平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2685 感動的な夫婦の会話

2022-08-31 10:59:01 | 日記

NHKラジオ深夜便8月号で、「明日へのことば」のベストコレクションとして、映画監督の信友直子さん

の、「娘のカメラが見つめた、認知症の母と、支えた父の物語」が掲載されていました。

沢山の感動を頂きました。(ラジオ放送は、2022年5月3日にされたもの。私は寝ていました)

中で、認知症のお母様と支えていらっしゃるお父様の会話に、感動しました。

15年近く傾聴ボランティアをやっていて、多くの認知症の方とお話しする機会があるのですが、認知症の

方との傾聴は、いつも、「あれで良かったのだろうか」と、思い巡らし、反省しても中々、スッキリしない

のです。

感動した、認知症のお母さんと、支えるお父さんの会話です。

「なんで、私は、掃除も出来んようになったんじゃろう」と嘆くお母さんに、

「病気じゃけん、しょうがないんよ。信友家は一軒しかないんじゃけん、あんたが掃除しても、わしが掃除

しても一緒よ」とお父さん。

「あれもこれも忘れた」と嘆くお母さんに、

「これは、忘れちゃいけんと思うたら、すぐ、わしに言いんさい、覚えとってやるけん。で、分らんように

なったら聞きにきんさい。覚えとる中から教えてやるけん。そうやって、二人のどっちかが覚えときゃ

ええんじゃけん」とお父さん。

「それじゃあ、お父さんに全部言うけん、覚えとってね」とお願いするお母さん。

信友さんは、「父は、どこかで勉強したわけでもないと思うんですけど、母の気分が楽になるような声掛けを

出来ていたのはすごかったな、と思いますね」と話されています。

そうだ、認知症の方の傾聴では、『話される方の気分が楽になるような声掛け、傾聴に徹すること』なのだ、

と、目からウロコでした。

この感動的な、会話は、是非、仲間の集まりの時に紹介したい、『話される方の気分が楽になるような声掛け、

傾聴に徹すること』の必要について、紹介しようと思いました。

信友直子さん、信友さんのお父さん、お母さん、ありがとうございました。

ウォーキング中に出会った花と秋の雲。

8月31日「今日は何の日カレンダー」より 野菜の日、そばの日(毎月)◆二百十日
▲エジソンの白熱電灯に特許(1887)▲アメリカンフットボールのプロ第1号(1895)▲キティ台風関東来襲。

死者135人(1949)▲都電の廃止、決まる(1963)▲ダイエーが半期売上げ1328億円を記録し、三越を追い

抜いて 業界トップの座に(1972)▲中野浩一、世界自転車競技大会で初優勝(1977)▲CDプレーヤー登場。

発売は10月1日(1982)▲車の運転免許所有者が5000万人突破(1984)▲ディスコ「ジュリアナ東京」閉店。

開店から3年余で入場者が200万(1994)▲ダイアナ元英皇太子妃、交通事故死。36歳(1997) ▲ 盗難で

行方不明陀多ムンクの「叫び」「マドンナ」がオスロで発見(2006)▲高校軟式野球59回大会で延長

50回の熱戦、中京高校が崇徳高校を破り決勝へ。延長記録(2014)▲ハリウッド有名スター100人以上

のプライベート写真大量流失(2014)▲東京練馬区、94年間続いた「としま園」閉園(2020)▲タイ・

バンコクの28年間つづいた伊勢丹閉店(2020)▲米軍アフガンから撤退完了(2021)


