チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ベンジャミン・ブリテン「戦争レクイエム」日本初演(1965)

2014-12-21 22:29:22 | メモ

ブリテン(Benjamin Britten, 1913 - 1976)の、大迫力だけど最後には静かで深い安らぎを与えてくれて、平和って本当に大切なもんなんだなーって再確認させてくれる「戦争レクイエム」の日本初演です。

(芸術新潮1965年4月号)

1965年2月22日(月)東京文化会館
デイヴィッド・ウィルコックス(David Willcocks, 1919-)指揮 読売日本交響楽団
ソプラノ・伊藤京子(1927-)
テノール・中村健(1932-)
バス・立川澄人(1929-1985)※
合唱・この演奏のために編成された5つのプロ合唱団の合同

英国の世界初演が1962年5月30日、それから3年も経っていない時期での日本初演って主催者の意気込みが半端ないですね。

ちなみにこの曲の合唱パートはアマチュアでも歌えるように書かれているということで、いつか歌ってみたいです(無理)。

※和田アキ子のテレビ番組でデストロイヤーに4の字固めをかけられていたのを見たという証言があるんだけど、ブリテン初演とイメージかけ離れすぎ。


藤原歌劇団と二期会との対立(オペラ・ブーム、1953年)

2014-12-16 21:45:32 | 日本の音楽家

藤原歌劇団により日本人オペラが徐々に盛んになっていき、1950年代の初めの東京では自称「オペラインテリ」がたくさん劇場に集まり、ブームになったそうです。

そんな中、藤原歌劇団と二期会との間には確執が生じていたらしいです。

以下、『演劇グラフ』(アルス発行)昭和28年4月号より覆面記者の座談会です。

 

記者A 大分濫立しているそうだね。

これは間もなく一つか二つになってしまうよ。第一芸術的にだめなんだ。藤原のところでもグルリットが飛び出して、森を引っ張って来たが、グルリットとは比較になるまい。

グルリットあっての藤原オペラだったと思うがな。

今一番問題になるのはオペラの二期会でしょう。これがまた官学閥なんだ。上野出身者だけの集まりだけども、ここで野心を持っているのが柴田睦陸さ。上野の卒業生を二期会へ集めて上野閥で行こうじゃないかということだ。一応上野卒業者をみんな入れてしまうらしい。いいのは一応会員にしてしまうんだ。だから藤原のところでいいのを見つけたからといっても、私は二期会員だから二期会の許可を得なければお宅へは出られませんという結果になる。ちょっと二期会は官僚的存在だという気がするね。

反藤原ではないの?

もちろんそうですよ。また反グルリットでもある。ではどんな主張を持っているのかというと、われわれは上野を出たということだけなんだ。だからオペラというものは、長門美保でも同じことだが、あれで見ていると、芸術的にどんどん下がって行く。批評家が甘いからね。これがたたかれて、お客が離れてきたから、そのうち一つが二つになってしまうね。

オペラってどうしたって見て聞くもんですよ。ところがオペラの批評は、「見る」方にかけてはまるで音痴だ...

実際には外国のオペラを見て来ている人は少ない。堀内敬三とか、大田黒元雄ってことになるのかな...



。。。「覆面」なのでこのあとも悪口が続きますが、なんとなく当時の日本オペラ界の雰囲気はわかります。でもこの時代に頑張った人たちがいたからこその現在の日本のオペラだと思います~

↑ 同誌より、「セビリアの理髪師」。アルマヴィーヴァ伯爵の藤原義江とロジーナの戸田政子。1953年3月18日~20日、新橋演舞場の20周年記念公演

 

↑ 「魔笛」日本初演(1953年2月2日日比谷公会堂)。タミーノの木下保。当時は「初演物」だというと超満員になったそうです。その点は今と違う?


ビクター4チャンネル(クォード8ほか、1970年代)

2014-12-13 17:11:56 | オーディオ

ビクターのCD-4方式の4チャンネルステレオシステムのカタログです。

↑ 外見かっこいいですね。発売時期がわからなかったんですが、1970年代初めだと思います(調査中)。

 

↑ スピーカー端子が4チャンネル分あるのは当然ですが、4チャンネルテープの入出力端子もあります。

 

↑ 4チャンネルのオープンテープデッキ、そして4チャンネル<エイト>プレヤーというのがあった!

 

↑ クォード8・プレヤー! 再生専用。

 

いわゆる8トラックテープの4チャンネル版ってこと?かなり根性入ってます。

 

↑ でもソフトがこれだけでは。。後にもっとたくさん発売されたんでしょうけど。

この中では諸井誠のピアノ協奏曲第1番(1966)が光ります。この録音、4チャンネルで聴いてみたい!


