になった。
東京の他に、関西にも置いた。
サーバーを新たに設置するために、これまでの事務所をダウンサイジングすることになった。
捨てるもの(10%)、必要の可否を検討するもの(70%)、残すもの(20%)の比率であった。
「一年間使わなかった」をキーワードにし再度挑戦した。
捨てるもの(70%)、決められないもの(5%)、残すもの(25%)となった。
やればできると、大いに捨てた。
一人一つの事務机も、会社にいない日が多い営業とサービスは人数分ないフリーの机となった。
個人の持ち物は、キャリー付袖机とコンピューターだけであった。
なんの支障もなく、他部署と情報交換ができ新鮮でさえあった。
かつて勤めたエンジニアリング会社は、一年に2回部署間移動があった。
仕事によって、アメーバのごとく人が動いた。
震災後には、こんなこともあった。
卸問屋(中間ストック)は消えていて、世界中から即納で部品調達するのが主流であった。
風呂の底蓋やドアのノブが調達できず、建築工事は完工できなかった。
20%の電気節減は、震災前には業界ごとの大反対が、2か月で達成された。
コロナ以降、事務所を閉鎖し、サーバーだけを置くスペースを確保し、社員は自宅で仕事をした。
駅近しの価値が、駅から遠くても住みやすい環境を選択するようになった。
原子力発電が停止しても、太陽光発電が出現し今や日中の電気が余る時代になりつつある。
AIが発達し、大型コンピューター用の新たな発電設備が求められている。
地方創生を達成するには、インターネット用のインフラ設備(有線&無線)とサーバー基地が急務となった。
広大な中国では、電話回線(インフラ)を引くより無線の携帯電話が先に普及した。
大豆油を搾る工場が次々出来た。
搾りかす(これを得るために油を搾る)を中国の内地の農場にトラックで運ぶより効率的と船で日本へ輸出した。
家族構成に従って移り住み、必要とするものに明け渡す。
住宅事情がそんな風に変化する時代はいつ来るのか。
事情の分かる地方自治体が、ニッチの仕事を地方に落とし空き家のリニューアルをする。
美しくなった家に住みたい人が引っ越す。
あるいは、旅行者に貸し出す。
食堂もカフェも旅行案内も残ったものがやればよい。
補助金の使い道を一ひねりしたいものです。
不便でも、品不足であり高くても近くの雑貨店でものを買い、残った食堂で食べる。
そんな生活ができたらよい。
どこにも誇れるもの(景観)があり、頑張り屋がいるはずです。
ダウンサイジングは、不便さを排除し安近短を助長するものではない。
転勤や転職のたびに、泣きながら近所の付き合いを閉じた。
嫁入り道具で持ってきた3点セットのタンスを大型ごみで出した。
家族を取り巻く環境も時代と共に変化する。
オーストラリアの時給が高い(3倍以上)と、日本人の若い技能者が移り住む。
保護主義が、今もまた世界中で議論噴出である。
長い歴史の中で、人々は流れ移り、文化が混じり文明ができた。
一国だけの鎖国は到底無理なことなのに、今日の寝床と明日の飯のために賛成する。
人々よ、柔軟になり少しだけ我慢しよう。
漫画家が言ってたように、なぜ差別したり反対するのか興味を持つようになれば、
自らの至らなさ(狭さ)に気づき、新たな世界(視野)が広がる。
そして、膨張する得体のしれない欲望をダウンサイジングすることで、
人を許せるようになるはずである。
2024年11月1日
(あとがき)
まとまりのない散文になりました。
ダウンサイジングは、私たちの世代では終活ととらえられがちですが、
昔から営々と続いてきた暮らしの知恵ともいえるのではないでしょうか。
「目からうろこ」の発見がきっとあるはずだと、柔軟に考えたいと思っています。
(筆者)