みなとみらいの観覧車
みなとみらいもビルが立ち並び美しいというより
不気味な雰囲気です。
人の気配を感じないのです。
観覧車もそうですね。
人が乗っている気配が見られず、ただ、大きな輪が回転している。
そんなことなのですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
種田山頭火の句
タイトルのような句を作りながら、お弟子さんというか支援者をたよって旅を続けている。芭蕉も同じなのでしょうが、庶民の素人感覚でいえば、いい句だろうけれどそんな感傷に浸っているだけ?ということになります。でも、このような句を作る人は、少ないだろう。芭蕉はあれこれいっても弟子が同行し、芭蕉の面倒をみているのですから、種田山頭火は大きく違いのでしょうね。もともと、比較してもしかたないものですからね。この句、種田山頭火自身だと思って読むのではなく、ひょっとして、同じような境遇にいるこどもだと想定すると、全く違う印象になるゆな気がしますが、無理ですね。でも、そのような読み方の転換もあっていいですね。
吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき(66)[続後拾遺101]
【通釈】
吉野山の梢の花を見た日からというもの、私の心はいつも身体から離れているようになってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
西行の櫻が「待ち遠しい」という思いは半端なないですね。「願わくば」の前に
このような待ち焦がれる思いを歌った作品がかなりありますね。
その西行の櫻に対する一途な思いは、圧倒されますね。単なる「きれいなときの花見」ではない。それだけでも新鮮な驚きですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メール有難うございます。
今日は寒いですね。
雪が降りそうな空模様です。
今日も仕事ですよね。
「更新する暇がよくありますね。」
ですって
年寄りは暇ならそこそこあるものです。
このブログのことですか?
そんな正面から聞かれても
語るべきことなのありませんよ。
ちいさなブログですが
開いていただいただけでもありがたいことです。
支離滅裂と言うか
何でもありの雑貨屋(いまどき、こんな表現はないかもしれませんね。)
の呈で、何を表現したいのか分らないでしょうね。
だって、自分でも分かっているわけではないのですから。
ただ、毎日、小さな発見や思いを拾い集めて
ただ、並べるだけ。
それだけで、何かが見えてくる。何かを感じられる。
それだけのことなのです。
このスタイル読む人には迷惑かもしれませんが
自分ではけっこう気に入っています。
年寄りがはじめるブログはこれで十分です。
何かのメッセージを発出するつもりもなく
ただ、淡々と、排出するだけです。
昨日の自分は今日と違っている。
気づかないうちに何かが変わっている。
ブログを続けていると何かが違っている。
そんなことが楽しいですね。
ですから、自分だけのこだわりですが
毎日更新する。
面倒と思っても、一行だけでも綴る。
それが一年後に振り返ったときの
自分のありようの変化を知る材料になります。
そして、読んだら、流せばよいのです。
貯めたり、まとめたりすることは考えません。
書いて捨てる。
そんな感じかもしれませんね。
それを読んでくださることがいることはありがたいことです。
それでいいのだとまではいかないまでも
大きく歪むのを防いでくれるからです。
最近は説教がましい内容が多き
最近の生き生きした記事が少ないとの感想がありましたが
その通りですね。
どこかで悟ったような顔になっているし
油断をすると説教がましいかもしれませんね。
反省もしますが
それでいいのだ。
無理することはないという思いもあります。
人はいくつになってもゆれるものですね。
ところで「虎屋」のあんみつ
けっこう値が張りますが、一度賞味してください。
それだけの金を払う価値がある。
そう、思いますね。
近くに住んでいるのですから
おでかけください。
といっても、自分も二回目ですから
修行が足りませんがね。
ラーメンはマニアが多いし
居酒屋は太田和彦が巡っているけれど
何かこだわりを見つけましょう。
「日本あんみつ紀行」もあるいかな?
あおオジ
みなとみらいもビルが立ち並び美しいというより
不気味な雰囲気です。
人の気配を感じないのです。
観覧車もそうですね。
人が乗っている気配が見られず、ただ、大きな輪が回転している。
そんなことなのですね。
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種田山頭火の句
タイトルのような句を作りながら、お弟子さんというか支援者をたよって旅を続けている。芭蕉も同じなのでしょうが、庶民の素人感覚でいえば、いい句だろうけれどそんな感傷に浸っているだけ?ということになります。でも、このような句を作る人は、少ないだろう。芭蕉はあれこれいっても弟子が同行し、芭蕉の面倒をみているのですから、種田山頭火は大きく違いのでしょうね。もともと、比較してもしかたないものですからね。この句、種田山頭火自身だと思って読むのではなく、ひょっとして、同じような境遇にいるこどもだと想定すると、全く違う印象になるゆな気がしますが、無理ですね。でも、そのような読み方の転換もあっていいですね。
吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき(66)[続後拾遺101]
【通釈】
吉野山の梢の花を見た日からというもの、私の心はいつも身体から離れているようになってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
西行の櫻が「待ち遠しい」という思いは半端なないですね。「願わくば」の前に
このような待ち焦がれる思いを歌った作品がかなりありますね。
その西行の櫻に対する一途な思いは、圧倒されますね。単なる「きれいなときの花見」ではない。それだけでも新鮮な驚きですね。
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メール有難うございます。
今日は寒いですね。
雪が降りそうな空模様です。
今日も仕事ですよね。
「更新する暇がよくありますね。」
ですって
年寄りは暇ならそこそこあるものです。
このブログのことですか?
そんな正面から聞かれても
語るべきことなのありませんよ。
ちいさなブログですが
開いていただいただけでもありがたいことです。
支離滅裂と言うか
何でもありの雑貨屋(いまどき、こんな表現はないかもしれませんね。)
の呈で、何を表現したいのか分らないでしょうね。
だって、自分でも分かっているわけではないのですから。
ただ、毎日、小さな発見や思いを拾い集めて
ただ、並べるだけ。
それだけで、何かが見えてくる。何かを感じられる。
それだけのことなのです。
このスタイル読む人には迷惑かもしれませんが
自分ではけっこう気に入っています。
年寄りがはじめるブログはこれで十分です。
何かのメッセージを発出するつもりもなく
ただ、淡々と、排出するだけです。
昨日の自分は今日と違っている。
気づかないうちに何かが変わっている。
ブログを続けていると何かが違っている。
そんなことが楽しいですね。
ですから、自分だけのこだわりですが
毎日更新する。
面倒と思っても、一行だけでも綴る。
それが一年後に振り返ったときの
自分のありようの変化を知る材料になります。
そして、読んだら、流せばよいのです。
貯めたり、まとめたりすることは考えません。
書いて捨てる。
そんな感じかもしれませんね。
それを読んでくださることがいることはありがたいことです。
それでいいのだとまではいかないまでも
大きく歪むのを防いでくれるからです。
最近は説教がましい内容が多き
最近の生き生きした記事が少ないとの感想がありましたが
その通りですね。
どこかで悟ったような顔になっているし
油断をすると説教がましいかもしれませんね。
反省もしますが
それでいいのだ。
無理することはないという思いもあります。
人はいくつになってもゆれるものですね。
ところで「虎屋」のあんみつ
けっこう値が張りますが、一度賞味してください。
それだけの金を払う価値がある。
そう、思いますね。
近くに住んでいるのですから
おでかけください。
といっても、自分も二回目ですから
修行が足りませんがね。
ラーメンはマニアが多いし
居酒屋は太田和彦が巡っているけれど
何かこだわりを見つけましょう。
「日本あんみつ紀行」もあるいかな?
あおオジ