食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

新宿中村屋

2010-01-14 07:41:07 | 日記
 新宿中村屋


 我が国、パン業界の草分け的存在


 クリームパンを最初に作ったお店


 カレー狂いが、聖地と崇める、我が国初のインド風本格カレー店



  、、、、、そして、、、、、


  歴史に「もし、、、はない」と言うが、


 『もし、新宿中村屋が政府干渉に屈し、市井の一パン屋と歩調を同じにしていたのなら、インドの独立運動は大きく後退し、しいては、現代世界史が変わっていた、、、』 かもしれない。


  何故なら、、、、、



 1900年代初頭、イギリスの植民地であるインドは、重税、激しい人種差別政策に苦渋を味わされていた


 「いつの日にか、我々も、アジアの一等国日本をお手本にし、独立を勝ち取ろう!!!」


  インド独立の理想に燃える若者達はこぞって、留学、もしくは独立運動支援を募るため、日本に入国してきた。


  その中に、インド独立運動の父、ラース・ビハーリー・ボースもいた。


 さて、右翼の親玉としての彩色が濃い、頭山 満 、だが、彼の信念は、「ヨーロッパ帝国主義から、インド、中国、を解放し、いつの日にか、アジア全体の独立を勝ち取ろう」  とするアジア主義であった。


 彼は、来るものは拒まず、を平時の情としていたため、頭山邸は、駆け込んでくるアジアの若者で、いつも、ごったがえしていた。


 その中に、ボース、もいる。


 当然ながら、最重要危険人物であるボースの身柄拘束、引き渡しを、英国大使館から、頭山邸に、申し出があった。


 頭山は、間一髪のところで、ボースを裏門から、逃がし、交遊のある「新宿中村屋」に逃げ込ませる。  


 そして、以降、中村屋はいかなる外圧にも屈せず、ボースをかくまうことに、粉骨砕身していくのである。


 やがて、中村屋の娘と恋に落ちたボースは、彼女と結婚し、帰化することとなる


 
 パン一色だった「中村屋」に、インド風本格カレーを取り入れ、現在に至る「カレーの中村屋」を築きあげた立役者は、インド独立運動の父、ボースだったのだ。

  


 「新宿中村屋」の前を通るたびに、先の大戦でアジア・アフリカ植民地解放の先鋒として戦地に散られた、僕の祖父を含む、我が国数百万の英霊が思い浮かばれ、目頭が熱くなる。



 コンビニで、レトルトの「新宿中村屋カレー」を買われ、食される時、瞼を閉じ、鑑みていただきたい。   悠久の歴史をもつ聖賢の国、インドを。


 

ベネチア

2010-01-13 08:42:54 | 日記
 自分の生まれ故郷以外の街を、絶対に褒めようとしないイタリア人が、唯一その憧れを公言できる都市。。。。。


 「ベネチア」


 水と光のコントラストが織りなす世界一の水上都市。


 その有名さゆえ、世界に存在する、運河により作られた水上都市には「○○のベネチア」という敬称が宛がわれている。


 蘇州、、、、東洋のベネチア    ストックホルム、、、、北欧のベネチア

 などなど。


 古より、世界中の人々の旅心を誘ってきたこの永遠の都は、数々の文学、映画の舞台となってきた。


「ベニスの商人」には、ユダヤ人が、ヨーロッパ社会、キリスト教世界の中で、いかようにして金融業を成功させてきたかが、克明に描かれている。


 「旅情」「ベニスに死す」を観れば、この街が無為にさらされてきた、緩慢な時間の流れの中を、時計の針を逆さにして、遡上することができる。


 アドリア海に面しているため、魚介類が豊富な事で有名。。。。。


 「ペスカトーレ」という、トマトソースベースの魚介類入りパスタは、ベネチアが発信源。    ペスカトーレとは、イタリア語で、漁師を意味するらしい。



  世界一美しい広場、、、、、 「サン・マルコ広場」



 地球温暖化、地下水のくみ上げ過ぎによる地盤沈下、により、そう遠くない未来、水没してしまうそうである。     残念だ、、、、、


  ベネチア、、、、、一生に一度は旅してみたい街の一つである


 

