
座右の書という言葉がある。
いつも身近に置いて愛読している書物という意味である。
私にとっての座右の書の一冊に「万葉の歌びとたち」がある。
著者は中西進先生である。
元号が令和となったとき世間では令和の考案者が中西先生である
と言って騒いだことがある。
その序文が令和の典拠と目されているのである。
中西万葉学と呼ばれる万葉集の大家であるが私はこの本の本文も
さることながら「あとがき」に記された一文に注目している。
一部を抜粋すると
私にとって万葉集の面白さの大半は、人間の面白さだと
いえる。その場合、登場人物にしても作者の人間性にし
ても、あまりとりつくろっていないほうがいいし、いささか
出来の悪い方が、一層面白い。妙に出来上がってしまっていると
そらぞらしくて近寄れない。冷たくて親しみが持てない。
やはり人間は愚かしい本姓をさらしているのがいい。
こちらも安心して愚かしさをさらけ出していけるからである」
この部分は文学の本質を語っているようで興味深いご指摘である。
あの大先生が「出来が悪くて愚かしい人物」であるとはとうてい
思われないが。