欧米の作曲家たちをほめたショスタコーヴィチ(1953年)

2014-12-12 17:21:44 | メモ

『藝術新潮』昭和29年3月号の音楽ニュースにこんな記事が載っていました。

ショスタコヴィッチの西欧作家礼賛

ソ連楽界待望の第十シンフォニー演奏をモスクワでやった後、記者会見を行い、西欧作曲家達を礼賛、記者連を驚かした。

スターリン時代だったら、全く犯罪と見られる行為だからである。

「西欧の現代作曲家では、ジャン・カルロ・メノッティやベンジャミン・ブリテンに非常な興味を感じているんですが、矢張り一番尊敬するのはガーシュインですよ。」』



さすがスターリン死後の雪どけの時代、言いたいことが言えるようになったんですね。。でも本当にそう思っていたのか?



脱獄&亡命画家、セルゲイ・クロールコフによる粛清の図。コワっ

新交響楽団さんの曲目解説によると、弦楽四重奏曲第8番第4楽章冒頭の3つの音はKGBのノックの音らしいです。このことを知ってからはこの曲が本当に怖くなりました~

イーゴリ・マルケヴィチ来日と「春の祭典」(1960年)

2014-12-11 18:42:09 | 来日した演奏家

この前、このブログにも載せた『藝術新潮』昭和30年3月号の20世紀の名曲50選(1955年)という座談会記事ではストラヴィンスキーの春の祭典が全く無視されていて意外でした。当時の日本人は音楽だと思っていなかった??

しかしその後、我が国で「春の祭典」が受容される一つのキッカケになったかもしれない出来事がありました。

それは1960年9月に初来日し、日本フィルを数回指揮したイーゴリ・マルケヴィチ(Igor Markevitch, 1912-1983)の記者会見と演奏です。

↑ 日比谷公会堂で日本フィルを指揮するマルケヴィチ



以下、『藝術新潮』昭和35年11月号にマルケヴィチ自身が書いた文章からです。

『私が来日直後の記者会見で「春の祭典」をベートーヴェンの「第九」や「トリスタン」と比肩する音楽史上のエポック・メーキングな作品であると語ったことから、以後この作品ならびに作者ストラヴィンスキーに関したさまざまな質問を受けることになってしまった。

 「祭典」がエポック・メーキングな作品であるという理由を簡単に述べれば、まずこの作品において音楽の全要素が従来の伝統的なものから完全にくつがえされ、革命的な変化が生じたに他ならない。例えばリズム上のことを考えてみると、史上あれ以前にあれほど複雑で新奇斬新なものが集積されたためしがあったであろうか?和声的に考えてもそれまで考えられもしなかったような音の組合わせが全曲にくまなく用いられている。楽器法からいっても同様で、伝統的なオーケストラ楽器を用いると同時に、当時としては極めて新奇で特殊な楽器が用いられている。例えば、バス・フルートの活躍などがそれである。

 形式の上からいっても新しさは見出されるが、とりわけ旋律的な新しさには特別の注目が値する。曲のはじまりの部分の抽象への昇華された自然の目覚めとでもいったような部分を一聴すれば作曲者が旋律の書き方にいかなる革新をもたらしたかが悟れると思う。またこの部分は特に日本人の興味をそそり、日本人の心に親近感を覚えさせるにちがいないと考えている。なぜなら、ある意味では、これは禅の精神に全く則ったものであるということができるからである。』

。。日本フィルとの「春の祭典」の演奏も素晴らしいものだったらしいし、このようなことをマルケヴィチに発言されてしまったら日本の楽壇もハルサイの素晴らしさに注目せざるを得なかったでしょうね。



おまけですが、同じ記事の中でマルケヴィチは「日本のおもてなし」を二つ書いています。リップサービスだとしてもうれしいです。

1.「私は特に庭園に興味を持ち、自分で庭造りをするのが興味であるので、鎌倉をたずね、京都や日光の庭園を徘徊するのは、まことにすばらしいもてなしだったと言わねばなるまい。(中略)私個人の内的なものを満たしてくれるものはといえば、鎌倉の円覚寺ほどこれにかなったものはなく、ここにあった時ほどの幸福感を感じさせるものには、稀にしかめぐり会えないといわねばならない。もし再び日本を訪れ、ある期間ここに滞在できるとしたら、私はためらわず鎌倉に居を選ぶことになるだろう。」

2.「(日本人が)与えられたものをできるだけ完璧なものに近づけようとする熱意はオーケストラとの仕事でも誠に高く、決してオーケストラに対して過ぎた要求をしてしまったと感ずることなしに仕事が出来るのである。これは日本人がパーフェクショニストで、作品ができるかぎり完成の域に達していなければ満足しないということを物語っている。このような態度は芸術家一般にとって、特に指揮者にとってはこの上もないもてなしだと言わなければならない。」

2020年オリンピックのおもてなしの参考になる?

能楽堂でのマルケヴィチ。右は渡辺暁雄。