平和への希い2684 枇杷の幼木、元気です   

2022-08-30 08:58:22 | 日記

昨年の今頃、コロナ太りで、血圧が高め、降圧剤を出して貰ったり、製薬会社の血圧を下げるための

健康食品のようなものを、通販で買ってみたりしたが、どうも、ドキドキしたりして、合わなかった。

人間の身体には、自然に自動調節する働きがあり、血圧が高いからって、降圧剤で下げて、人間の身体が

持っている、自動調節の働きを弱めたら、元も子もないではないか。

血圧が急に上がった場合は、何か、身体に変調が来したシグナルで、心臓や脳を調べ重篤な病気を未然に

防ぐ必要があるのに、降圧剤で抑えて、重篤な病気を見過ごす危険すらあるのではないか。

と、昔、製薬会社に出向していたとき身に着いた、生半可の知識を振り回して、降圧剤を飲むのを止めた。

降圧剤をおススメ下さったお医者さんには、「血圧原因で倒れても、先生の所為にはしませんから」と、

降圧剤の処方を断わりました。先生は、苦笑いされていました。

極端な血圧変化という、身体変調のシグナルでない限り、自然体でいようと、思い、ブロ友さんに教えて

頂いた、琵琶葉茶やドクダミ茶で、「ピンピンころり」を目指そうと、決めた。

たまたま、岡山のブロガーさんの「枇杷葉茶」のブログを読み、ダメ元と思いながら、大きな枇杷の木を

お持ちの、ご近所の方に頼んで、枇杷の葉を頂き、煎じて飲みだした。

1年続きました。毎月の呼吸症候群の定期検診の時、測る血圧は、「年相応」で、今は、快調です。

 

昨年12月、枇杷の葉を貰いに行った時、落ちた実のタネから自生したらしく、木の下に、いっぱい枇杷の

小さい木が生えていた。

頼んで、2本引っこ抜いて、頂いて来て、ベランダの、大きめの鉢に植えた。

2月頃、2本とも、葉が茶色になり、やっぱり鉢じゃだめか、と、ガッカリしていたら、4月になって、

両方の木の幹に、葉の芽らしきものが出てきた。その後、あとからあとから、出てきて、枇杷の葉らしく

なってきた。この生命力が、私なんかにも頂けているのかも知れない、と感動しました。

驚いたことに、煎じたあとの枇杷葉(不織布に入れてもの)を、風呂に入れたら、結構肌がしっとり。

更に、その残り湯に、洗面器、腰掛を浸けて置き、翌日、洗ったら、なかなか落ちなかった人脂の汚れが

ウソみたいに落ちました。毎日飲んでいる枇杷葉茶、血管壁に溜まっている脂肪を、徐々に溶かしてくれて

いるのかも知れない、と、勝手に良い方に解釈しています。

たまたま、私には、合ったのかもしれません。1年間も、愚直に続けたので、信じる者が救われたのかも。

枇杷葉を頂かなくても、済むようになるのは、先の先かも知れないけれど、楽しみが増えました。

アナザンさん、ありがとうございます。枇杷葉茶にお引き合わせいただき、感謝、感謝です。

身体が快調だと、平和な気分、いっぱいになります。

健康寿命のありがたさを実感しています。出来るだけ長く、世界中の人が健康寿命を喜び合えますように。

ベランダの、元気な枇杷の幼木

ベランダの朝顔

実がならないミニトマト

アロエにしがみついていた、羽化したてのキアゲハ(8月はじめの頃)

 

 

 

8月30日「今日は何の日カレンダー」より 富士山測候所記念日、みその日(毎月)
▲クレオパトラ、没(BC30)▲富士山に測候所(1895)▲マッカーサー元帥、厚木飛行場にサングラスにコーン

パイプ姿をはじめて日本人の前に現した(1945)▲戦後初の準国産機初飛行に成功(1962)▲植村直己、世界5大

陸最高峰登頂(1970)▲東京・丸の内で時限爆弾爆発、死者8人。三菱重工業爆破事件(1974) ▲護衛艦「あし

がら」進水(2006) ▲錦織選手72年ぶりに、テニス4大大会(全米オープン)でベスト16(2008)

▲総選挙で自民党大敗、民主党圧勝(2009)▲京都・梅小路蒸気機関車館閉館(2016年京都鉄道博物館と

してリニューアルオープン)(2015)▲Yahoo防災速報提供開始(2021)

 


平和への希い2683 戦争で失った「きれいな時」

2022-08-29 11:13:25 | 日記

今朝のNHKラジオ深夜便、4時台は、絶望名言で、茨木のり子さんの「詩」を紹介していました。

「わたしが一番きれいだったとき」は、プーチンのウクライナ侵略戦争で、大変な思いをされて

いらっしゃるウクライナの皆さまを思いを連想、大事な人生の生活場面を奪う戦争のオゾマシサに、怒りが

こみ上げます。プーチンの戦争犯罪を絶対許せない。神の「鉄槌」を、と祈るしかない。

茨木のり子さんは、大正15年(昭和元年)に生まれ、太平洋戦争が終わった時、20歳。

「わたしが一番きれいだったとき」という詩は、敗戦から十年経った頃作られた。

「取り戻せない『はたち』の無念が残っていたかも知れない」、と語っていらっしゃいます。

 

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって  とんでもないところから 青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達がたくさん死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを

落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈り物を捧げてくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差し

だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町を

のし歩いた

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い

音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた 出来れば長生きすることに 年取ってから凄く美しい絵を描いた フランスの

ルオー爺さんのように

 

2006年2月17日、79歳で亡くなられました。残念。ご冥福をお祈りいたします。

ウォーキング中に出会った花、秋の雲

8月29日「今日は何の日カレンダー」より 焼き肉の日、秋田県の記念日、文化財保護法施行記念日
▲ファラデーの電力実験(1831)▲韓国併合で朝鮮に改名(1910)▲初のケーブルカー、奈良に登場(1918)
▲ドイツの飛行船ツェッペリン号が22日間の世界一周に成功(1929)▲プロ野球、テレビ本放送開始(1951)
▲宝塚歌劇「ベルサイユのばら」初演(1974)▲電電公社は、電話加入数が3千万を越えたことを発表。

アメリカ合衆国に次いで世界第2位(1975) ▲HIIAロケット成功(2001)▲米を襲った、巨大ハリケーン

・カトリーナで死者1836人(2005)


平和への希い2682 弔問外交?赤恥外交?

2022-08-28 11:06:19 | 日記

26日の閣議で、安倍元首相の国葬に、2.5億円の支出を決めた。

国葬については、報道各社の世論調査で、読売(8.5~7)の、評価する49%、評価しない46%を除くと、

日経、NHK、共同通信、産経、毎日では、反対が賛成を上回る結果となっている。

岸田政権は、世論調査を意識して、国民に、弔意を求めないようです。

吉田茂元首相の国葬では、歌舞や音曲を伴う行事を控えるよう国民に求め、半休にする官公庁や学校が

あった。今回は、「地方公共団体や教育委員会に弔意表明の協力要請をしない」と官房長官が表明した。

このような状況下で、岸田首相は、「弔問外交の場」として、国葬を行う意義を強調し始めた。

「国際社会が、さまざまな形で、安倍元首相に対する弔意や敬意を示している」からと、

「弔問外交の場」にしたいらしい。

確かに、米、豪、印などの議会で、追悼議決され、ブラジルや台湾、タイ、キューバなどで、服喪の日を

設けたり、公的機関で、半旗を掲揚したり、したらしい。

疑惑まみれで、疑惑を追及されると、逃げるように、外国に出掛け、「選挙で勝って、安定した政権を長く

続けている政治家」として称賛され、いい気分になっていた。

各国は、それぞれお家の事情があって、政権が安定せず、悩んでいる中で、突出した安定政権ぶりに、

うらやましい気持ちも含む敬意だったように思います。

オバマさんやメルケルさんなど、世界各国から、大物政治家がお見えになるようですが、赤恥外交になる

のでは、と心配しています。

安倍元首相の長期政権は、疑惑まみれで、反社会的な旧統一教会とのつながりで、出来上がっていたこと

が、知られることになり、国葬を取材するマスコミから、恥を世界にばら撒かれる可能性が大きいのです

岸田政権の支持率が、36%と下がり、安倍政権と反社会的な旧統一教会とのつながりが、ポロポロ出て来て、

益々、支持率は下がるでしょう。

安倍家の皆さんにとっても、国葬を行うことで、安倍元首相と反社会的な旧統一教会とのつながりが、

ほじくり返され、つらい日々になるでしょう。

一番良い、国葬中止のためには、安倍家から「国葬を中止して欲しい」との要請をすることです。

岸田さんにとっては、自民党内の求心力急降下、対外的には「メンツ」がつぶれるかも知れませんが、

この状況下で、国葬を強行しても、デメリットはあっても、メリットは全くない。

「安倍家ご遺族の、たっての要請で、国葬を中止にします」となれば、岸田政権のダメージは、若干なり

とも軽減するのでは、と思うのですが。甘いか・・・。もう遅いか・・・。

岸田政権誕生に貢献した安倍元首相が、国葬されることで、岸田政権の倒壊につながるかも知れない、

という皮肉に、国民の一人として、こんなドタバタしかできない政治家を選んでしまっていることを

猛反省しなければいけない、と、ツラい、悲しい気持ちです。

今日8月28日は、安倍元首相が、2年前の2020年8月28日に、病気を理由に首相辞任を表明した日です。

8月28日「今日は何の日カレンダー」より 民放テレビスタートの日、にわとりの日(毎月)
▲秀吉、大阪城築城開始。1591年完成(1583)▲国産初のバイオリン完成(1880)▲第1回国勢調査発表(1921)
▲アメリカ軍、日本に上陸 (1945)▲日本テレビ、民間テレビ第一号として午前11時20分から放映開始。
初のテレビCMは服部時計店(精工舎)の正午の時報(1953)▲全米テニス選手権で、日本人初優勝(1955)
▲ボリショイバレエ団日本初公演(1957)▲人種差別撤廃のワシントン大行進(1963)▲平塚市の団地でピアノ