鏡開き

2010-01-11 07:32:20 | 日記
 1/11、 今日。


 正月にお供えした、鏡餅を下ろして、雑煮やお汁粉にして食べる。


  鏡開き、、、、、


 当然ながら、硬い鏡餅をそのまま食べる事はできないので、お餅を割らなければならない。


  包丁やナイフでぐさり、、、は × である。


 神霊が刃物を嫌うため、正しくは、トンカチ、などで壊さなければいけない。



 その昔、1/11に、武家では、主君と家臣がそろって、また、商家でも主人と従者達が顔を合わせて、この鏡餅を食した。。。

 
 どちらの場合にしても、主従関係の親密さを深めるという意味合いが強かったようだ。


  最近、ほとんどこの鏡開きの行事を見かけることがなくなった。


  剣道、柔道などの道場では、今でも、寒稽古を行った後に、鏡餅を雑煮やお汁粉にして食べる習慣が残っている。


  
  昔、、、「痛み」という感覚の固まりが、足裏から直接、脳にぶつかるのをこらえ、寒中稽古にはげんでいた剣道少年時代が、ふと思い出された。。。。。

しまむら

2010-01-08 10:04:05 | 日記
   埼玉県を代表する、ファッション発信店。


 『ファッションセンター・しまむら』 のことである。


 全国の二流都市には必ず一店舗、、、 ジャージ、、、  年配者ご用達、、、


  巷でイメージされてきた「しまむら」 は、今やその立ち位置を一変している


  良心価格製品で埋め尽くされた店内には、老若男女が行きかい、その活気は衰える気配を感じさせない。。。


  Can Can 、 Vi Vi  といった雑誌の人気モデルさん達が「私、しまむらファンなの!!」とメディアを通じて公言したことから、若い女性の間でも大人気なのだ。。。


  しまむらファッションで身を固めた女性を 「しまらー」 と呼ぶらしい。


はからずも、「しまむら」は、埼玉県桶川市、 千葉県我孫子市、 といった田舎都市だけにとどまらず、ついに、先般、ファッション感覚の研ぎ澄まされた街、「三軒茶屋」にも上陸したのである。


  いずれ、機が熟すれば、表参道、銀座、にも「しまむら」旋風が巻き起こるであろう。。。。。


  そして、H&M 、ZARA、アバクロ といった海外カジュアルブランドに占領されてしまい、国産色が希薄になった街から、「しまむら」の手で、ナショナリズムを取り戻してほしい。。。



 「しまむら」は、仕入れ先から品物を買い、それを売る、という良き日本型流通システムをとっているため、関連会社が、その利益を一緒に享受できる。


  より広い場所にお金が廻る  ⇒  内需経済効果が上がる


 自社で企画、生産、販売の全てをまかなってしまう、強いものが一人勝ちする、強欲な資本主義に貢献する会社よりも、 相互扶助を忘れない、優しい資本主義の代表として「しまむら」の飛躍こそが日本経済救済に一役買ってくれるのだ。


  そして、いつの日にか、、、


  ミラノ、パリ、ニューヨーク、が「しまむら」の買い物袋で、席捲されることを夢見ている。。。。。


  

七草粥

2010-01-07 07:30:19 | 日記
 1月7日、今日の朝、


 七草がゆを食べて、これからの一年、病気にかからないことを祈る。


 これは、信仰的な側面ばかりでなく、正月の御馳走で駆使された胃腸を休ませ、青菜をとることで冬場の栄養補給をする、という実用的な意味合いもある。



   その昔、中国では1月7日に官僚の昇進を決めていた。


 当日の朝、「どうか、昇級できていますように!!!」と願をかけて、薬草であ
る若菜をお粥に混ぜて食べた、ことに起源があるそうだ


 
 これが日本に伝わると、平安時代には、宮中の儀式として、若菜を入れたお粥を
食べるようになる。


 
 そして、江戸時代になり、桃の節句や、菖蒲の節句と同様に、「七草の節句」
として幕府が定めると、1月7日には、庶民の間で、七草粥を食べる習慣が定着した



 今でも、伊勢神社では、1月7日に、若菜のお粥をお供えするしきたりが残っているそうだ。