2017年3月15日(水) 打合せで訪れた檜枝岐村は、積雪が多く春はまだまだ先という感じであった。 尾瀬や村の村政100周年記念事業などの仕事で檜枝岐村を訪れる機会が多くなった。 檜枝岐歌舞伎は有名だが、今まで知らなかった村の歴史や現在の人々の暮らしなどが少しづつ見えてくると、この村は会津地域の中でも少し違った独特の文化や風俗を有していることがわかってきて興味深い。 立地条件からしても、他の集落から遠く離れた山奥に位置しており、平坦地がほとんどないため農地は限られ米作はできなかった。 昔は狩猟や採取のほかは、開拓地での稗、粟、ソバなどの栽培による自給自足が中心であった。 産業と言えば、木羽板や曲げ物などの木工製品や熊の毛皮の販売くらいだった。 そのため、凶作の年には餓死者が出たり、子供の間引きが行われたこともあったようだ。 今まで道端にあったにも関わらず、全く気付かなかった6体の石仏が、その時の子供たちの霊を弔っているということを最近になって知った。 今は温泉も出て、秘境の温泉地や尾瀬観光、魚釣り、山登りなどの基地として賑わいを見せているが、これはごく最近の40~50年くらいのことである。
〈檜枝岐村に通じる道はまだ冬景色である。〉
〈新潟県魚沼市へ通じる国道も檜枝岐村の町はずれで党機関交通止めとなる。〉
〈300年近く前に建立された六地蔵は、間引きされた子供たちの供養のためと言われている。〉