平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1825 変らぬ世相

2020-04-09 11:02:16 | 日記

昨日の、日経「春秋」で、現在のコロナ騒動での「自粛」と、1939年(昭和14年)当時の「自粛」
を、世相比較していました。
1939年は、ナチスドイツがポーランドに侵攻、英仏がドイツに宣戦布告し第2次世界大戦が勃発。
日本は、ドロ沼の対中国戦争で、物資が不足、更には結核などの感染症が社会問題になっていた。

新聞には、「帝都から『紅灯緑酒』(ネオンや飲み屋など)を抹殺、けふ初の興亜奉公日(自粛日)」の見出し。
東京の繁華街からネオンが消え、警察が酒場を取り締まり始めた、と報道。

政府は国策(興亜奉公=自粛)を徹底させるため、国民からスローガンを募った。
「酒飲みは、瑞穂の国の寄生虫」なんていうのもあって、酒のみとしては、「・・・・」。
感染症へのスローガンもあり、
「拝む心で手を洗え」「洗い清めよ手と心」など、コロナ対策にも通ずる。
戦争の長期化でモノが不足、不安をあおるデマも広がっていたようで、
「行列は恥、買いだめは敵」「デマに乗り、デマを飛ばせば君も敵」など、変っていないなあとタメ息。

海外から批判され、国内でも政府と自治体の対策温度差などケンケンガクガクの「緊急事態宣言」。
ロックダウンなど、劇薬を回避しながらの対応、日本人の「自制心」が試されている。
日本式の「対コロナ戦争」は、ワクチン・医薬品・治療確立までは、私達国民1人1人の「自粛」に掛
かっている。感染爆発させられないのだ。

医療体制確立前に、感染爆発したら、「医療崩壊」し、コロナと闘えなくなり、日本は自滅へ。
太平洋戦争の末期、「竹やり」で空爆・原爆を迎え撃とうとしたみたいになる。
大震災も過酷な戦禍を耐え忍び乗り越えてきた日本人、ここも乗り越えなくては。
昨日は、スーパームーン。前日の14月も。

4月9日、「今日は何の日カレンダー」より
大仏の日、反核燃の日(青森県労働組合)、左官の日(日本左官業組合連合会)、世界海の日(日本海事協会)、
美術展の日
▲東大寺大仏の開眼供養(752)▲平氏追討の令、出される(1180)▲徳川家康が三好秀次・池田恒興・森長可らを
長久手で破り、恒興父子と長可は討ち死にする(長久手の戦い)(1584)▲パリで世界初の美術展が開催(1667)
▲アメリカ南北戦争終わる(1865)▲初の集団就職列車が上野に到着(1939)▲日航機「もく星号」が三原山墜落、
37人全員死亡(1952)▲武者小路実篤、没。90歳(1976)▲西ドイツで反核復活祭大行進(1982) ▲藤山一郎が
国民栄誉賞受賞(1992)▲知事選で、東京は青島幸男、大阪は横山ノック当選(1995)▲イラク戦争、首都
バクダード陥落(2003)▲中国で大規模な反日デモ(2005)▲阪神の金本知憲904試合連続イニング世界
新(2006)▲サッカー日本代表監督が日本人監督に(2018)▲2024年発行新札、渋沢栄一等発表(2019)

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