平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

 平和への希い591 「聖戦」の実態を歯に衣を着せないで語った故三笠宮さま 

2016-10-31 10:45:57 | 日記
       平和への希い591 戦後71年  
「聖戦」の実態を歯に衣を着せないで語った故三笠宮さま 2016.10.31.
三笠宮さまは、1943年(昭和18年)1月から参謀として1年間南京に赴任され、
「わたしくの信念が根底から揺り動かされたのは、実にこの一年間であった。いわば「聖戦」という
ものの実態に驚き果てたのである。一部の将兵が、罪もない中国の人民に対して犯した忌まわしい暴虐
の数々・残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにも煽り立て、およそ聖戦とは思いをつかない
結果を招いてしまった」と現地で見聞した日本軍の行状をひたすら嘆かれた。
軍と政府首脳の反省を促し、新たに『対中華新政策』が決定され、四悪(略奪、暴行、放火、強姦)禁止
の厳命が下されることになった。

四悪禁止後に、「ある大隊長の言動」、
『今までは、敵のいた家を焼き払って進んだので、自分の大隊の第一線がどの辺を前進しているかすぐ
分かった。ところが放火を禁ぜられてみると、さっぱり分からない』と言ったことに対して、
「全く笑えないナンセンスであった。内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には
聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」と皮肉たっぷりにおっしゃっています。


戦争は、「相手を殺さないと、自分が殺される」という状況を作り、人間が人間ではなくなるように
してしまう。

イスラム過激派がいう「聖戦」や、ナイジェリアのイスラム過激派ボコ・ハラムの「女子学生連れ去事件」
などでも、『「敵」に対してなら何をしてもかまわない』と残虐行為がまかり通ってしまう。


武力によって紛争を解決することは出来ない。人間の世界から戦争を絶対無くさなければならない。
三笠宮さまのご冥福をお祈り申し上げます。

ウォーキング中に出会った花。夕顔も。

10月31「今日は何の日カレンダー」より
▲横浜でガス灯が点灯され、日本のガス事業の幕開け(1872)
▲自由民権運動を弾圧する政府に対し、旧自由党員が中心になり、秩父で 大規模な反乱(秩父事件)(1884)
▲昭和天皇在位50年で初の公式記者会見。「原爆投下は戦時中でやむを得ぬと思う」と発言(1975)

 平和への希い590 ビートルズ「ジョンレノン」の反戦へのこだわり 

2016-10-30 09:59:30 | 日記
       平和への希い590 戦後71年  
ビートルズ「ジョンレノン」の反戦へのこだわり 2016.10.30.

27日、英リバプールにあるビートルズ専門博物館「ビートルズ・ストーリー」は、ジョンレノンが
エリザベス女王宛に出そうとした手紙が見つかったと発表。
手紙には、
「英政府のビアフラ戦争への関与やベトナム戦争での米国支援に抗議し、勲章を返却する」と記されて
いるらしい。1969年に、勲章を返還した。

1950年代から70年代にかけて、欧米列強の植民地だったアフリカやアジアの各地で独立運動が
盛んになった。ベトナム戦争やビアフラ戦争などは、独立のために国内で部族間など対立、紛争と
なって、英仏ソ米など「勝ち馬」に乗って、自国の影響力を確保しようと、武器供与などで関与したり、
ベトナムのように、共産化を恐れたアメリカは直接軍事行動し、泥沼戦を展開したのである。
英の植民地だった「ナイジェリア」では複雑な部族間対立で紛争が混迷、英仏ソ米など「勝ち馬」に
乗って、自国の影響力を確保しようと、武器供与などで関与していたのである。
「ビアフラ」は、ナイジェリアの北東部を支配していた「イボ族」によってナイジェリアから独立したが、
10年も持たずに、「勝ち馬」に乗った英仏ソ米などの支援を得たナイジェリア軍に負けて、無くなって
しまったのである

ジョンレノンは、「インクがにじんだこの手紙」を出さず、書き直した手紙を出したとのことです。
勲章を返してまで「反戦」の抗議をしたジョンレノン。あっぱれ。
ジョンレノンの平和への「こだわり」を世界中の人が持てればと思いました。


ウォーキング中に出会った花。

10月30「今日は何の日カレンダー」より
▲教育勅語発布(1890)▲歌舞伎座焼失。再建工事落成は1924年(1921)
▲GATT(関税・貿易に関する一般協定)調印(1947)▲シュバイツァーにノーベル平和賞(1952)」
▲インディラ・ガンジー首相暗殺(1984)

平和への希い589 「核兵器禁止条約」か「核廃絶決議案」か、お題目だけの日本

2016-10-29 09:35:55 | 日記
       平和への希い589 戦後71年  
「核兵器禁止条約」か「核廃絶決議案」か、お題目だけの日本  2016.10.29.