騒音母子3人殺害事件(1974)▲三越の古代ペルシア秘宝展はほとんどニセモノと判明(1982)▲初の「気象予報

士」国家試験が行われる。合格率は18%(1994) ▲ソ連・サハリンの大やけどした3歳児札幌で手術(1990)

▲英・チャールズ王太子とダイアナ妃離婚(1996)▲バラク・オバマ氏民主党の大統領候補に(2008)

▲宮崎駿アニメ監督にアカデミー名誉賞 1990年受賞の黒沢明監督についで、2人目(2014)▲安倍晋三

首相体調不良で辞任表明(2020)


 平和への希い2681 必死な、蝉の鳴き声

2022-08-27 11:27:55 | 日記

8月も、あと数日。

朝から、日が落ちるまで、蝉が鳴いている。一生懸命と言うより、「必死」に、鳴いている感じです。

何年も土の中で生き抜いて、やっと、地上に出ることが出来た。ホンの、数週間ほどで、命が終わる。

地上に出たら、早くパートナーと出会って、子孫を残すことが使命、使命を無事果たせたら、命は尽きる。

もうすぐ、夏も終わってしまう、早くパートナーを探さないと、子孫を残せないまま、死ななければなら

ない。だから、この時期、蝉は必死に、鳴いて、パートナーになるメスにアピールしているようです。

7月から8月半ばごろ、鳴いている蝉だって、残り少ない命の中で、同じように、必死にパートナー探しに

鳴いているのですが、聞いているこちらの勝手で、暮れゆく夏の頃の蝉の鳴き声に「必死さ」を強く感じて

しまうのは、我が「人生の秋」とダブっている気がするから、かも。

考えてみれば、子供の頃は、蝉の必死さなんて知らずに、昆虫採集の宿題のために、トンボ・蝶々などと

一緒に採り、蝉は、格好の「エモノ」だった。

おしっこをひっかけられて、逃げられたり、オスメス合体中の2匹を捕まえて、「ラッキー」なんて、蝉の

都合なんて、考えたことがなかった。

鳴いて、パートナーを探している最中に、ツカマッテしまい、子孫を残せないまま、死ななければならな

かった蝉の無念を、今更ながら知って、ごめんなさい。

蝉は、樹液を吸って命をつなぐ。メスが樹木に卵管を差し込み、産卵し、孵化した幼虫が、木から落ち、

自力で、地中に潜り込み、数年間、木の根っこから樹液を吸って成長する。

成長期は、年に2回あって、中には、成長期に、たまたま、樹液を吸い損ねたか、他の事情があってか、

「まあ来年でいいか」と、地中生活が長くなる、のんびり屋さんもいるらしい。

昆虫採集は、カラスやスズメバチなど天敵に遭ったと思って、許してもらいたいけれど、

せっかく、地中から出て来ても、人間が起こした戦争や自然破壊で、木が無くなってしまったら、鳴くに

鳴けない蝉は、人間を許せない、と怒るでしょう。

ウクライナ侵略戦争をしている、プーチンは、ウクライナの人達ばかりではなく、生ける動植物の「ウラミ」

を背負って行くことになるのですよ。バカゲタ戦争を、すぐにでも止めることです。

ウォーキング中に出会った花。

8月27日「今日は何の日カレンダー」より 「男はつらいよ」の日
▲明治天皇即位式(1868)▲エジソン、世界初の音と映像の同時収録を実現(1910)▲日本短波放送開局(1954)
▲茨城県東海村の原子炉に原子の火が灯る(1957)▲ユニバーシアード東京大会で日本は21種目優勝(1967)
▲初のコンテナ船、「箱根丸」完成(1968)▲映画・寅さんシリーズ第1回、封切り(1969)
▲開会式入場の時のナチス式行進をやめるよう体協が指導(1990)▲金丸元総裁は東京佐川からの5億円献金を

認め辞任。略式起訴で罰金20万円(1992) ▲蚊が媒介するデング熱日本に。代々木公園など立ち入り禁止

(2014)▲奥原希望バトミントン世界選手権で優勝(2017)