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時々電話をかけてきて長話をする友人がいます。
「会えなくても電話でいつでも昔に戻っておしゃべりできるっていいよね」と彼女。
私は「会って話したら私はこんなふうに聴き取れないからね。電話が有り難いの」
固定電話をスピーカーホンにして補聴器をすれば普通に話せますが、対面では彼女の声はかなり聴こえ
ないはず。「聞こえるって凄い事なんだよ」と言うと「考えたこともなかった」って。
私が旅行に行きたいと言うと「街中で暮らして自然がないからでしょう。田舎に暮らしなさいよ」と。
「そうかもしれないけど今さら田舎暮らしはできっこない」
彼女は郊外の水田に囲まれた地域で猫と犬と畑仕事が趣味のご主人と暮らしている。
「どこにも行かなくても周りの自然を見ているだけで幸せよ」
「それはいいけど・・・そうかなぁ?」と私は思ってしまう。
それよりも前向きな気持ちをなくしているのではないかと心配になって来るのです。
今月末から彼女の街の近くで開かれる展覧会へ一緒に行く約束をしました。
「会うのは何年振りかしらね。白髪頭にビックリしないでね」と言うと
「いつも電話で話しているから話すこと残ってるかしらねぇ」と気乗りのない返事。
どこへも出かけたくないと言う彼女は本当に来てくれるかしら・・・
夫が亡くなって寂しいだろうと心配して時々電話をくれるようです。
寂しいけど色々したい事もあるし行きたい所も沢山あってたまには節約旅行なら楽しめるし。
考えればあれもこれも足りない物はいっぱい。でもそれは思っても仕方が無い事。
経済的にもご主人にも恵まれて「行きたい所も食べたいものも特にないわね」なんていうのは豊かだ
からではなくて彼女に不足しているのは「意欲」だと思う。
幸せ過ぎのせいなのか、先頭に立って歩いていた以前の彼女は・・・何だか寂しく思えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/c8/a04de7ac40ffa0a5eeb2e5908b049951.jpg)
ほんと「意欲」って大切です。自分から求めないでも不自由なく手に入るのは赤ん坊と幼児くらいのもの。
それ以外のニンゲンは自ら進んで求めなければ何事も手にすることはできません。
特ダネを求めて夜討ち朝駆けしていたころが懐かしいです。今とてもそんな体力はありませんが…
大忙しのひろさんはボンヤリしている暇なんてなさそうだし、意欲満々だから膝さえなんともなければ今頃は南極辺りでペンギンやオーロラをスケッチしていたかもしれませんねぇ。
ともかく銀座の個展、ボクは忘れちゃいませんからね。2、30年後にぜひお願いします。
「待つこと」。これもボクの意欲の一つだなぁ ♪
手を抜こうと思えばいくらでも自由な独り暮らし。一つずつ自分で動かねばならないのだからまず動く事。ついついぐだぐだ暮らしてしまう私なので心します。
自分の家の中で幸せを感じている人に、外からあれこれ言うのもちょっと違うかなと反省しています。
月に4日間こんな日があって前日にはチョット準備して、動かなければならないことがあるのは有難いです。
何もかも忘れて過ごす時間です。
膝とお財布が元気でしたら南極は是非行きたい所です♪
記憶力いいのですね。20年か30年後の銀座、見に来ていただける方が一人でもいらっしゃると心強いです。お元気で!(#^.^#)
考えて見ると私もあんまり無いのだけどね。
何かしら、年取ってからも生き生きして居られる趣味を見つけないとな~
特に趣味を探さなくてもすることはいっぱいのはず。
お母さまは何かあるといいですね。特に長い冬の間・・・先ずは話し相手になってあげてくださいませ。
薄れてくるのかもしれませんね!
一方、都会にいると自然を求めて出かけたくなる意欲が強くなりますね!
特に、その自然にふれて絵画を描こうする目的があると
普通以上に意欲が強くなるのではないでしょうか!
ただ、年と共に、気力、体力が衰えるのは
普通ですが、ひろさんは意欲満杯ですよね!
広い空や穏やかな山里や水田の風景が見たくなります。
意欲といえるかどうか私はいつまで出かけられるだろうかとちょっと焦っている気もします。
特に一人旅などあと何年出来るかな、などと思ってしまいます。
元気でいなくては!ですね。