27日、軍縮を議論する国連総会第一委員会で、核兵器の使用を禁止する「核兵器禁止条約の交渉
入り決議」が123か国の賛成多数で採択された。反対は、日米ロなど38か国。核保有国の中国は
棄権。北朝鮮は賛成。
日本は、「核軍縮を進めるためには保有国の協力と国際社会の総意が必要」と、米ロと共に反対。
もっともらしく聞こえるが、米国の「核の傘」の下にあるので、米国のご機嫌を損ねたくないだけ
と見える。

一方、日本は唯一の戦争被爆国として「核廃絶」決議案を23年連続で提出し、採択された。
究極的には、世界から「核廃絶」することですが、現実的に15000発以上の核兵器が世界に散在
していることを直視して、まずは、「ある核兵器を使わない」ことです。
使うことが出来なくなる「核兵器禁止条約」を世界中の国が調印すれば、「核兵器」を持っている意味
が無くなり「核廃絶」に繋がるのです。バカの一つ覚えみたいに「核廃絶」を空騒ぎしている日本は
道化者ではないか。「核廃絶決議案」が決議されても何の拘束力は無いのだから。

それより、道は険しくても、「核兵器禁止条約の交渉を始めようという決議」は「核兵器使用禁止」に
一歩も二歩も進み始めるのです。

安倍政権は、憲法違反をしてまでも、「現実論」と「アメリカへのゴマすり」で「集団的自衛権」含む
新安保法を強引に成立させた一方で、核問題では、「現実論」ではなく、単に「アメリカへのゴマすり」
だけの不思議

本気で核廃絶を考えているのか?どのような策で、どのような手順で核廃絶を実現するつもりなのか?
お題目を唱えているだけではないのか?

ウォーキング中に出会った花。

10月29「今日は何の日カレンダー」より
▲自由党解党(1884)▲スエズ運河条約成立(1888)▲早・慶・明3大学野球リーグ成立(1914)
▲第1回宝くじ発売、1枚10円、1等賞金10万円、売上は2500万円(1945)
▲イスラエル軍、シナイ侵入。スエズ戦争勃発(1956)▲酒田大火(1976)
▲「防衛計画の大綱」で防衛費の総額をGNPの1%以内にすることなどを決定 (1976)
▲トルコ共和国成立(1923)▲閣議、「支那」を「中華民国」と呼称することに決定(1930)


平和への希い588 「私たちは韓国の土になります。魂だけは祖国日本に帰りたい」

2016-10-28 10:23:45 | 日記
   平和への希い588 戦後71年  
「私たちは韓国の土になります。魂だけは祖国日本に帰りたい」  2016.10.28.

28日、NHKラジオ深夜便「明日への言葉」で、韓国の「慶州ナザレ園」のことを聴き、感動する
と同時に戦争のムゴさを改めて知り、人が起こす最悪の人災である「戦争」を絶対無くさなければいけ
ないとの思いを新たにしました。
1986年から園を支援する慶州ナザレ園協力会代表の松島啓昇さん(73)=秋田市=のお話でした。
聴いたメモ中心なので、松島さんのお言葉とちょっとズレがあるかも知れません。乞うお許しを。
「園の創設者で牧師の故金龍成さんは、日本に父を殺されたのですが、
1970年代初め、韓国の刑務所で、生活苦から窃盗や放火の罪を犯した2人の女性と面会したことが
キッカケで、1972年10月に園を開設。250人以上の日本人女性を園に保護し、うち、147人を
日本へ帰国させた。その志は敬虔なクリスチャンの宋美虎園長に引き継がれている」

「開設まもなく、棒を持った韓国人青年7人が来て『貧しい韓国人が多くいるのに、なぜ(にっくき)
日本人を庇うのか』と抗議。金さんは、『彼女たちに、もし罪があるとするならば、植民地支配を受けて
いた朝鮮半島の青年を愛したことだけだ。私には、肉親と縁を切り、命がけで私たちの側に渡って来て
くれた彼女達を守る使命がある』と諭した」

「韓国独立後は、反日感情は嵐のごとく吹き荒れ、妻が、母が日本人であることがわかることを恐れ、離婚
され、親子の縁を切られ、生きるために罪を犯さざるを得ない女性、垢だらけで、草を食べながら洞窟生活
をしなければならなかった女性など、想像を絶する不幸のどん底の中で生きていたのです」
「金さんは、女性達に『祖国を誇りに思い、日本人の誇りを失わないように』と常に諭していた」
「日本海を望む納骨堂の碑には、『私達は死んだら韓國の土になります 魂だけは祖國の日本に帰りたい』と
刻まれている」

「引き継いだ宋美虎園長のお母さんは、『娘には結婚して幸せな人生を送って欲しいと思っていたが、今は、
娘を尊敬しているし、誇りに思っている」

「昔は隣国ながら、兄弟のような国同志だったのに、朝鮮併合後の日朝の悲しい関係になってしまったが、
この女性達もかけ橋になって、理解し合える国同志に戻ればいいなと思っています」

「今、園には19人います。平均年齢は94歳」

少なくとも日本だけは、二度と戦争をしてはいけないこと、平和憲法を守って行く必要を肝に銘じました。
今日は、45歳で急逝した長男の一周忌。松島さんのお話しを聴けたこと、縁を感じています。
以前載せた、韓国国花、むくげです。

10月28「今日は何の日カレンダー」より
▲大内義弘挙兵、応永の乱(1399)▲ハーバード大学創立(1636)
▲廃藩置県さらに進み、府県改置へ(1871)▲上野不忍池で初の競馬(1884)
▲アメリカ独立100年祭を祝い、フランス・アメリカ間友好のため、自由の女神像が贈呈される(1886)
▲日本最大の内陸地震、濃尾大地震(1891)▲日中国交回復を記念して康康(カンカン)と蘭蘭(ランラン)
が上野へ。公開後の1年間で入園者は900万人を突破(1972)▲木曽の御岳山爆発(1979)
▲ロッキード事件丸紅ルート公判で榎本三恵子が「蜂の一刺し」証言(1981)
▲W杯サッカーアジア地区予選最終日、ロスタイムでイラクに得点され引き分けた
 日本は悲願のW杯出場の夢敗れる。「ドーハの悲劇」(1993)
誕生花:むくげ (Rose of Sharon)      花言葉:デリケートな美   むくげは韓国の国花です

平和への希い587 「北朝鮮を核保有国と認めない」と米オバマ政権 

2016-10-27 10:12:51 | 日記
 平和への希い587 戦後71年  
「北朝鮮を核保有国と認めない」と米オバマ政権  2016.10.27.

米オバマ政権は、何が何でも、北朝鮮を「核保有国」と認めたくないようです。
しかし、オバマ政権の閣僚級高官であるクラッパー米国家情報長官は、25日に、
「北朝鮮を非核化しようという試みは、おそらく見込みない」と述べ、現実的な政策として、
北朝鮮を核保有国と認めて、核戦力を制限する政策に転換した方がよいとの考え方を示した。

思えば、米国は、事実を認めたがらないことが過去にもあったなあ。
第二次世界大戦後の東西冷戦下、米英仏など西側は東欧はじめ中国などアジア地域が共産主義化
が進むことに脅威を感じ、冷戦が過熱して行った。
冷戦の代理戦争で国が分断されたのが、北朝鮮と韓国、北ベトナムと南ベトナム。
毛沢東率いる中華人民共和国が中国本土を制圧し、1949年10月1日に、蒋介石率いる中華民国は
台湾に敗退して、1912年以降中国大陸を支配して来た中華民国は事実上崩壊したのです。
ですが、1971年まで5大国の一角として「台湾の中華民国」が国連常任理事国になっていた。
西側、特にアメリカは、毛沢東率いる中華人民共和国を「国として認めない」と強硬だったと記憶して
います。事実上中国大陸を支配している中華人民共和国が「中華民国」の後継として、常任理事国になる
ことを拒絶するために、「国」として認めなかったのです。キューバ危機や泥沼のベトナム戦争などを経て、
中国大陸を支配しているという事実に基づいて、中華民国に代わって常任理事国とせざるを得なくなった
ようです。当然と言えば当然のことです。

事実に基づいて、「話し合い」をしない限り、混迷は深くなるだけです。極悪非道の「イスラム国」だって。
武力で叩きつぶそうとすればするほど、テロと難民が増えるだけです。平和が遠のくのです。

ウォーキング中に出会った花です。

10月26「今日は何の日カレンダー」より
▲空海、死後弘法大師の名をおくられる(927)▲徳川家康、大坂城で秀吉と会見(1586)
▲寛政の改革、書籍出版取締令に及ぶ(1790)▲安政の大獄で吉田松陰ら刑死(1859)
▲秋月の乱(1876)▲横浜で日本初の近代的上水道水開始(1887)
▲日刊ゲンダイ創刊で駅売り夕刊ブーム到来(1975)